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定例会議は不定期がいい

誰しもが、週1、月1の定例会議の予定が持ったことがあるだろう。その時間が来れば、会議室に行くか、もしくはオンラインミーティングのリンクをクリックして、誰かの話を聞いて(もしかしたら別のことを考えて聞いていないかもしれない)、自ら言葉を発することなく、時間が来たら終了して、自分の仕事に戻る。退屈な時間だ。

とある会社に勤めていた時、会議のアジェンダ、つまり議題が事前に知らされていなかった時、誰も来ないということがあった。そこで私は気がついた、

会議は、参加することが目的ではない

常にお互いに仕事の進捗状況を気にして、声を掛け合ったり、気になることがあれば、すぐに集まって話し合いができることが理想だ。だが、現実には、自分の仕事をこなすことで毎日が過ぎていく。上司や同僚がどんな仕事をしているか、関心を持つ余裕すらない。でも業務の中では、共有すべき課題や情報があるので、こうした会議でみんなに広く知らしめる。それが自分の業務に役立つことも大いにある。

だから、定例会議自体を決して否定はしない。問題は、

会議の開催頻度と方法

定例会議を開こうとなった時、何かしらの「目的」があったはずだ。そこから、開催頻度が決められた。だが、業務の進捗に伴い業務量の変化、またはクライアントや社会情勢の変化により、共有すべき情報や課題も必ず変化をしている。なばら、開催の意義を今一度検討し、開催頻度を見直せばいい。だんだん業務量が減ってきたり、プロジェクトが予定通り進んでいるなら、単純に会議の回数を減らすこともできる。もしくは、進捗状況だけをメールなどで一斉に知らせ、問題が起きそうな時(起きてからは手遅れだったりする)、意見を聞いたり、決断をする時だけに、会議として集まるなど、いくらでも変えようがある。特に議題がない日だって、年に何回かあるだろう。そういう時は、事前に「開催なし」にすればいいのだ。

ちなみに、私が一番最低だと思った定例会議は、開始から25分、上司達が会話をし、終了の5分前に「我々はこれからクライアントと定例ミーティングがある。みんなから何があれば、クライアントに伝えておく」が常套句だった。残り5分しかないのに、大事なことを、ホントに伝えたいことを言う訳がない。あの会議は今でも続いているだろう。

追記:inagakijunyaさんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。



「人生経験の引き出し」がいっぱいあります。何か悩み解決のヒントになる話が提供できるかもしれません。