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一色しかない虹で塗りつぶしてしまわないように

お元気かしら?

まきむらよ。

わたしは正直、あんまり元気じゃなかったの。応援してくださるあなたには元気なところを見せたいと思うあまり、しばらくおたよりできずに、ごめんなさい。

誰を責めるでもないんだけど、ほんと、つかれちゃっていたのね。

LGBTという言葉がどうして生まれたのかを文筆家として取材に基づいてお話したつもりだったのに、結局はその講演が記事になった時「LGBT当事者の牧村朝子さんが思春期のつらい経験をを話しました」って形にされちゃう、あの感じ。

感動〜!!

また、女性が銃を取ることが許されなかった時代、戊辰戦争で故郷を守るために男装で銃をとった新島八重について講演したら、「心と体の性が一致しなかったんですね!その時代の日本にもトランスジェンダーがいただなんて驚きました!」って言われてしまう、この感じ。

理解〜!!

なんどもなんどもなんどもなんども話して書いてきたつもりだったんです。「LGBTというのは、あくまでアメリカで生まれた社会運動のチーム名ですよ。人間の種類を指す言葉ではありませんよ。自分が何者であるか、自分がどのように生きたいかを、他者からの診断、他者からの分類に頼らなくてもいい。例えば女が女を愛する時に、自分はレズビアンだと名乗ってもいいし、名乗らなくてもいい。また自分で自分をレズビアンだと思ってもいいし、思わなくてもいい。自分をどう捉え自分をどう生きるかは、ただただ自分が決めることなんですよ」って。

その言葉が、その言葉でも、「わあ、LGBT当事者の人が何か言ってる!」の枠の中でむなしく響くこの感じ?

わたしは思っていました。

「人間になりた〜い!!」

・男と女
・シスとトランス
・同性愛と異性愛
・障害者と健常者

人間は本当に世界を二分するのが大好きで、しかも二分されたうちのどちらか片方が「外側」、もう片方が「内側」になりがちでさあ、「内側」から「外側」を見る視線に晒されるとき、わざわざ言われてしまうんだよね。

・“女流”作家(男流作家とはほぼ言わない)
・“トランスの”俳優(シスの俳優とはほぼ言わない)
・“同性愛者の”アスリート(異性愛者のアスリートとはほぼ言わない)
・“障害者の”ランナー(健常者のランナーとはほぼ言わない)

感動〜!!
理解〜!!

誰がいいとも悪いとも、誰のせいだとも言わないです。けど、ただただ、なんかさ、もう、つかれた。つかれたピヨ〜〜。え〜〜ん。早く人間になりたあ〜〜い。え〜〜〜ん。ぷいんたびゆ(プリン食べる)〜〜。と思っておりました。

さらにキツかったのがさ、わたしの人生経験上キツかったのがさ、いやごめんね、愚痴っぽいけどさ、LGBTというのが、他ならぬアメリカ生まれの概念であるということなんだよね。わたしは米軍基地のまちに生まれ、アメリカに対する強烈な羨望とコンプレックスを胸のうちに育ててきました。大きいおうち。大きい体。強さ。正しさ。世界の警察。フェンスの向こうにあこがれて、英語を学びアメリカ文化を知ろうとするのは、だいたい日本人のほうだなあ、って思いました。わたしが通う日本の学校には英語の授業があったけれど、米兵たちは日本語を学ぼうとはしてくれない。なんなら英語のできないわたしを指差して笑ったりしてた。もちろん日本語を学ぼうする米兵も多少はいるけど、多くは数年間でアメリカに帰ってしまう人たちです。悲しかった。アメリカという顔の見えない強大な存在に対して、ものすごい劣等感、ものすごい被害者意識を抱えて今も生きています。こないだもトウモロコシ買わされとるしな。ってか「自分は劣等感と被害者意識を抱えているんだな」って客観的に思えただけでまだマシよ、もっと昔はそれすら自覚できないままだったからね。

アメリカはいつも強い。

アメリカはいつも正しい。

遅れている日本は導いてもらう側……

「やっぱり日本より外国の方がLGBTの理解が進んでますよね?」
「American LGBT historyを日本人は全然知らないですよね!」
「Stonewallの歴史を知っていますか?」
「アメリカにはこんなにカミングアウトしているセクシュアルマイノリティのアスリートがいるのに日本は遅れてる!オリンピックまでに頑張らなきゃ!」

カタカナとアルファベットの濁流に囲まれてぐるぐる回りながら、わたしはわたしがかわいそうで仕方がなかった。「ああ、米軍の軍用機の爆音のもとに生まれていないあの人たちは子どもの頃、米兵にフェンス越しに銃で狙う真似をされて笑われるという恐怖体験をしてないんだわ。だからあんなに素直にアメリカに憧れられるんだわ、日本で何があったかをないがしろにして!」みたいな。そんな調子だから東京のLGBTアクティヴィズムにぜんぜん全くひとっつも馴染めなくって、何をしていたかというとヨコハマ・ヨコスカに入り浸っていました。ジープを追いかけ、米兵の残飯をもらい、「ズージャ(ジャズ)をやれば飯が食える」とアメリカの音楽を学んでアメリカ人相手に披露するうちに独自の文化を生み出していった人たちの戦後史になんとか自分を重ねようとしていたんだと思います。「いつか“LGBT当事者さん”としてじゃなく、ただ文筆家の牧村朝子としてものを書き話していきたい」と望みながらも、持ち込む書籍企画が「その分野で学位がないから」などの理由でなかなか通らなかった、自分に。現代思想に「もうわたしはLGBTを名乗ることはないでしょう」とはっきり書いたし、実際にそうしたけれど、いただくお仕事の内容としてはどうしても「LGBT当事者としてお話しください」というものが多くなりがちな、自分に。(※この件については、自分の実力の問題だし、こういうご依頼をいただいても全然怒ったりしていないです。ただ、こうしたご依頼をいただいた場合、お話を伺った上で別の提案をさせていただいています。最後に例を出します)

(今アメリカ資本のAmazonのアフィリエイトURLを貼るか、それとも日本の出版社公式のURLを貼るか、自分の中でちょっと葛藤があったわ)


LGBTの社会運動って本当に、「上手いなあ」って思うんですよね。

さすがアメリカ。世界で最もお金がある国。世界で最もショウビジネスが華やかな国。公民権運動の国。そして、大統領がキリスト教聖書に手を置いて就任を誓うGOD BLESSの国。

LGBT商工会議所。LGBTビジネスネットワーキングミクサー。LGBTの消費行動と市場規模の研究。LGBT映画祭、LGBT文学賞、LGBTコミュニティに貢献した人物の表彰、LGBTスカラシップファンド。政治・経済・文化のエリアでがっつり存在感出していくスタイル。ほんと、POWER勝ち取ったんですよ、FREEDOMとDREAMを信じて。

アメリカンドリームでNYから世界に羽ばたいたレディ・ガガが「Born this way(こういうふうに生まれた)」と歌い、「そのように生まれる人々がいるのです、生まれつきなのですよ差別してはいけません」って説けば、アメリカ国内的に強い。

日本向けにはこう言えばいい。「LGBTを知っていますか?世界的には常識です」と。見出しに「同性愛者」と書けないマスメディアも、「LGBT」というワールドワイド感あるワードなら使える。

そういう政治的に強い価値観が、どんどん、ローカルな言葉、ローカルなものの見方を駆逐していってしまうことが、わたしには耐えがたく悲しいんです。「LGBT社会運動は間違っている」って言ってるんじゃない。「国際政治的に強い価値観をもって、人間がLGBTとそれ以外に二分されてしまうのが悲しい」って言ってるんです。内側に飲み込まれなくったっていいはずだもん。外側で野良でいていいはずだもん。たとえ政治的に正しくなくたって誇り高く、「自分はオナベっす!!」って言い切ってもいいはずだもん。たとえ政治的に正しくなくたって誇り高く、「わたしは“Born this way(このように生まれた)”とは思わない。自分をLGBTだともレズビアンだとも思わない。ただ、あの人を愛して生きることを自分自身で選んだ」って思ったっていいはずだもん。

その「感動」の外側に。

その「理解」の外側に。

昨年の年末にNewsPicksにもちょっと書いたんですけど、アメリカのLGBT社会運動は今、明らかに「神話化」のプロセスに入っていると思うのね。「LGBTとして生まれた人たちが、このように生き、このように戦い、このような社会を勝ち得た。そうした先人たちの創世記があり、我々LGBTは生きているのだ」みたいな。「LGBTの世界を勝ち取った英雄たち」の人生が語られ、ストーンウォールの反乱が「伝説」として語り継がれていく。でもそれより数十年前の、アメリカの外側の、たとえば、ウルリヒスやケルトべニの名前はあまり知られない。

この本に書きましたけど、アメリカと同じく「そのように生まれるのだ」と提唱したウルリヒスの声は比較的語り継がれてます。キャッチフレーズは「世界初のカミングアウトをした人物」。だけど、「生まれつきだという主張は危険性を帯びている。生まれつきであろうがなかろうが、成人した個人が自分の意思で誰とどう生きるかを決めることに国家が介入するべきではないのだ」派だったケルトべニ、知名度低いよね。あと、アメリカでカミングアウトの重要性を訴え暗殺されたゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクは学生のレポートにめっちゃ登場するけど、日本で「障害と生きる人や同性を愛する人が楽しむためにセックスしたっていいじゃん」と訴えてやがて暗殺された山本宣治はあんまり登場しないし。

ほんと、全部、アメリカ起点でLGBT目線で語られちゃうのよ。LGBTとかカミングアウトとか、性の用語がだいたいカタカナかアルファベットなのよ。

アメリカの学問を輸入する形で「ジェンダー&セクシュアリティ」とか「クィアスタディーズ」を学ぶ人が、英語の外側を英語で飲み込んでしまう。たとえば日本の女学校で寄り添いあった女学生たちが「男女(オメ)さん」と揶揄されたこと、それに「違うわ、オトコオンナじゃありません。お姉さまはわたくしにお目をかけてくださったの。だから男女(オメ)じゃなくて、お目(オメ)さんよ」としなやかに言い返したことは、「おめさんの歴史」じゃなくて「Lesbian history」の一つに含められて語られてしまう。

「そのように生きた人たち」の人生が、

「そのように生まれた人たち」の群れとして語られてしまう。

マジで耐えられないので、わたしは一生懸命、手探りしています。「LGBT」の外側を。もしくは、「LGBT」のその前を。置き去りにされてしまいそうなものを。塗りつぶされてしまいそうなものを。

きっともうしばらくめちゃくちゃ苦悩するし、2年後くらいに「2019年に書いたあの文章はクズ」って自分で言ってるかもしれないけど、2019年現在、わたしは、こんな感じでおります。

なので、「LGBT当事者の話を聞いてLGBTを理解しましょう」系のご依頼については、媒体を問わず、このようにお答えしています。

・わたしにはわたしの話しかできません。
・わたしは文筆家であり、LGBT社会運動の源流の現地取材ならしています。
・わたしをLGBT当事者であるとかレズビアンと呼ぶことは構いませんが、わたし自身はわたしをわたしの名前でしか呼んでいません。
・ご依頼をくださったあなたの土地の歴史や文化にもとても興味がありますし、今の言葉でならLGBTと呼ばれるかもしれないあり方が、そのようには捉えられないままあなたの土地にもあったはずです。わたしはあなたのところの「これまで」を学び、またLGBT社会運動の「これまで」を語り、その上で「これから」を考えるものが作りたいのです。

世界は絶対、あの虹よりも、ずっと、もっと、カラフルです。

読んでくださってありがとうね。この文章は誰かを否定するために書いたものじゃありません。わたしは、わたしを肯定するために、誰かを否定しない強さを、応援してくださるあなたから、分けていただいたと思っています。

続きはファンクラブ限定で、もうちょっと最近の話をします。(あふれ出しちゃって超長いね、ごめんね。)

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