イタリア・ブラーノ島での出会い〜人種という先入観の拭い方〜
それは、イタリアのヴェネツィアにある小さな島「ブラーノ島」へ行った時だった。
カラフルで色鮮やかな漁師たちの家が連なるブラーノ島は、人口3,000人ほどのとても小さな街。
ヴェネツィアから水上バスに揺られ、1時間もしないうちにたどり着いたブラーノ島は、ヴェネツィア本島とはまた違う美しさを持つ非常に魅力的な場所で、「本当にここに人が暮らしているのか?」と疑問に感じてしまうほど、まるでおとぎ話の世界に飛び込んだようだった。
ブラーノ島に上陸すると、先ずは観光客で賑わう細いメインストリートを通る。
脇にはずらりとブラーノ島の名産であるリネンやレースのお店、ベネチアンガラスのお店が犇めく様に並んでいた。
7月上旬のヨーロッパらしいカラッとした眩しい日差しがキラキラと差し込み、冷たく冷えたジェラートも一際美味しそうに見える。
島に到着した当初は、ここはもう島全体が完全に観光地とされてしまっているのだろうか…と思っていたけれど、途中から無数に現れる脇道に入ると、一軒一軒色やデザインの違うカラフルな家の二階には洗濯物がひらひらと風に揺られ、子供達が外で縄跳びや追いかけっこをして遊んでいる。
ブラーノ島に暮らす人々のありのままのリアルな生活が垣間見えた瞬間だった。
ヴェネツィアからブラーノ島に向かう水上バスには、ちらほらと中国人観光客がいるくらいで、アジア人は比較的少なかった。
毎日のようにたくさんの観光客が足を運ぶブラーノ島に「住民たちにストレスはないのか?」と考えながらも、明らかな観光客である私が現地の生活のエリアを跨いでも人々は嫌な顔一つせず、むしろそれが当たり前かのように、彼らが私を構うことはなかった。
そんな中、ちょうどこれからお店を開けようという一つのお洋服屋さんが目に入った。
恐らく現地の方であろう中年の美しいブロンドヘアが素敵な白人女性が淡々とお店の外のディスプレイを始め、そこに偶然並べられたラベンダー色のリネンワンピースに私の目は瞬く間に釘づけになった。
とても美しいリネン素材に日本ではまず見つけられないような絶妙なラベンダーカラー。女性らしい曲線のボディラインもとても素敵だった。
「これはいい!」と嬉しくなり、私はマネキンが着たそのワンピースに近づくと真っ先に目に入ったのは、マネキンの胸元に大きく"Don’t Touch!!-触らないで!!"と書かれた張り紙だった。
イタリアでは基本的に、ブティックなどで買い物する際の店内ディスプレイを勝手に触るのはご法度。
必ず店のスタッフに断りを入れてから、手に取るのがマナーとされていることを事前に知っていた私は「そういったルールを知らない観光客が、買うかもわからない商品をあれこれ勝手に触って、ディスプレイを乱してしまう事が多いんだろう」と思いながら、そのお気に入りのワンピースに触れることなくただただ眺めていた。
すると、その女性スタッフが偶然、ディスプレイのワンピースを眺める私を見つけて目が合った。
私はとっさに微笑もうとしたが、彼女は少し怖い表情で私を一瞬見つめ、何も言うことなく淡々と作業を進めて、サッと店内に戻って行ってしまった。
私はその時「あぁ、どうせまたマナーの悪いアジア人の観光客が興味本位でふらっと見に来ただけだろう」とでも思っているだろうと、少し寂しく感じた。
そう感じてしまった時点で、ここのお店に入るのは諦めようかな…と私の心は若干折れそうだったが、ちらりと見える店内にはどうやら素敵なお洋服が他にもあるようだとわかると私は居ても立っても居られなくなり、遂に気づくと店の入り口まで来てしまった。
"Buongiorno!−ボンジョルノ!"
と、ゆりちゃんお得意の今世紀最大の笑顔付きで、私はぎこちないイタリア語で彼女に挨拶をして店へと入り、
イタリア語があまり話せない私は店内を指差しながら、
"Can I look inside?−店内を見てもいい?"
と彼女に問いかけると、
先ほどの怖く堅い表情が瞬時に解け始め、
"Prego, prego!!−もちろん、見て行って!"
と笑顔で私を店内に案内してくれた。
私がイタリアを訪れて毎回感じるのは、お店に入るときやお店のスタッフに声をかける時に必ずイタリア語で挨拶することで、少なからず心を開いてくれる人が多いということ。
イタリアでは、ブティックに入る時と出る時に、きちんと挨拶をするのもマナーの一つ。日本では、無言で入店し無言で店を後にするのはよくあることだが、こういった挨拶のコミュニケーションを非常に重要視するのがイタリアという国。
こういった現地のマナーやルールを重んじ、挨拶などの簡単なフレーズでもいいので少しでも現地の言葉で歩み寄ることが、現地の人々と上手にコミュニケーションをとるコツでもある。
そして店内に案内された私は、店内にずらりと並べられたリネンのお洋服を一つ一つ丁寧にチェック。先ほどのラベンダーカラーも素敵だったけど、店内には他にもいい色合いのシャツが盛りだくさん。
思わずニヤニヤが止まらない私を見て、彼女もまた嬉しそうに1点ずつ丁寧に商品の紹介をしてくれた。どのお洋服も素晴らしく迷いに迷った挙句、私は 「このリネンシャツの色が本当に珍しくて素敵!ダークカラーだけど優しい色合いとっても綺麗だね!」と言いながら1枚のリネンシャツを買うことにした。
それに対して彼女は、自慢気に「そうでしょ?この絶妙な色合いが本当に素敵なのよ!私の母はすぐそこで仕立て屋をしていて、そこでこのリネンの洋服が作られているのよ!」とニコニコしながら話してくれた。
私「サイズはどれがいいかな?」
彼女「えっと、あなたが今手に持ってるのはSサイズ?」
私「そうそう、これはSって書いてあるよ。」
彼女「身体に当ててみて。そうね、あなたの身体ならSでぴったりよ。」
と、あっという間に親子のような会話が始まり、あまりに小さいあまり試着室のないお店でのサイズ選びは、大博打ながらこのイタリアンマンマに全てを託す事にした。
信じられないほどあっさりと「Sサイズにしろ!」と言うので、言われるがまま値段を見ずに素直に購入。
その後も、彼女はお店の商品の良さを嬉しそうに私に話し続け「こんなのも、あなたに似合うわね!」「このパンツなんかもあなたのスタイルにぴったりよ!」と楽しそうにスタイリングをして、最後には「もう他に買うものはないの?(ニヤリ)」と冗談を交わしてくれる彼女に、私もなんだか嬉しくなった。
そしてお会計の時、彼女は私に「私はあまり英語が得意じゃなくて上手に話せなくてごめんね」と言ってレジへ向かった。
私は「いやいや、そんなことないよ!むしろ私が"Buongiorno"しか言えなくてごめんね」と言いながら、イタリアン人あるあるの"私は英語があまり話せないんだ"と言いつつも容赦なくマシンガントークをぶっ放してくるイタリアン人が愛おしくて堪らないのである。
そして彼女はシャツを丁寧に梱包しながら「あなたはどこの国から来たの?一人なの?ツアーで来たの?」と私に尋ねた。
「私は日本から旅行で一人で来たんだよ。ツアーとかは私はあまり好きじゃないから、ゆっくり一人でその場所を楽しみだいんだ」と答えると、
「私は日本のことはよく知らないんだけど、息子が日本が好きだって言ってていたし、きっと素敵な国なんでしょうね」
「旅行は私もツアーは好きじゃないのよね〜、だからあなたが一人で来てるっていうのはとても素敵だと思うわ!賛成!」と笑顔で言った。
ここで買ったシャツは私にとって非常に思い出深い買い物であり、宝物となった。
正直なところ、ブラーノ島は小さくテーラーも同じ場所だからなのか、同じブランドのシャツが他の違う店でも取り扱っているのを多く見かけた。
いつもだったら「え?まさかこっちの店の方が安かったとかないよね!?」と一人価格ドットコム状態でケチん坊街道まっしぐらだっただろうが、この時は自然とこのシャツそのものがよくて欲しいというのに加えて「このイタリアンマンマから買いたい」という気持ちが強く、値段なんて正直どうでもよかった。
私がこのエピソードを通してみなさんに伝えたいのは「パッと見の初見で起こりやすい人種差別的なものも、その後のコミュニケーション次第で払拭できるケースも沢山ある」ということ。
きっと誰しもが、日々の生活の中で、目や耳などから入る情報や経験から先入観を持ち、少なからず差別的な言動をとってしまうことも無きにしも非ず。(極端な差別主義者は除く)
今回の場合、もしこのマンマが過去に散々アジア人の観光客からマナーの悪い振る舞いを受けて、既に「アジア人=マナーが悪い」という印象を持っていたとしたら、初見で一人ふらっと現れるアジア人の私に冷たく接するのは止むを得ない。
私が日本人であろうが結局アジア人はアジア人。彼らの眼に映る私は、どこか国を特定できるわけでもなく、見た目が何となく似ている「どこかのアジア人」なのだ。
それは簡単且つ極端に言ってしまえば「人種差別」と捉えられてしまうのかもしれないが、私は一方的に彼らを責める気にはなれないし、むしろこれは過去のネガティブな経験が生んだ「先入観」の一つであり「人種差別」には至らないと思っている。
しかも、その彼らが持つネガティブな経験を生んだ種は、もしかすると自分達にあるかもしれないということも理解する必要がある。実際、ヨーロッパなどの国々でマナーの悪いアジア人を見かけることが多く、そういった悪い印象を持たれても正直仕方ないと感じているというのが私の本音。
ただ、今回のケースが一つのいい例で、そういった事実を受け入れながらも多角的視点で客観的に考えた上で、他者が持つネガティブな先入観は自分のコミュニケーション次第でいくらでも変えることができて、いい関係性を自ら作っていけることもあるということを、知ってもらえたらと思う。
第一印象や初見の一瞬で、全ての人を「個」として見ることは非常に難しい。
「アジア人として括らないで欲しい」
「私は私だから、一個人としてみて欲しい」
という考えも分からなくはないが、見ず知らずの人間を、なんの区別もなく一つの「個」として見て扱って中身まで見ていくのは、言ってしまえば次のステップの話。
例え最初に先入観から悪い印象を持たれたとしても「あれ?この人意外といい人かも!」に変わればそれでいい。
きっと、その後には「いや〜最初は印象良くなかったんだけど、今は大好きだよ〜」なんて話せる日が来るかもしれない。
もし海外でこういったシチュエーションが起きた時は、多少ショックを受けたとしても諦めずに笑顔でコミュニケーションを取ってみてほしい。
「私は悪い人ではないから安心してください。神のお客様、降臨ですよ」と言わんばかりの大らかさで自分をアピールしてみてほしい。
もしかしたら、その後世界のどこかで新たに浮上するかもしれない「日本人、意外といい人なんじゃないか説」の第一人者に貴方がなるかもしれない。
ちょっとした出来事で敏感に「人種差別」とジャッジする前に、あなたからも是非ポジティブなアクションを起こしてみてほしい。
国が違えど、肌の色が違えど、言語が違えど、文化が違えど、結局は人と人。
窪 ゆりか
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