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同じクラスのオナクラ嬢 第27話

 冷たいものを額に当てられた感触に、はっと目を覚ます。
「おはよう、友里ちゃん。意識戻った?」
 見慣れた天井がまず目に入り、頭上からは名越鏡花の声が降ってきた。
「え、鏡花……? ここどこ……? まるで私の家みたいだけど……」
「まるでっていうか、友里ちゃんの家だよ。ほら、愛しの妹ちゃんもいる」
 視線を向けると、湯飲みを両手に持っている紫乃の頭を、鏡花が撫でているのが見えた。どうやら私は自分の家のリビングのソファーに横たわっているようだ。
 額に手を伸ばすと、アイスノンが置かれているのがわかった。起きようとすると、ずきんと頭が痛む。
「あれ……私なにしてたんだっけ……」
「ゼミの後に、沖内くんたちと居酒屋行ってたんだよ。それは覚えてる?」
「あ、うん……。そうだ……ね。行った気がする」
「で、お酒飲んで、ぶっ倒れちゃったんだよ」
「えっ!? 私、飲んでないもん!!」
「いや、もんって言われても、飲んだからそうなったんでしょ。良くないよ、皆に迷惑かけるの。ね、紫乃ちゃん」
「良くないよー」
 鏡花にも紫乃にも注意をされて、恥ずかしくなる。でも、飲んでないのに。やっぱり、あれ、お酒入ってたのかな……?
「あれ、でも、鏡花いなかった……」
「そうだよ。私は呼ばれて行ったからね。沖内くんに。そうそう、私が行くまで沖内くんが友里ちゃんのこと介抱してたから、後でちゃんとお礼言わなきゃだめだよ。ね、紫乃ちゃん」
「だめだよー」
 鏡花が、紫乃の頭を撫でている。
 そうなんだ。沖内くんが、鏡花を呼んでくれたんだ。それは申し訳ないことをしてしまった。
 どうにも居酒屋での記憶がはっきりしない。少し気持ち悪くなって、トイレに席を立ったような気がする。それから、トイレを出て、沖内くんと会ったような。うん、会った。それで、どうしたっけ? あれ? 一緒にトイレに入った? うん? あれ? ん?
 徐々に、記憶の輪郭が戻ってくる。
あの時、私は、トイレで、沖内くんと――。

――まだ、出したら、だぁめ♥
 ――ちゅっちゅっちゅっちゅっちゅっちゅ……。
――はーい、ぴゅっぴゅ……♥ ぴゅくぴゅく……♥ どっぴゅ……♥
――白いおしっこは、出さなくていいの……?

「えっろいことしてる!!!」
「わっ、なに、友里ちゃん。私、紫乃ちゃんの頭撫でてるだけだけど!?」
「えろいことされてたの、私!?」
「ち、違うの! ふたりがしてるとかじゃなくて! ごめん、なんでもない!!」
 顔が一気に赤くなる。
 お酒が入っていたのかもしれないとは言え、どうして私は、あんなことをしたんだろう。
 相手が沖内くんだと、どうして、私は――。
「まあ、でも。ちゃんと意識戻ったようで安心した。じゃあ、私は帰ろうかな」
 立ち上がる鏡花に、紫乃が「えー、久しぶりに会えたのにもう帰っちゃうの……?」と寂しそうな声を出す。
「一生ここで暮らすから、よろしくね、友里ちゃん」
 紫乃を後ろから車椅子越しに抱きしめ、鼻血を出しながら鏡花が言っている。
「それは別にいいけど。そうだ、体調は大丈夫なの?」
「体調?」
 鏡花は、なんだっけそれ、とでも言わんばかりの顔をしてから、「あー……」とどこか言いづらそうに頬を掻いて、「ああ、うん、もう、全然元気。超元気。心配かけてごめんね」と微笑む。それなら良かった。
「ゼミ、ひとりぼっちで寂しくなかった? 友里ちゃん人見知りだから鏡花ちゃん心配」
「べ、別に鏡花がいなくてもみんなとちゃんと話すから。神永さんも、唐沢さんも、沖内くんもみんないたし」
「唐沢さんと沖内くんね。優しいもんね」
 あれ、神永さんは?
「別に、深い意味はないんだけどさ」
 鏡花は、紫乃の頭に顎をのせながら、聞いてくる。
「今日、沖内くん、どんな様子だった?」
「え? 沖内くん? 別に、いつも通りだったと思うけど。あ、でも、ちょっと遅刻気味だったかな。どうして?」
「んー? いや、ホントに深い意味はないんだけど。へえ。そっか。いつも通りかぁ」
 小さく、「それはそれでむかつくな」と呟いたようにも聞こえたけれど、そんなことを言う理由がないのでおそらく私の聞き間違いだろう。
「その沖内くんって、どんな人なの?」
 紫乃が、鏡花を見上げながら言う。珍しいな、紫乃が他人に興味を持つのは。それも、男性に。
「格好良いの?」
「んー……まあ好きな人は好きなんじゃないかな」
「鏡花ちゃんは沖内くんのこと好きなの?」
「え“っ!? べ、別に!? なんとも思ってないけど!! 空気だよ空気!!」
 なんだろう。鏡花が狼狽しているような気がする。珍しい姿だ。何、「え“」って。どこからそんな声が出せるのか。私にはとても出せないな、と思わず笑ってしまう。
「おねえは好きなんだよね?」
「え“っ!? な、なんで!? 意味わからないんですけど!?」
「あ、友里ちゃんがうろたえてますよ、紫乃刑事」
「うーん、これは死刑」
「失われた三権分立! なにが死刑なの!?」
「なんか最近、おねえから男の匂いがするんだよね……」
 紫乃が目を光らせながら言う。
「ほう。詳しく聞きたいものですな」
「な、何もないから!!」
「でも、おねえ、この前その沖内くんと電話してニヤニヤしてたよね」
「ほう。それは決定的ですな。どうなんですか友里被告」
「してないから!! いや、確かに電話はしたけど!! ニヤニヤはしてない!!」
「必死ですねえ」
「必死ですなあ」
「意味わかんないっ!! 沖内くんとは、別に、そういうのじゃないからっ!!」
 なんだか顔が熱い。私は両手で顔にぱたぱたと風を送る。
「ふうん。じゃあ、どういうのなの?」
 鏡花が、目を細めて聞いてきた。
「どう、って……。友達、っていうか、ゼミ仲間っていうか……」
「それだけ?」
 さっきまでの冷やかすような目つきや口調ではない。なんだろう。どうしてこんな確認をされるのだろう。
「そ、れだけ……っていうか……」
 それだけ、と言うのは嘘になってしまう。トイレでしたことや、空き教室でしたことを思い返すと、とてもそれだけとは言い切れない。
「どう思いますか、紫乃刑事」
「うーん、これは死刑」
「さ、裁判長!」
 夜更かししていた紫乃裁判長を寝かしつけてから、私は鏡花をマンションの下まで見送ることにした。
「わざわざ、見送りなんていらなかったのに」
 鏡花が、マスクとサングラスをつけながら言う。まるで芸能人みたいだな、と思った。
「ううん。ちょっとでもね。今日は送ってくれてありがとう」
「お礼は、私じゃなくて沖内くんにしてあげてね。この後、電話してあげなよ。沖内くんもきっと喜ぶよ」
「喜ぶかどうかは……。まあ、電話はするけど……」
「あと、さ」
 鏡花がくるりと身体を反転させて、私に背中を向けた。
「欲しいものは、積極的に手を伸ばさないと、誰かに取られちゃうよ」
「……?」
 いきなり、なんの話だろう。
 欲しい物の話とか、したっけ。
「せっかく身を引いた人だって、本命がもじもじしてたら、じれったくなって、また手を伸ばすこともあるかもしれないし」
「なんのこと……?」
 はは、と鏡花が小さく笑ったのが聞こえた。
「やらない後悔よりも、やる後悔の方が精神衛生上良いらしいよ。この前、講義でそう言ってた」
 そう言い残すと、鏡花は手をあげて、タクシーを捕まえると、さっと乗り込んでしまう。
「あっ、おやすみ。今日はありがとう」
 無言で、鏡花は手をひらひらと窓越しに振った。
 タクシーが見えなくなるまで見送ってから、私も戻ろうとマンションのエントランスに向かう。
 その時――。
 カメラのシャッター音のような音が聞こえた気がして、振り返るが、そこには暗闇だけが広がっていて、街灯の下にも何もない。
(気のせい……かな?)
 私は思考を振り払うように頭を振り、早足でエレベーターに向かった。
 部屋に戻ってから、お礼を伝えようと沖内くんに電話をかけたが、彼は出なかった。

 大学三年の前期試験がすべて終わった。
 教室を出ると、椅子に座って携帯電話を弄っていた鏡花が、私に気づいて手を挙げた。一緒の講義の試験を受けていたが、先に終わった鏡花が教室の外で待っていたのだ。
「結構かかったね、友里ちゃん。ラストの問題? あれ意地悪だよねー。あんな問題作るから篠田教授は独身のままなんだろうね」
「それは知らんけど……」
「それじゃあ、晴れて自由の身だし、見に行こう! 楽しみ!」
 今日は鏡花と試験終わりに浴衣を見に行く約束をしていた。地域の夏祭りが明後日にあるので、それ用に買いに行こうと鏡花から提案されたのである。夏祭りはゼミのみんなと一緒に見て回る予定なので、それを思うと試験が終わったことも相まってどうしても気分は弾む。
「友里ちゃん、絶対浴衣似合うからなー。私に任せて。完璧に仕立てるから。その代わり後で写真撮らせてね」
「鏡花もね。一緒に写真撮ろ」
「ま"? 一生の宝になるじゃん」
「大袈裟すぎる」
 そんなことを言いながら大学の正門を出ると、また、あの時マンションの前で感じた視線のようなものを感じて、振り返る。しかし、やはり誰もいない。
「……友里ちゃん?」
 鏡花が、怪訝な顔を見せる。
「何かあった?」
「いや、気のせいだとは思うんだけど……」
 私は、あの日の夜、マンションでシャッター音のようなものが聞こえたことについて鏡花に話す。自意識過剰だと思うんだけど、という私に、鏡花は口元に指を当てて、真剣な口調で言う。
「友里ちゃんは、可愛いからね。ストーカーとかは十分あり得る。相談だけでもしに警察に行こうか」
「え、大袈裟だよ」
「……そうかなあ」
 まあ、でも、と鏡花は私の腕を組んで、明るく言った。
「何かあったら、すぐに言ってね。友里ちゃんのことは、この鏡花ちゃんが守るから」
「あはは、ありがとう」
 気のせいであろうことにも対応してくれる頼もしい友人がいてくれて、私は幸せ者だなぁと思う。

 結果から言えば、それは気のせいではなかった。

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