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コラージュと日々の思い

更新しないまま、もう何ヶ月もたってしまったnote。
もう少し、日々自分の感じていることとか考えていることを「書く練習」した方が良いのになぁなんて思いながら、毎晩双子の息子たちと一緒に寝落ち。
急ぎの仕事がある時期には、真夜中に起きて作業していたのだけれど、最近は普段の仕事の日と休みの日に片付く程度なので、今こそ!と、ずっと寝れていなかった過酷な2年間の日々の睡眠を取り戻すかのように、布団から離れないでいます(とはいえ、夜中に何度か起こされるのだけれど、それでも前よりはマシ)。

そういえばinstagram。
こちらも前ほど積極的に更新したいと思わなくなりました。
誰から見られているか分からない気持ち悪さ。窮屈な感じ。自由でない感じ。でも鍵アカにしてクローズドにするほどの勇気もない。

思えば大学生の頃にはmixi全盛期!
社会人になった頃にmixi辞めてFacebookに乗り換えたとき、その理由はなんだかとても窮屈な気持ちがやだなと思ってのこと。
そうしてFacebookからinstagram(Facebookは、メッセンジャーが便利で続けている感じ)。
こういうふうにして、SNSは乗り換えてゆくものなのでしょうけれど、instagramの後は、みんな何にしているのでしょう。
見てほしい、でも見て欲しくない、という矛盾を抱えています。

少し前にコラージュをしました。
手を動かしていると、本当に心底、ホッとします。
本当はもっと軽やかに、詩的に、3cmくらい浮いて生きていたいのですが、
「教育者」というもの、あるいは「母」というものは、地面にベタベタにくっついて、地に足ついていないとやっていけないような気持ちになってしまうのです。本当は、きっとそうではないのでしょうけれど、自分でそんな風に思ってしまうのです。良くないなぁと思いながら。

だから、コラージュの作品などつくっては、気持ちのバランスをとる。
そんな感じです。