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札幌の人は優しくてやさしい
相方が搬送されてから
次の日。3月31日の朝。
彼は昨日に比べると格段に元気になっていた。
まだまだ動くとしんどいけれど、ギリギリ車の運転ならできる・・・?
それぐらいには回復していた。
ほっと胸を撫で下ろし、シェアハウスの友人たちに搬送を手伝ってもらう。
借りてあった車(ハイエース)に二人分の荷物を積んで、
宿まで車で行ければ今日のミッションは完了。
のはずが。
どうやっても荷物が積みきれない。
なんなら一人分まるっと積み残しているような状況。
「友人のものという程で1日預かってもらい、翌日相方の運転で取りにくればいいか・・・」
その時は気軽に考えていた。
病気の人あるある?なのか、朝と晩で体調が違うことがある。
彼の場合は朝体調が良く、夜にかけて悪くなっていくタイプだった。
荷物を積んでいくにつれ、どんどん体調が悪くなっていった。
積み残すことが確定した時点ではもう運転することは到底できない状態だった。
そこで別の友人に運転を頼み、相方と新居まで車を置いてきてもらうことに。
私は別でその日の宿に向かい、宿で彼と合流することにした。
体調が戻らない
宿にチェックインし、彼を待つ。
せっかくだからと大浴場と朝食が豪華な宿にした。
ずっと前から楽しみにしていた一連のイベントを、こんなに張り詰めた気持ちで迎えるなんて思ってもいなかった。
30分も経たずに合流。
彼はベッドにすぐさま横たわり、動かなくなった。
辛そうだが、ちゃんと眠れているのなら一安心。
少しして、私は一人で買い出しにいった。
買ってきた豚丼とジンギスカン弁当(セイコーマート!)を部屋で食べる。
食欲はあるようだった。
ところが。
食べ終えたあたりで彼が「気持ち悪い、頭も痛い」と呻き出した。
その表情からは苦しさが伝わってきて、とてもじゃないが見ていられなかった。
その場で体温を計らせると40度。ありえない高熱。
手元にある薬を飲むものの「この薬が欲しい」のリクエストに応えて私は再び外に出た。
すでに21時30分。札幌の中心地とはいえ、薬局なんか閉まりかけている。
結局20分以上歩いてすすきのの町薬局で指定の薬を購入し、部屋に戻った。
リクエスト通りの薬を使って部分的には緩和されたものの、全体で回復の兆しが全く見えない。
友人を一人呼んでいて3人で荷物を部屋に搬入する予定だったのだが、この調子では彼を数に入れられない。
友人が滞在できる時間も2時間ほどしかない。
私と友人の2人では、大きな荷物は運べない。
積み残した荷物の回収はできない。
そもそも私も友人も運転に自信がないので、レンタカーを返せない。
あ、詰んだ。
心からそう思った。
捨てる神あれば
どうしよう。
その日に手伝ってくれた人たちに声をかけてみるも、予定が合わず。
札幌という不慣れな土地で頼れる友人もまだおらず、
とはいっても諦めるわけにもいかない。
最低でもなんとかして荷物を降ろし、車を返さなければならない。
私が運転するのか。
免許をとってから一度も車を運転していない、ペーパー歴15年。
冗談じゃなく人が死ぬ可能性がある。
絶望的な状況を理解したのが夜の0時30分。
そこからは過集中に近かった。心臓も頭も締め付けられそうになりながら、
体調不良の彼を休ませたい気持ちと荷物をなんとかしなければならない義務感と戦いながら最善の方法をひたすらに考えた。
ひとり、助けてくれるかもしれない人が思い浮かんだ。
彼女は今バリにいる。ただ直前まで札幌にいたので、もしかしたら誰か紹介してもらえるかもしれない。
そうでなくても良いサービスでも教えてもらえたらそれだけでもかなりありがたい。
さて電話するぞ!
・・・ふと時計を見ると深夜1時に近かった。インドネシアでも夜の0時近い時間。
もう寝ているかもしれない、電話をかけるには相当に非常識な時間。
これを逃すともう本当に後がない。
迷いは一瞬で振り切り、深夜の電話に謝りながら彼女が出るのを祈った。
・・・出てくれた。
私は焦りとほんの少しの安堵と申し訳なさでいっぱいになりながら状況を伝えた。必死だった。
私の必死さを感じてくれたのか、翌日の朝ご家族の方に声をかけてくれると約束してくれた。
もちろん100%の確証はないが、それでも一通り話し終えた時、緊張の糸がふと緩んだのを感じた。
4月1日、とうとうこの日がやってきた
朝。彼女から連絡の連絡。「体力に自信はないので荷物はあまり助けられないけど運転なら」と、彼女の実のお姉さまに助けてもらえることが決まった。
その知らせを受けた時、最後の希望がすぅっとつながった。
妹の友人とはいえ、見ず知らずの人の引っ越しを当日朝に言われて手伝ってくれるなんて。そんな聖人のような方がいるなんて。
そのご加護のおかげなのか、ダメ元で声をかけた友人の友人からも手伝ってくれるとの返事をもらうことができた。
一度も顔を合わせたことがないのにも関わらず、ほとんど二つ返事で来てくれた。
急遽来てくれた二人ともう一人来てくれた友人のおかげで、積み残していた荷物も全て回収し、無事に搬入まで終えることができた。
ただただ感謝しかない。
やさしくなりたい
急遽来てくれた二人の共通点。
私とは友人を挟んだ関係(友人の姉/友人の友人)
引っ越し当日が初対面
当日の朝からのお願いにも関わらず駆けつけてくれた
動けない相方の分まで助けてくれた
お礼を受け取ってくれなかった・・・
窮地に追い込まれて極限状態になったのは本当に辛かったけど、
途方もなく素敵な方々と出会えたことに感動と感謝を覚えています。
札幌に引っ越してきて、奇跡のようなありがたい出来事が増えた気がします。
気づけるようになっただけなのかもしれないけれど、人があたたかくて。
受けた恩をいつか返せるように、誰かに手を差し伸べてあげられるように、
今年度は生きていこうと思います。
という日記でした。ご清聴ありがとうございました。
スペシャルサンクス
相方搬入事件の直後一緒にいてくれたジーナ、引っ越しを助けてくれたトキちゃん、けんちゃん、リザ、ジェローム、つかささん、かずきさん、のぶこさん、そして無茶なお願いを聞いてくれたゆうこさん、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
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