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私は時代に置き去りにされたいのかもしれない

もしかするとお気付きの方もいるかもしれないが、ここ最近私はSNSをサボっている。

しかもそれは、忙しいが故に仕方なく放置せざるえなかったという訳ではなく、故意に自ら望んでそうしたのである。

今日はその理由をお話ししよう。


空っぽのアルバム

私は、今年の夏頃から自分のYouTubeチャンネルを開設した。(是非見てみたいという変わった趣向の方はこちらからどうぞ。)

旅や美容、仕事などを題材に、動画の撮影や編集なども全て自分が担っている為、凝り性で完璧主義の性分の私にとって、定期的に質の良い動画を発信し続けなければならない状況を自分に課すということは、決して楽な道ではなかった。

ある日、再び旅を題材としたvlogを編集しようと、今年の夏に訪れたイタリアでの写真や動画の素材を携帯やカメラの中から漁った。

昔からご縁の深いミラノをはじめ、今回は人生初のフィレンツェとベネツィアを含む3都市を廻る2週間の旅だった。

しかし、なんとそこには、僅か10分程度の動画1本さえ満足に編集出来るほどの記録が、ほぼ残されていなかったのである。

そんな状況に私は愕然としながらも、その不十分なアルバムから自分が持つ本心の存在に気付いた。

この、「記録が十分に残っていない」という事実こそが、私が求める理想の旅であり、本来の自分なんだと。 


当たり前のことでありながらも、いざ言葉にしてみると冷たく感じてしまうかもしれないが、私はファンの方々やフォローしてくれている方々の為に旅をしている訳ではない。

彼らに美しい世界を見せたいが為に空を飛んでいる訳ではない。

全ては本来、私が私を満たす為にしている事であり、それを自分以外の人間の視点を意識するが故に着色したり、必要以上のエネルギーを使って自分が思い描く理想通りにアウトプットをして、周囲にひけらかす意味はないのである。

そんな私は、このSNSという存在とその凶器に、自分の大切なものを捧げる覚悟はなかった。

「目的」と「手段」は気付かぬうちに反転し、人間に宿る全ての感覚を鈍らせる。本来その時、その場でしか体感することのできない貴重な瞬間を、目には見えない誰かに認められることだけに支配され、自分の目で直接見るよりレンズ越しに「今」を覗き、自分以外の何かに記憶させておくということがどれだけ虚しいことか。

私はそんな美しい五感を無下に扱っていた過去の自分に落胆し、それ以降はSNSから少し距離を置き、自分の「人間的生活」に目を向け始めた。


時代に逆らい森へ還る女

最近引っ越しをしたことをきっかけに「正しい衣・食・住」というものに目を向け、丁寧な暮らしをし始めた私は、今まで自分が如何に自分以外のものに生活を支配されていたのかを痛感した。

仕事の面でも、職業柄仕方がないことではあるが「他人にどう見られるか」ということに取り憑かれ疲弊していた私は、この"ライフスタイル見直し改革2019 秋"を機に、遂に目を疑うような願望を放った。


「森に行って妖精に還りたい…。」


30歳にして「将来の夢は森に行って妖精になること」と薄気味悪いファンタジーが自然と口から溢れるというのは、なかなかの重症である。

そして、言った私自身が一番引いている。

しかし、意外にも私の仲の良い友人たちは何故かこの私の戯事に賛同し「類は友を呼ぶ」という諺を深く噛み締め、なんとこの誰もが認めるシティガールの私が、この秋から定期的に山や湖など自然溢れる田舎町で、しっぽりとキャンプをしているというのだ。

澄んだ空気の中に一面に広がる自然が織りなす美しい彩りが目に心地よく、芳ばしい香りを放つ湿ったウッドチップが、歩く度に自分の脚を優しく包み込むあの感触。

日が暮れた後、星空の下で焚き火を囲みながら心の通う友人とコーヒー片手にたわいも無いことを語らい、黄金色に輝き燃え盛る炎を見つめながら、時折飛んで舞い散るパチッパチッという火の粉の音が耳に優しい。

私にとって、今やこのキャンプというものは、自分の心の中に眠る「静」と「動」を繊細に感じ取ることができる非常に貴重な時間となっている。


それにしても不思議だ。

テクノロジーが日々進化し、快適で豊かな暮らしをしているにも関わらず、私はそれに困憊し森で原始的な生活を求め、私たちから「感覚」を攫っていこうとする時代や進化という大波に逆らうかのように、人間本来が持つ五感を取り戻すことに必死なのである。

時代の進化によって得られる快適さや便利さというものは、言わばマイナスをゼロにするようなもので、人の心を満たすようなプラスαの感情を産み出すことはない。

一見豊かな環境で、豊かな暮らしをしていても、心の豊かさがそれに比例して大きくなるかと思えばそうでもなく、何故かどこか満たされないような乏しさを感じてしまうのである。


私はこうして、30歳にして突如「時々森ガール」へと転身し、日々の情緒と人間性のバランスを保ちながら、人間的生活と心を取り戻した自分を自然と愛すことが出来ている。

ソーシャルネットワークの世界の目に見えない遠い人々との関わりを大切にするのも勿論いいが、先ずは自分の日々の生活や心というものに目を向け、今目の前にいる大切な人たちにしっかりと愛を伝えて丁寧に生きてみるのも悪くない。

もし、そういった原始的な生活を欲することで時代に置き去りにされるというなら、私はそれで構わない。


窪 ゆりか

HP:https://www.yurikakubo.com/

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