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窪さん、オーストラリアに入国拒否されるの巻【下】

これは、私がおよそ10年振りにオーストラリアへ渡航しようとした際に勃発した、近年稀にみる珍事件の話である。

これまでのストーリーをまだ読んでいない方は、是非「上」と「中」を事前に読んでからこちらを読み進めることを強くお勧めする。

1. 宣戦布告

何が何だか分からないまま刻々と時は過ぎ、あっという間に本来乗るべき機体への搭乗時刻を迎えたが、私は依然としてこの公開処刑の場に身柄の拘束を余儀なくされていた。

「直接オーストラリア大使館側と話してくれ」と、急に言い手渡された携帯電話は、今ではもうあまり見かける事のない折り畳み式のボロボロのガラケーで、薄汚れたストラップが揺れていた。

大勢の人々が混じり合う空港のチェックインカウンターは、常に辺り一帯がザワザワと煩く、英語がネイティブではない私にとってはかなり不利な状況の完全なるアウェー戦となった。

監督やチームメイト、及びサポーターも一切居ないという孤独な戦いがいよいよ幕を開けるのである。


“Hello? Can you hear me?"と簡素な開幕式の挨拶を私が述べると、電話の向こう側からは決してフレンドリーとは言い難い、恐らく推定30,40代くらいの中年男性であろう低い声が聞こえてきた。

すぐさま名前や生年月日などの本人確認から始まり、私は今回の片道チケットでの入国の理由や、オーストラリアでの滞在スケジュールなどを淡々と説明し、とりあえず自分がオーストラリアへ入国するにあたって何か疑われるような人間ではないということを、必死に証明しようとした。

しかし、大使館からの質問の嵐は止まる事を知らず、現地での滞在先は勿論、現地で誰と会うのかという質問へと話は変わり「現地で違う国から来る友達と合流する」と伝えると、彼はその友達の名前や年齢、職業、住所まで全てを今この状況で言えと言うのである。

日本の仲の良い友達ですら、年齢が不確かだったり住所が分からないなんてよくあることであるにも関わらず、彼は「友達なのにそんなことも知らないのか?」と私を如何にも嫌味ったらしく煽り、その友達との出会いから全てを説明しろと畳み掛けてきた。

適当に嘘をつけばよかったのかもしれないが、私という人間はこの様な悪質な尋問の圧力に屈する事なく、さらりと嘘をつけるほどの強靭なメンタルは兼ね備えてはいない。メンタル豆腐系女子。

そして、私は彼のこの余りにもナメた口調と度が過ぎる質問に徐々に積もる苛立ちをどうにか堪え「一時期仕事でバンコクに住んでいた頃に出会った友達だ」と答えると、彼はその言葉に覆いかぶせる様に「それはいつの話だ?バンコクのどこだ?バーなのか?レストランなのか?」などと出会いの経緯までを詳細に話せと言うのである。


何なんだ、この事情聴取は。

もしやこいつは、この様な妄想と尋問で何らかの快感を得ているのか?

そういうプレイなのか?


私はこんな状況が初めてと言えど、この電話越しの男の態度や口調で、彼が何らかの偏見や私情を挟んで本来の自分の仕事と関係なく私に当たっている事は明白だった。

2. 濡れ衣の重ね着

そして話は平行線のままゴールが見えることもなく、むしろみるみる悪い方向へとエスカレートし、私もこの状況に苛立ちが高まりピークを迎えるかというその瞬間、彼は遂に私に爆弾を投下した。


「どうせその男にオーストラリアで仕事をもらって、現地で金を稼いでそのままオーストラリアに永住しようと思ってるんだろ!!」


「俺は分かってるんだぞ!!!」



………。



はぁぁぁぁぁぁぁあああああ?????

何を素っ頓狂な事言ってるんだ、この野郎。

私の今までの冷静且つ丁寧な説明と説得も虚しく、その後も彼は、私がオーストラリアで永住権を狙っていると勝手に妄想しては、直接顔を見ずにやり取りが出来る上に、大使館側からすると母国語に当たる英語のみの会話だという事をいい事に、電話越しでひたすら私に侮辱を続けるのである。

平成の菩薩モデルと称されるこの私でさえも、何の根拠もなしに濡れ衣に濡れ衣を重ね着させるという、何とも無謀なコーディネートは着こなせる訳もなく、今回の件とは関係ない部分で人、及び女性を卑下し侮辱し続けるその姿勢に、私の怒りは既に怒り9合目を迎えていた。

そして、私は手をわなわなと震わせながら、怒りと虚しさで今にも涙が出そうだったが、皮肉の意味を込めて彼にこう言った。


「あのですね。私はただ1週間オーストラリアに行ってビーチでのんびりしたいだけなのに、一体それの何が問題なんでしょう?」

「本当にオーストラリアで仕事をする予定なんて一切無く、その証拠や確証もないのに、一方的にその友達の男から女として仕事や給料をもらって永住するだろうと疑うなんて、余りにも失礼過ぎやしませんか?」


すると、彼は少しだけ間を空けてゆっくりと口を開いてこう言った。



「いいか?」


「これがラストチャンスだ!!」


……。


「正直に全て話せっ!!!」




ええ加減にせぇ…

ええ加減にせぇやこらぁぁぁぁあ!!!!

このあまりに酷い態度と自惚れに、私はもう恥など省みる余裕なんぞ無く、お上品なレッドカーペットに置かれた貧民パイプ椅子から、ガバッと勢いよく立ち上がって憤慨した。

勿論、色々と泣き叫びたいことはあったが、日の丸を背負って南半球の一大陸を相手にしている私は、その溢れんばかりの怒りをグッと堪え、史上最低の罵倒の言葉を口から消化器へと戻し「お前なんて一生ベジマイトしか食べられない体にでもなってしまえ!」と切に願ったのである。

私はこの男との一連の騒動のおかげで、幸か不幸か既にオーストラリアへ行く気なんて綺麗さっぱり消え失せてしまい、先ほどの怒りによる手足の震えはピタリと止まって、もうETASなんてどうでもよくなっていた。

とりあえず私は、その最後の無駄な念押しの尋問に対し、あからさまな深いため息をつき「貴方に何度聞かれても答えは変わりません。何故なら、最初から私は貴方に全て正直に話してますから」とだけ言い残し、携帯電話をスタッフの元へ返した。


そして5分後、スタッフは私の元へ駆け寄りこう言った。

「お客様」

「非常に残念ですが、オーストラリア大使館の判断によりETASの取得が認められなかった為、今回予定されていたフライトにはご搭乗頂けません」

「そして、今後もしオーストラリアへ渡航する際、窪様の場合は今後電子ビザのETASが取得頂けないので、その際は直接オーストラリア大使館でビザの申請をし直して下さいとの事です」



こっここここの野郎ぉぉぉぉおおおお!!!

最後の最後まで、なんて嫌味な奴なんだろうか。

私はこの公開処刑の地で、長々と濡れ衣 on 濡れ衣の重ね着スタイリングでただただ罵られ、挙げ句の果てには今回だけでなく今後オーストラリアに渡航する際は、インターネットでのビザ取得を貴様なんぞには断固認めないの刑という、本来無罪放免であるべき私に対して、何とも小癪で卑劣な最終判決が言い渡されたのである。

私はその御達しに対し、思わず眉間に皺を寄せビザ取得の拒否理由を尋ねたが「オーストラリア大使館はその理由を公開する義務はない」として、口を閉じて私を冷たく突っぱねたのであった。

そして、私の怒りを逆撫でるかの如く「それでも、もしビザ取得の拒否理由が知りたいという場合は、次回オーストラリアに渡航する際オーストラリア大使館で再度ビザ申請し、次回もまた拒否された場合に初めてビザの取得拒否理由を当事者に公開する義務が適用されます」と、オーストラリアはひたすら私をあざ笑うかの様に見下すのであった。

3. 「差別」が生まれる時

私は途方に暮れた。

今回の想定外の成田空港日帰り旅行には、全くと言っていい程不必要なスーツケースを傍らに、これから旅立とうとする意気揚々とした人々の朗らかな表情を見つめて、今まさに自分の心の中に燃え上がる、怒りの灯火が時と共に弱くなるのを待ち続けた。

私は仏でもなければ神様でもなく、感情というものは勿論、108つ以上の煩悩をも兼ね備えた、非常に愚かな人間である。

勿論、今回起きた事件がどんなに酷な事であろうとも、全てのオーストラリアに関するものや、オーストラリアの方々全員が悪い訳ではないことは重々理解している。

しかし、日々の生活の中で「オーストラリア」というだけでその時の出来事を思い出し「オーストラリア」という大きな枠組み全体に嫌悪感を感じてしまう自分がいるのである。

私よりも悲劇に見舞われる人々が、この世には五万と居るだろうが、それでも不適切に阻害された人の悔しさや恨みとやらは、心底根深いことであろうとほんの少し気持ちが理解できた気がした。

それは国や人種、宗教の違いといったものだけから生まれるものではなく、例え同じ国や言語、文化という背景にあっても、会社や学校などといった複数の人間が交わる「コミュニティー」というものが存在すれば、どんなに小さな規模であっても十分起こり得る事なのだ。


この事件以降、オーストラリアでは大規模な森林火災が発生し、多大なる被害が出て募金を呼びかけられたが、案の定私は知らん顔だった。

どんなにコアラが辛そうに水を求めていようが、全くと言っていいほどに心が動かないのである。

動物園のふれあい広場で動物におやつをあげる時でも、私はオーストラリアの出身かもしれないカンガルーにだけは、おやつをあげなかった。

今回の私の空港での悲劇なんぞ知る由もない罪無きカンガルーが、私とオーストラリア大使館の男性スタッフとの関係性によって、差別的におやつがもらえないという飛んだとばっちりを受けるのである。

「冷たい」「残酷」と感じるかもしれないが、極論これが人間の真理なのである。


要は、たった一人の人間の言動一つで、その国全体のイメージを良くも悪くも作ってしまうことができるということなのだ。

そしてそれがネガティブに働いた時「差別」というものが、いとも簡単に生まれ、連鎖を起こすのである。

しかも、それは皮肉なことに、ポジティブなものよりもネガティブものの方が、圧倒的に早く広く浸透していくものなのだ。


皆さんは、自分の国から一歩でも外に出ようとした時、自分が海外から見た自国のイメージを背負っているという「責任感」を感じられるだろうか。

いくら「個」の時代とは言えど、面識のない人間を直ぐ完璧に「個」と認識し扱うのは不可能な事であり、よっぽど心の距離感が近くない限り、どこへ行っても結局は「あのアジア人」「あの日本人」呼ばわりなのである。

つまり、貴方が自国を出た瞬間、貴方はその自国の代表となるのである。

何と大袈裟で馬鹿馬鹿しいと感じるかもしれないが、貴方の言動一つ一つが世界から見た貴方の自国のイメージを作るのだ。



それからというもの、私は定期的にコアラのマーチやオージービーフを食すという、新手のリハビリを故意に自分に課して、今も尚オーストラリアを許せる日が来ることを願っている。


窪 ゆりか

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