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ギムレットを飲むには早過ぎる【下】

前回のお話、「ギムレットを飲むには早過ぎる【中】」を読んでいない方はこちらから。

酒と煙草と男と女

PM10:30

ホテルのロビーに先に着いた私は、落ち着きのない様子で約束の場所であるバーを地図で辿り、国際色豊かな人々が行き交う中、一人うろうろしながら彼と連絡を取り合った。


「やっと今クライアントとのディナーが終わって会計をしてるから、ちょっと遅れる。本当にごめんね!」

「もし良かったら、先にバーに入って待ってて」

「スタッフに、○○○号室の○○と伝えれば案内してくれるから」


私的には想定内中の想定内だが、彼はイタリア人らしく華麗に遅刻するのであった。

そして、次々と画面に流れ込む彼からのメッセージを眺めながら、今回の短期日本出張の期間、休むことなく毎晩接待に明け暮れる彼の状況が明るみになった時、遅い時間から会うことで彼を責めてしまった事を少し申し訳なく思った。

日本に滞在中、彼のプライベートな時間の隙間は本当にそこしかなかったのである。


「今タクシーに乗ったよ」

「やっと会えるのに遅れるなんて本当にごめん!」

「クライアントなんて嫌いだ!」

「もう少し!!」

「あと6分!!!」

と、実況中継かのように連続して表示される言葉をスクロールしながら、私は先に一人でバーに入るのをやめて、エントランスのドアが見えるソファに軽く腰を掛け、今自分の元へと向かっている彼をロビーで待つ事にした。

ガラスドア越しに次から次へと休む事なく車が乗り入れ、そのドアから降りて来る人々を一人ずつ遠目で確認しては、想像以上に徐々に早く、高鳴る鼓動を抑えるのに私は必死で、脚を組み直しては髪をかき上げるという癖が止まらなかった。


そして、忙しない車の波がぷつりと止まったその時だった。


スーッと一台のタクシーが止まり、静かにドアが開いた。


そこから降りてくる姿を見たいけど見たくないというホラー映画鑑賞にありがちな心理状態に陥りながら、遠くからずっと見つめながら彼を待っているという、何とも健気な忠犬女に成り下がるものかという謎のプライドと闘いながら私は顔を俯けた。

すると、「Heeeeeeeey!!」と、遠くの方から低く渋い声が私の耳に入り、ふと顔を上げた先には、優しい表情でこっちへと向かってくる紳士の姿がそこにあった。

「あぁ、これでもう引き返すことは出来ん」という諦めと、何とも言えない安堵感が入り混じる複雑な感情を抱きながら、私達は今までの論争を互いに許し合うかの様にゆっくりとハグをして、バーへと向かった。


夜景が一番綺麗に見える窓側の席を選び、四角いテーブルの角を挟んで右隣に座った彼は、終始両膝をきちんと私の方に向けてロックオン体勢準備万端。

私は「面倒くさい男世界王者なんかを相手に緊張して溜まるか!」と闘志をメラメラと燃やしながら、キリッとライムの効いたギムレットをオーダーしたが、すっかりそれが水であるかのように喉に流し込んでしまった。

彼は、まるでイエスかのように優しく微笑みながら私の手を握り、時には私の頬をそっと撫でながら、

「ここ10年ほど日本に通い続けたけど、美しいと感じた女性は君が初めてなんだ!」

「7ヶ月待って、最終的に君が会いにきてくれて嬉しいよ!」

と、早速嘘か本当か分からない彼ご自慢のヘリウム的愛の襲撃を開始。

私は、そんなハートマークが飛び交う先制ラブ攻撃に慣れた様子で、目には見えない鎧を何枚も装着し、パオロ・マルディーニと並ぶディフェンダーへと急成長するのである。

そして、鉄壁のガードの準備が整ったところで「うむ。苦しゅうない。続けよ。」と言わんばかりの余裕を装い、アルコール度数25度以上のギムレットを物凄いスピードでおかわりするのであった。

すると、空腹と緊張を誤魔化す為に急いで含んだお酒が回り始め、さっきまで隣に居た微笑みのイエスは何処へ行ったのか、I.W.HARPERを片手に葉巻を吸う彼の姿は、最早ただのマフィアにしか見えないのである。

そして、私たちはバーが閉まるギリギリに店を後にして、身体を寄せ合い部屋へと向かった。

マリアとマフィア

優しくエスコートを受けながらドアを開けてもらい、薄暗い部屋の中へゆっくりと進むと、壁一面にガラス窓が張り巡らされ、そこには東京らしい夜景が広がっていた。

私は、窓際の大きなソファに勢いよく座り、久しぶりに履いたきつめのヒールを脱ぐと、まるで家に帰ってきたかのように一気に緊張が解れ、その勢いで私たちは迷う暇もなくハグをしながらキスをした。

「この日をずっと待ってたよ」と彼は耳元で囁き、こう続けた。


「準備はいい?」


「僕は、いつでも準備できてるよ」



………………。



そらそーだわなぁぁぁああ!!!!

言うたら、あんたは7ヶ月前から準備万端だろうなぁぁああ!!

とツッコミたい気持ちをグッと堪え、私は彼の指す“準備”が何を示すのかを尋ねた。

すると彼は、私の腰に優しく回していた両手をゆっくりと解き、両手をそっと合わせながら



「ホットバス……(合掌)」



と、私との混浴を直談判してくるのである。


前回のやり取りとあい変わらず、謙虚な素ぶりで提案は至って大胆。

あの便利且つ罪深い合掌の絵文字が、まさかここへきて実写化すると誰が予想しただろうか。

そして、皆さんも想像して欲しい。

人々が眠りにつく真夜中に、美しい夜景の光が差し込む薄暗い部屋で、THE ダンディズム・オブ・マフィアが必死に拝み混浴を乞うその姿、その光景を。

そして向かい合う私達の立ち位置的に、夜景の光が私の背後から彼に降り注ぐ形となり、まるで私は完全にマフィアに崇拝される後光差すマリア様状態なのである。



ここ教会じゃねぇぇええからぁぁあああ!!!!

と思いながらも、不本意ながら似非マリア様と化した私は、このコントのような流れに上手く乗せられ、気付いた時には優しく両手を広げて「よかろう」と慈悲と懐の深さを見せるしかないのであった。


結局、私たちは彼がるんるん気分で用意してくれたバブルバスに浸かり、たわいの無い話をしながら冷えた身体を温め、彼は約束通りそれ以上に私を執拗に求めることはなかった。

広いベッドに横になり、タトゥーだらけの大きな腕の中でフーッと息を吐き、疲れきった彼はあっという間に静かに眠りについた。

あの、人類史上最強のめんどくさい男の面影は何処へ行ったのか、仰向けになり両手をお腹の上でそっと組み、まるでツタンカーメンのように行儀よく静かに眠る彼を横目に、私もそっと瞼を閉じた。


そして4時間後。

眩い朝日がほんの少しばかり顔を出し始めた頃、彼は関西出張の為、朝の5時には起床し準備を始め「君はここでもう少し寝てていいからね。」とベッドに蹲る私にそう言い残し、頰にキスをしてから彼は静かに部屋を後にした。

何とも言えない寂しさを覚えた私は、この大き過ぎるベッドに一人で眠りに帰ることが出来ず、再びバスタブにお湯を貯め、さっきまでの二人のベットの脱け殻を眺めながらコーヒーを入れた。

たった数時間前まで確かにそこにあったであろう夜の輝きが、まるで嘘であったかのように消えてなくなり、温かいコーヒーを片手に部屋から見下ろす朝の閑散とした街が、さっきまでの甘い夢から一気にほろ苦い現実へと私を引き戻した。

そして私は、彼が綺麗に並べて残していった数枚のジャケットとシャツを、彼の居ないバスタブに一人浸かり眺め、未だ頭に残り響くギムレットの痛みを感じながら、久しぶりに履いたハイヒールで痛めた踵をそっと撫でた。


おまけ

衝撃の夜から2日後、彼はイタリアへと帰って行った。

そして、私があの日偶然飲んでいたギムレットというカクテルに、『遠い人を想う』という意味が込められているだなんて、あの夜の私は全く知らなかったのである。

その後、彼から「一緒に過ごしてくれてありがとう」と感謝のメッセージが届き、彼は続けて「君は楽しんでくれたかい?」と優しく私を気遣った。

この調子で、ハートが舞い散るロマンティック街道を突っ走ってくれるのかと思いきや、彼は欲望を剥き出しに朝っぱらからこう続けたのである。



「次回こそは、君の身体と繋がりたい!」


…………………。



いい加減にしろ。


窪 ゆりか

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