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Cultural Appropriation

Halloween

先週末はハロウィンの催しで、東京は街中が仮装した人で溢れていたことだろう。元々は宗教的なお祭りが今や世界的なフェステブなイベントとなり、多くの人に世界中で楽しまれている。毎年みんながクリエイティビティをフルに使った仮装で楽しませてくれる東京のハロウィンは、私は特に好きだ。しかし、欧米のハロウィンでは毎年あるクリティシズムが浮き上がる。

Cultural Appropriationという言葉をご存知だろうか。1980年代にポスト・コロニアルの西洋化批評の一環として現れたこの言葉は、現在色々なところで使われるようになった。今年のハロウィン関係のニュースでは、アメリカ人女優のパメラ・アンダーソンが4年前の自身の仮装の写真をリポストしていたものが避難を浴びていた。彼女が着ていたのは白いパンツ一枚と、ネイティブ・アメリカンのヘッドドレス。ファンからも「私の文化はコスチュームじゃない」「あなたへの尊敬の気持ちを失った」などと、鋭いコメントがされたこの写真。

有名女優がここまで非難される理由であるCultural Appropriationとはなんなのか。

Cultural Appropriationが問題になるのは、少人数の弱い立場にあるグループの文化が強い立場にある人達によってなんらかの形で使われてしまう時だ。その反対のケースでは問題になることはあまりない。例えばハロウィン自体は昔からのキリスト教のお祭りであっても、それをただのエンターテイメントとして世界中に広まることを誰も避難しないが、その中で白人がネイティブ・アメリカンの仮装をして楽しむことはタブーとされる。歴史的な背景もあって、少数民族になってしまったネイティブ・アメリカン達が追いやられてしまった文化を白人に使われるのが嫌なのはわからないでもない。他の地域の例でいうと、アメリカ人がディシュダーシャという湾岸地域の民族衣装をハロウィンで着ているのをアラブ人避難する声もある。日本以外の国で外人が着物をハロウィンできていたら、あなたはそれをCultural Appropriationとして避難するだろうか?意見は分かれると思うが、考えてみてほしい。

Kimono

今年の6月に、キム・カーダシアンが発表したソルーション・アンダーウェアのブランドの名前がKimonoと発表されたことで、日本人を含める多くの人から避難を受けていた。伝統的な日本の文化である着物を、アメリカ人セレブの下着ブランドの名前として使われるのはCultural Appropriationの問題があるという声が上がったのだ。

Kimという自分の名前とかけてKimonoと命名したキムは、「私はファンの声を聞いているし、リスペクトもする」と言って最終的にSkimsに改名した。

私は個人的に、Kimonoというブランドのネーミングがここまでのバッシングを受けると思っていなかった。着物というアイデンティティは誰もが日本のものと知っている。Kimonoというローマ字綴りの名前は、日本の着物にもなりえるし、Kim+Clothingとかけたアメリカ人の下着ブランドになり得ることはないのだろうか。

Abaya

湾岸地域のアラブ人女性は、アバヤという衣装を身につけている。元々は黒い薄い生地の全身を隠すようなものだったのが、最近はファッションの変化で新しいスタイルのアバヤが登場している。

着物からインスピレーションを受け、着物のようなガウンをアバヤとして着ているアラブ人女性の姿がドバイでは多くみられるようになった。Kimonoスタイルというのは西洋のファッションでも最近流行っていたが、アバヤを日常的に着ている民族がKimonoスタイルをその伝統衣装に取り入れることはCultural Appropriationにはならないのか。

結論的にいうと、私はCultural Appropriationの解釈は個人的、感情的な要素が大きく、論理的に解釈するのは難しいと考える。自分が弱者の立場にいたなら自分のアイデンティティを必死で守ろうとするだろうし、強者の立場にいたら、自分には影響力があるというようにポジティブに捉えるような気がする。それぞれの意見があって成り立っているこの世の中。でも非難の波に乗る前に、自分はどういう立場をとるのか、一呼吸置いて考えてみる習慣をつけて欲しい。

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