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同じクラスのオナクラ嬢 第37話


 携帯電話の着信音で目を覚ます。
 少し手を伸ばせば届く距離にあるが、それをすることができない。
 なぜか。腕が縛られ、ベッドにくくりつけられているからだ。
 今は何時だ。九条友里さんに会いに行った唐沢晶はどうなったのか。
 電話は、五回コールが鳴った後、留守番電話サービスに繋がり、向こうから声が聞こえてきた。
『約束、して欲しいんだ』
 晶の声が微かに聞こえる。これは誰がかけてくれた電話なんだろう。
『もう、二度と正には会わない。もう、二度と正とは関わらないって』
『会わない! こんなことしてくる女の彼氏になんて、こっちだって会いたくもない!』
 これは、名越鏡花さんの声だ。ほとんど泣いている声をしている。
こんなこと?
 九条さんに何をしたんだ、晶。
 それを知る前に、時間になったのか留守番電話は切れてしまった。
 ほとんど何もわからなかったが、何かまずい事態になっていることはわかった。こうしてはいられない。晶がああいう行動をとってしまった責任は僕にある。僕も向かわないと。でも、どうやって。
 なんとか腕を強く胸の方へと引っ張るようにする。
 縄が手首に喰い込み、痛みだけが増していく。
 くそ、どうにかしないと。
 そういえば晶は部屋の鍵をかけたのだろうか。
 僕は、口に詰められていた物を、ぺっと床に吐き出す。晶の下着だ。僕の唾液でぐしゃぐしゃになった晶の下着を見て、なんとも言えない感情になる。
 とにかく、これで声を出すことはできる。
 もし晶が鍵をかけないで行ったのならば、今、大声を出せば、誰かが助けに来てくれるかもしれない。
 と、そこで僕は自分の身体に目線を落とす。
 身体中のあちこちにキスマークがついている。
 こんな状況で第三者を呼んだら、どうなる……?
 腕を縛られて、キスマークを全身につけた全裸の成人男性が、助けて―と大声を出しているところを見られたら、もっと大変な事態にならないか……?
 詰んだ。
 ゲームオーバー。
 いったい僕はどこで選択肢を間違えてしまったのか。
 少しでも平和的に終わってくれるよう、ただ願うことしかできない。
 ただ黙って、暗い部屋で天井を見つめていると、また意識が下がってきた。
 なんだか今日という一日をずっと繰り返しているような気さえしてくる。
 脳が、思考することを拒絶しているかのようだ。
 僕は、ほとんど無意識に目を瞑っていた。

「ただいま、正♥ 良い子にお留守番できたな♥ 偉いぞ♥」
 蛍光灯を逆光に、晶が僕を見下ろして微笑んでいる。
 今、帰ってきたのだろうか。
「ほら、ただいまのキスだ♥」
 晶はそのまま屈むと、横になっている僕に唇を重ねる。しっかりと舌を絡め、唾液を流し込まれる。もう何度も射精しているはずのモノが、それだけで元気よく主張をしてしまう。
「え、きも……」
 晶じゃない女性の声がした。
 え、と思って顔を向けると、なぜか、神永梨奈さんがドン引きした様子で棒立ちしている。
「なにその恰好……引くわー……」
「か、神永さん!?」
「ふふ♥ 私の彼氏、可愛いだろ♥」
「この女やっば……」
「え、な、なんで神永さんが!? あ、眼鏡してない!」
「いや今そこどうでもいいでしょ……」
「私が呼んだんだ。九条とふたりきりは気まずかったから、神永さんにも付き合ってもらった」
「く、九条さん!?」
 晶の口から出たその名前に、どきっとする。九条さんもここに来ているというのか?
「まあ、もういないんだけどね」
 神永さんはそう言うと、キッチンにあった麦茶のペットボトルが入っている段ボールに腰をおろして溜息をついた。
「い、いない……?」
「そう。正くんの家――ここに、あたしと唐沢さんと九条さんで沈黙のまま向かってた途中に、なんか、いきなり車が横づけしてさ。九条さんの妹さんが通院してる病院のスタッフとか言ってたけど、妹さんが大変なことになりました、とかなんとか」
「え……」
 九条さんの妹。九条紫乃ちゃん。彼女に何かあったのだろうか。
「それ聞いて九条さん、顔真っ青にしちゃって。乗ってくださいっていう病院スタッフさんに言われるがまま、その車に乗って、どっか行っちゃった。病院に向かったのかな」
「そ、それは、大丈夫なの?」
「さあ。でもあたしらがそこまで介入するのもなんか違うでしょ」
 神永さんは言い終わると眠たそうに欠伸をした。
「で、せっかくここまで来たんだし、お茶でもと思って。神永さんと一緒に来たんだ。待っててくれ神永さん。今、お茶入れるから」
「その前に正くん解放してあげたら?」
「えー、このままでも可愛いんだけどな」
「この女やっば……」
「え、なに?」
「確かに正くんのこの姿かわいいねー! ずっと見てれられそう!」
「は? まだ正に未練あんの? やっぱ削除するしかないか」
「正解ルートなしかよっ! うそうそっ! 正くんとは唐沢さんが一番似合ってるよ! あたしなんか出る幕もないね! ひゅーひゅーっ!」
「そんな、本当の事言われると恥ずかしいな……。ありがとう、神永さん。今、お茶淹れるから待ってて」
「助かったー! あぶねーっ!」
「あの……縄ほどいて……」

 ずずず、とお茶を飲む音が部屋に響く。
 僕と、晶と、神永さんは、三人揃って、兄から貰ったカステラが並べられた丸テーブルを囲み、正座して玉露を飲んでいた。拘束から解放され、服を着て、ようやく人間に戻った気分になれたが、それにしてもなんだろうこの空間は。神永さんも今にも「なんだよこの空間。あたし帰るわ」とでも言いたげな顔をしている。
「なんだよこの空間。あたし帰るわ」
 言った。
「でも良かったね、正くん。急に九条さんが離脱して。もしあのまま九条さんも一緒に来てたら、今頃ここは地獄と化していたはずだよ」
「ならないよ」
 晶がはっきりと言う。
「だって、正ならすぱっと言ってくれたはずだ。私の方が好きだって。そうだろ?」
「というか、そもそも、どうして3人で来る、みたいな話になったの……?」
「ああ、そうだ。聞いてくれ」
 晶は湯飲みを置くと、僕に顔を向けて言う。
「私が問い詰めたら、あの女、開き直ってさ。好きになっちゃったんだから仕方ないじゃん、なんてほざいてさ。なんだっけ。ああ、そうだ。もう正と会うなって私が言ったら、無理ですとか言って。無理です、好きになってしまったので、だって。うっざ」
「えっ……」
 ――無理です、好きになってしまったので。
 なぜか、その言葉が妙にひっかかった。
 瞬間的に、記憶の奥底にある扉が、少し開くようなイメージが脳に流れる。
「あの女、なんて言ったと思う? 正は私よりも自分の方が好きなんだって。笑える。そんなわけないのに。な、正」
 今の感覚の正体が何かと、記憶の海に思考をダイブしていたら、すぐ近くに晶の顔があり、手にはカステラを切る用のフォークが強く握られている。
「は? なんで即答しないんだよ。なあ。私のこと好きだろ。そうだと言ってよ」
「た、正くん! 隙を見せるな! やられるぞ! とりあず唐沢さんの方が好きと言っとけ!!」
「晶の方が好き」
「このカステラ美味しいな。今度お兄さんにお礼言わないと。いずれ家族になるわけだし」
 晶は上機嫌だ。
 その時、机の上に置いていた携帯電話が音を立てて振動した。
 画面では、番号のみで名前が出ていない。晶にデータを消された知り合いからか、あるいはまったく別の赤の他人からか。
「だれ? 女じゃないよな?」
 晶が冷たい視線を僕に向けるが、出ないわけにもいかない。
「はい、沖内です――」
『あ、沖内、くん? 私、名越です――』
「名越さん? どうしたの?」
「なんだ、負け犬か」と晶が安心したようにお茶を飲み、神永さんが「口に出しちゃうのやっば……」と肩を縮こませてカステラを食べている。
『色々と言いたいことはあるんだけど、取り急ぎ、友里ちゃんって、そっち、行ってる?』
「九条さん? いや、晶たちの話では、妹さんが大変な状態だからって、迎えに来た病院スタッフの車に乗って行ったって――」
『そんなわけないっ……!!』
 名越さんが、悲痛な声を出した。それはほとんど叫びに近い。
「え――」
『だって、紫乃ちゃん、今、私と一緒にいるしっ……!! 私のせいだっ!! 私が、ついていればっ……!!』
「……どういうこと? 名越さん、落ち着いて――」
『ごめん、私たち、友里ちゃん探すから切るね! ありがとう、それじゃあ――』
「名越さんっ!」
『は、はいっ!?』
「僕たちも一緒に探す。人が多い方が絶対に良い。だから、とりあえず情報を共有しよう」
 嫌な予感がした。
 妙なざわつきが胸を支配する。
「……正、どうした。九条さんに何かあったのか?」
 晶が、不安げに僕を見てきた。さっきまでの顔とは全然違う、僕がよく知っている晶の表情に戻っていた。
『沖内くんっ!』
 電話の向こうで、名越さんとは違う声で、呼びかけられた。聞き覚えがある。この声は――。
『どうしようっ、おねえとっ、連絡取れなくてっ……!! こんなこと初めてでっ……!! 沖内くん、助けてっ……!!』
 会ったときは、とても冷静で、感情がほとんど揺さぶられないような子なんだと感じた紫乃ちゃんが、こんなにも必死な声を出していることに、こちらの胸の奥が締め付けられるような気分になる。
「え、なに、病院スタッフじゃなかったってこと……?」
 神永さんが、口許に手を当てて、顔を青くする。
「くっそ! ごめん、あたしが気づいてればっ!」
「いや、私のせいだ。取り乱してたから、注意してなかった。ごめん……」
「誰のせいでもない」
 僕は言う。
 つい口を出た言葉だったが、本当にそうか、と思う。
 もとはと言えば、全部僕のせいではないのか?
 あの日、僕が九条さんの家に行かなければ。
 ああ、だめだ。
 今はこんなことを考えていても意味がない。
 責任の所在を考えるのは、全部が終わってからだ。
 大事なことが、大切な人が、手遅れになる、その前に――。
「一旦、合流しよう。名越さん、紫乃ちゃん、僕たちもそっちに行くから。場所教えて。……うん。わかった。すぐに行く」
 九条さんの顔が、姿が、声が、脳裏に浮かびあがる。
 どうか、お願いだから、無事でいてくれ。
 晶と神永さんに声をかける前に、ふたりは立ち上がっていた。
「あたしを欺くなんていい度胸してるじゃん。後悔させてやる」
「早く行こう、正。何かあってからじゃ遅い。迎えに行くんだ」
 このふたりが味方でいてくれるのは、とても頼もしいし、心強い。
 ああ、そうだ。
 九条さんのところに行かなきゃ。
 そこで、あの日伝えられなかったことを、伝えなきゃ。
 言わなきゃいけないことを、言わなくちゃ。
 だから。

 だから、待っていてくれ、九条さん。

 扉を開ける。
 夏の夜の湿った風が、頬を撫でる。

 今にも雨が降ってきそうな重たい空気の中に、僕たちは踏み込んでいった。

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