「忙しい」は、何かが出来ない理由にはならない

効率的な人間で、無駄が嫌いなせいか、わずかな時間でも移動している時間がもどかしく、街中、オフィスの通路もスタスタ歩く。そのせいか、「忙しそうだね」と言われることが多い。しかし、個人的に「忙しい」という人が好きではない。たいてい、こちらから何かをお願いしたり、誘ったりした時の、断る常套句だ。そしてこの言葉を言われた時、「あ~、そうなんだ、じゃあ、しょうがないね」という気持ちになれず、むしろ、こちらは悪くないのに、「あ、そうなんだ、ごめん。。。」と、反射的に謝るってしまうことがある。

カナダのカレッジでマーケティングの授業で、”とあるお店の売り上げが伸びない原因を特定し、その対策をグループで考え発表する”というワークがあった。立地が悪いとか、宣伝が足りないとか、オーナーが掛け持ちをしていて忙しいなど、色々と理由を考えた。その時、先生が言った、

「忙しい」は、何かが出来ない理由ですか?これは”状況”を表している言葉

と。何かに時間を取られているから、本来やるべきことが時間が取れない。何に時間を取られているのかを明確に、それは本来やるべきことよりも優先されることなのかを考えなさい。それが”忙しいの理由”であり、経営がうまくいかない理由にもつながっていると説明した。

確かに「忙しい」は、何かが出来ない”理由”が全く含まれていない。もし、「明日の朝までまとめなくちゃいけない分析資料があって、まだ半分も終わっていないくて、今大急ぎでやってるから忙しいんだ」なら理解ができる。「そうか、他の人に頼んでみる、頑張ってね」と、快く他をあたることができる。が、「忙しい」で会話を終わらせようとする人は、そもそも、自分がなぜ忙しいのか、何に時間を費やしているのか、よく把握していないことが多い。それに人間は、

忙しい = 人から必要とされている人間

と思いたい節もある。「私は、多くの人に必要とされていて、たくさんの仕事を抱えている人気者なのよ。あなたのお願いに対応する時間なのて、あるわけないじゃない」と、見下しているような気持ちが入っているように感じるのは、私がHSPで、それは被害妄想だろうか。だとしても、こちらのお願いを断る理由もちゃんと説明できない余裕がないのは、その人の時間管理スキル、コミュニケーションスキルの問題で、他人のせいではない。

だから、人に「忙しい」と思われるのは、決して名誉なことではない。

追記:churo0522さんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございました。




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