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同じクラスのオナクラ嬢 第29話

 掃除機をかけ終え、額の汗を拭き、綺麗になった部屋を眺めて「良し!」と私は満足する。普段から汚さないようにはしているけれど、掃除をした後は気分が良くなる。
 紫乃はリビングの入り口付近で読書をしていた。今日は、病院に行って下半身のリハビリをする日で、もうすぐ、お迎えのスタッフさんも来てくれる時間のはずだ。紫乃は、本から視線を外すことなく、口を開いた。
「……今日、誰か来るの?」
「え? なんで?」
「なんか、おねえ、張り切って掃除してたから」
「あ、ああ、うん、まあ、友達がね」
「沖内くん?」
「っ! ど、どうして!」
 紫乃は視線をこちらに向けて、目元と口元を緩ませた。
「当たり? へえ。沖内くん来るんだ。どうせなら見たかったな。残念」
「見せられるような面してないから!」
 照れ隠しに酷いことを言ってしまったような気がする。
「妹がリハビリ頑張る中、おねえは部屋に男連れ込んでよろしくするんだね……」
「変な言い方しないで! よろしくって何!? ご飯食べたりするだけだから!」
「まあ、別になんでもいいけど――」
 紫乃は車椅子を操作し、私に近づき、私の手にそっと触れた。
「私は、おねえが幸せになってくれたら、それだけでいいよ」
「……紫乃」
「嬉しいんだ、私。最近おねえが、楽しそうっていうか。明るくしてて。おねえが元気だと、私も頑張れる。それが、その沖内くんのおかげかどうかは知らないけど。もしそうなら、私も、沖内くんに感謝しないと」
 私の手を、自分の額に当てる。
「……うまく行くと良いね」
「だっ……」
 だから、そういうのじゃない。
 そう言おうとして「じゃあどういうのなのか」と自分が自分に問いかけてきた。
 いったい、お前は、沖内正とどうなりたいのか。
 いったい、お前は、沖内正をどう思っているのか。

 ――男なんて、ゴミしかいないんじゃなかったの?

 私は、もうひとりの私に、何て答えたらいいのかわからず、言葉に詰まってしまった。
 部屋のチャイムが鳴り、「あ、加藤さんかな」と紫乃が玄関の方へ向かう。
 はっ、と意識を戻した私は、テレビドアホンを確認し、病院スタッフの加藤さんの姿を確認してから、入り口のドアのロックを解除した。
 紫乃を加藤さんに預け、「よろしくお願いします」と頭を下げる。紫乃はにやにやとしながら「私、今日、帰り遅くなるから……その間部屋で何かあってもわからないな……」と含みを持たせた台詞を吐く。こいつ、昼ドラとかの見過ぎじゃないだろうか。
 車を見送ってから、部屋に戻る。姿見で自分の服装をチェックし、少しスカートが短すぎるかな、と思いながらも、ソファーに座った。そこで一息吐いて、冷静になると同時に、自分が男の子を部屋に呼んだという事実に、緊張感がこみあげてきた。そんなこと、これまでの人生で初めてだったからだ。
(え、今から、沖内くん、来るんだよね……私の家に……)
 じわっと手のひらに汗をかく。
 自分で呼んでおいて、今更ドキドキしてきた。男の人が、自分の部屋に入るんだ。それって、凄いことだよね。え、何すればいいんだろ。どうしてればいいんだろ。私、変じゃないかな。服とか気合入り過ぎてない? 外出るわけでもないのに化粧ばっちり過ぎない? 引かれない? 大丈夫?
 どのくらいそうしてじっとしていたのかわからない。
ばくばくと心臓が高鳴っている時に、インターホンの音が部屋に鳴り、心臓が口から飛び出て私は死んだ。なんとか身体の中に心臓を戻して立ち上がり、テレビドアホンを見ると、そこに、沖内くんが映っている。
(ほ、ホントに来た……!)
 私が呼んだのだから来るのは当然なのに、ついそんなことを思ってしまった。

 ――この前は、居酒屋で迷惑かけちゃってごめんなさい。そのお礼がしたいから、会えませんか?
 2週間ほど前、その日休んでいた鏡花を除いたゼミのみんなで居酒屋に行き、不意のアルコールで倒れてしまった私の面倒を見てくれたのが沖内くんだ、ということを聞いた。そのお礼を伝えようとその日電話をかけたのだが、夜遅かったこともあってか、電話は繋がらなかったため、後日、トークアプリでそのメッセージを送っていた。ゼミで会った際に、「お礼なんていいよ。あれから何もなくて良かった」と沖内くんは優しい言葉をかけてくれたが、それだと私の気が済まない、ということで今日家に呼んだのである。
 ご飯作るから、私の家で一緒に食べようと。
 よく考えるとそれがちゃんとしたお礼になるのかどうかわからないのだけど、鏡花が「家に呼んで手作り料理とか振舞えば良いんじゃない? それでオトコロだよ。あ、オトコロっていうのは、男なんてイチコロの略ね」と提案してきたので、それをそのまま使わせてもらった形だ。
 沖内くんは、喜んでくれるかな……?
「すごい、立派なマンションだね」
 沖内くんの最初の一言は、それだった。
 靴を脱ぎながら「玄関も広い!」と興味津々と言ったようで、きょろきょろと見回している。子供みたいで可愛い。
「ここに、妹さんとふたりだけで住んでるの?」
 妹の話は、以前、ふとした時に話をしたことがあった。
「うん。今日は病院行ってるんだけど」
 リビングに案内をすると、沖内くんは目を輝かせて「うわ、広い! 綺麗!」と感嘆している。掃除しておいて良かった。
「今、ご飯準備するから。そこに座って待っててね」
「うん!」
 さっきまで私が座っていたソファーに座り、落ち着かない様子でまたきょろきょろとしている。
 私の家に、男の人がいる。
 その光景がなんだか新鮮で、なんとも言えない気分になった。
 キッチンテーブルに、コーンポタージュとデミグラスハンバーグ、ボロネーゼを並べて、沖内くんを呼ぶ。沖内くんは、食卓に並んだそれらを見て「うわ、美味しそう! 凄い! レストランみたい! 凄い! 美味しそう!」と嬉しそうにしている。
「お、大袈裟だよ」
「え、だって、凄い! 美味しそう! 待って! 美味しそう!!」
 語彙力失ったの?
 そう思いつつも、素直に感情を出してくれている様子が嬉しいし、可愛らしくて、胸の奥がぽわっと温かくなる。男の人に、こんな感情を抱くことが今まであっただろうか。
「料理上手なんだね、九条さん」
 まだ食べてもいないのに、そんな嬉しいことを言ってくれる。
「そう、かな? 自分ではわからないけど。まあ、小さい頃から料理はしてるから。ごめんね、こんなので、お礼になるかわからないんだけど」
「なりまくりだよ! むしろこんなにしてもらって良いの!? だってこれ……美味しそうだよ!? 九条さん凄い!」
「わ、わかったから……」
 そんなに何度も褒められると恥ずかしくなってくる。
「じゃあ、温かい内に、どうぞ」
「うん、いただきます!」
 沖内くんが、私の料理を口に含む度に「え、美味しい」とか「ミシュランなの?」とか「食べるとなくなっちゃう……悲しい……」とか「ここに住みたい」とか「毎日食べたい」なんて言うものだから、照れくさくて、味がわからなくなった。美味しくできているのか不安だったけど、嬉しそうに手料理を食べてくれる沖内くんを見ていると、それだけで私も嬉しくなり、作って良かったな、と思う。
「「ごちそうさまでした」」
 ほとんど同時にご飯を食べ終えて、一緒に手を合わせた。
「美味しかった! ありがとう!」
 沖内くんはそう言うと椅子から立ち上がり、空になった食器を持って「シンクまで運べばいい?」と聞いてくる。
「え、置いといていいよ。私、やるから」
「これくらいはするよ」
 ご機嫌に、鼻歌交じりで食器をシンクまで持って行ってくれる。その後ろ姿を見ていたら、とくん、とくんと、心臓が妙な音を出したように感じた。
 きゅっ。
 ほとんど、無意識だった。
 気がついたら、私は立ち上がって、沖内くんの服の裾を、握っていた。
「……え?」
 沖内くんが私の方を振り向く。
「あ、あの、ね。さっきも言ったけど」
 私は、沖内くんを見上げるように覗き込む。顔が少し熱い。もしかしたら赤くなっているかもしれない。
「この家、私と妹しか住んでないんだけど……」
「う、うん」
「妹、今日は、病院に行ってるから……今、誰もいないんだ」
「あ……」
「だから……なんでも、できるよ……」
 きゅっ。
 指に、力が入る。
「もっと、お礼、させてほしい……」
「九条さん……」
 はぁ、はぁ、と自分の息がいつもより荒くなっているのを感じる。やだ。はしたない女って思われたくない。でも。どうしようもない。沖内くんのことを想うと、変な気分になる。
 これがどういう感情なのか、私には、よくわからない。
「…………っ」
 沖内くんは、苦しそうな表情をしたかと思うと、優しく、私の指を、自分の服から離した。
(えっ……)
「……ごめん、九条さん」
 そして、私の肩に手を置いて、ふたりの距離を少しだけ離すようにする。
「もう、今までみたいな……ああいうことは、できないし、しない」
 きゅぅ。
 胸の奥に、痛みが走る。
「え……」
「晶――唐沢と、恋人同士になったんだ」
「えっ、えっ……」
 なに?
 何を、言っているの?
「だから、もう、九条さんと、ああいうことは、しない。ごめん」
 え。
 唐沢さん?
 唐沢さんって言った?
 あれ?
 だって、唐沢さん、は、好きな人いる、って。
 あ。
 そっか、そうだよね。
 そっか、あれ、沖内くんのことだったんだ。
 なんで気がつかなかったんだろ。
 
――で、あの……プロポーズ、されちゃいました……
――相談に乗ってくれた九条さんには、伝えておきたくて……

 なにそれ。
 馬鹿みたい。
 悲しみとは違う。悔しさとも違う。
 この感情は、なんだろう。
 ああ、まただ。
 また、私が良いなって思った人が、別の人に取られちゃう。
 うん、そうだよね。
 私、沖内くんのこと、良いなって思ってたんだ。
 気づいたよ。私は、沖内くんのこと、好きなんだ。
 なのに。
 なんで。
 なんでみんな、私のところには来てくれないの?
 ちやほやするくせに。褒めてくれるくせに。欲情するくせに。
 酷いよ。酷い。酷い。酷い。酷い。酷い。

――沖内くんが、友里ちゃんのことを他の誰よりも好きなら、だけど
――欲しいものは、積極的に手を伸ばさないと、誰かに取られちゃうよ

 諦めてきた。
 今まで、ずっと。
 手に入らないものは仕方ないって。
 ずっと、ずっと、そうだった。
 でも――。
 顔を上げる。
 すぐそこに、沖内くんの顔がある。
 やだ。やだ。やだ。
 取られたくない。
「そう……なんだ……」
 苦悶しているような表情。
「唐沢さんと……恋人同士になったんだ……」
 どうしてそんなに苦しそうなの?
 本当に強い意志があるなら、そんな表情には、ならないよね。
「それなのに……」
 だいたい、さ。
 私を虚仮にしていい男なんてこの世にいないし、いたらいけないんだよ。
「私の家に、来ちゃったんだ……?」
「……っ」
 私に関わったこと。
 私の人生に中途半端に介入してきたこと。
 絶対に後悔させてやる。
 絶対に屈服させてやる。

「沖内くん。私、沖内くんのこと好き。大好き♥」

 覚悟しておけ、沖内正。

ん? サポート、してくれるんですか? ふふ♥ あなたのお金で、私の生活が潤っちゃいますね♥ 見返りもないのに、ありがとうございます♥