同じクラスのオナクラ嬢 第38話
唐沢さんと神永さんと私の3人で、正くんのアパートに向かっているところだった。
大きめの黒いワゴン車が、私たちの近くで停まり、中からひとりの女性が半身を出して言った。大きめのキャップを被っていて、顔はよく見えない。
「ああ、九条さん! 見つかって良かった! 天心病院の者です! 妹の紫乃ちゃんが、大変なことになったの! 説明は後! 乗って!!」
今にして思えば、どうして乗ってしまったのだろう、と思う。
その女性は、いつもお世話になっている病院スタッフの加藤さんでもなかったし、車だっていつもの病院の車ではなかったのに。
でも、その時の私は、紫乃が大変なことになったという言葉で、頭がいっぱいになってしまったのだ。
「ふたりとも、ごめん、私、行くね!」
唐沢さんと神永さんにそう声をかけ、私はその車に乗った。
私を乗せた車は急発進し、国道の大通りに出た。
異変に気付いたのはすぐだった。
向かっている方向が、紫乃が通院している病院とは真逆だったからだ。
「あの――」
それについて私が訊ねようとした時、隣に乗っていた女性――私に車に乗る様に促したさきほどの女性が、吹き出したように笑い、次第にその声を大きくした。
「ははっ……あはははっ! まんまと乗っちゃって、馬鹿じゃん!!」
笑いながら、女性はハンカチのようなものを私の顔に押し当てる。何やら薬品のような匂いを感じ取った瞬間に、意識が急速に薄くなっていくのを感じた。瞼が重く、自然と目が閉じられていく。
狭くなる視界の中で、その女の顔を捉えて、私は驚いてしまう。
――鏡花?
どうして、鏡花が……ここ……に……
私の意識は、そこで、中断する。
ぼんやりと、声が聞こえた。
「…………ろ」
「…………い」
ゆっくりと、意識が戻ってくる。
背中の感触は柔らかい。どうやらベッドかマットのようなものの上に仰向けになっているらしい。室内はやや暗めだったが、天井は高く、冷房も効いていた。
「ああ、起きましたか?」
男の人の声がした。
身体を向けようとしたが、想ったように身体が動かなかった。
そこで私は、自分の手が縛られ、拘束されていることに気づく。
声を上げようとしたが、くぐもった音しか出ない。呼吸も苦しい。口の中に、布のようなものが詰められているからだ。
「突然すみません。私、こういう者です」
スーツ姿の男が、胸元から名刺を取り出して、私の顔に近づけた。
アートクリエイター 榊原真司
名刺には、そう書かれていた。
「すべての欲望はアートに通ず。それが私のモットーなんですよ。今日は久々に本業の仕事ができる。そう思って喜んでいたんですけど、ね」
男が名刺を裏返した。そこにも、何か書かれている。
アートファイナンス代表 榊原真司
「これが、副業の方の肩書です。あまり好きではないんですよ。なかなかどうして感謝されにくいお仕事ですし」
いったい、何の話をされているのか。ここはどこなのか。私はどうして拘束されているのか。
たくさんの疑問が、頭の中に積み重なっていく。
「怖がらせるのは本意ではないので、できるだけ、九条さんにわかりやすく説明をさせていただければと存じます。ああ、これもすみません」
榊原は私の口に詰められていた布を摘み、床へと投げた。私の唾液を含んでいたからか、びしゃっと不快な音がした。
「道中、大声を出されたら色々と面倒でしたので、念のための処置でした。無断で失礼致しました。この部屋でしたら防音もばっちりなので、安心です。いくら声を上げても、外部に漏れることはありません」
榊原は、細い目をさらに細くして、口を閉じて笑った。
理屈ではなく直感的に、言いようのない気味の悪さを感じて、背筋に冷たいものが流れる。
「まず何から話しましょうか。九条さんがここに連れてこられた理由からがわかりやすいですかね?」
男は私の返事も待たずに、話を続けた。
「おい、こっち。来いよ」
男が部屋の入口の方へ顔を向けて、冷たい口調で言った。
キャップを被っている女――私をあの車に乗る様に促した女が、その声にびくっと身体を震わせて、恐る恐るベッドの方へ歩み寄る。
「言ってみれば、九条さんは巻き込まれただけなんです。被害者と言ってもいい。そういう意味では、私も心苦しいんです。本当ですよ」
男は言いながら、女のキャップを外した。
そこに立っていたのは――鏡花だった。
正確に言えば、中学の頃、私が初めて鏡花にあった時と同じ髪型、顔立ちをしている女が、そこに立っていた。
何が起きているのかわからず、私は何も言葉を発せられない。
「どうです? 見覚え、ありますか? 九条さんも知っている女なんですけど。まあ、あるわけないですよね。もう、元の原型、ほとんどないんですから」
原型? いったいなんのことだ。
「天海凛子、という名前に、心当たりはありますか? 九条さんが中学生の頃の、同級生ですよ」
「天海、さん……?」
私の頭の中で、まるで捻られた蛇口の如く、中学の時の記憶が流れ込んできた。
――じゃあ九条ちゃん、掃除しておいてね
――汚い人間が、汚いものを掃除するのは、当然だよねえ
――あんた、実の親を刺したらしいじゃん。犯罪者が、なんで普通に学校来れてるの?
――さっき、あたしのこと睨んでくれたよね。それのオシオキ、しなきゃ、だよね
あの頃の記憶や感情が蘇り、気分が悪くなる。血の気が引き、言葉が出てこない。
いや、でも。
ベッドの近くに立っている女の顔は――。
「顔が全然違ってて、わかりませんよね。この女、整形狂いなんですよ。どうしても自分の理想の顔になりたいって、お金をつぎ込んで、この顔になったみたいですよ」
この顔。
それは――あの頃の、名越鏡花の顔。
「ねえ、どう、九条さん?」
そこで、女が口を開いた。
歪な笑みを浮かべながら、私の方を見ている。
「そっくりでしょ。本人かと思ったでしょ。あの頃の――中学の時の名越さんと、一緒の顔だよね。私の理想。ようやくなれたんだ。名越さんに。嬉しい。嬉しい。嬉しい」
本当に、天海さん、なの……?
目の焦点が合っていない。
あの頃の天海さんの面影は一切ない。
目の大きさも、鼻の形も、唇の厚みも、全部。
天海さんの要素が、その顔の、どこにもない。
「あたし、名越さんの一番の親友だったんだよ。仲良かったんだよ」
天海さん(?)は、寝ている私の上にまたがるように、中学の頃の鏡花の顔で、見下ろしてきた。
「なのに、さぁ……!」
歯ぎしりをして、その目が、大きく見開く。
「あんたが来て、ぜーんぶ、ぐしゃぐしゃになっちゃった!!」
唾が顔にかかる。
充血した目が、まっすぐに私の瞳を見つめている。
「あの日から!! 名越さんは私のことを見てくれなくなった!! あんたに夢中で!! あんたが!! あんたがあたしと名越さんの仲を切り裂いた!! ふざけんなよっ!!」
「おい」
男が、天海さんの髪を雑に掴み、引っ張る。
天海さんは顔を歪め、痛そうな声を出した。
「大事な作品に、手を出すなよ」
そのまま、男は天海さんの顔を、正面から拳で殴る。
え、と思う。
絨毯の床に叩きつけられた天海さんは、鼻を触り、血が出ていることよりも鼻が曲がったことにショックを受けたようで、「ああああっ!!」と悲痛な声を出した。
「うるせえよ」
私も声を出しそうになってしまった。
その姿が、行動が、まるで――自分の父親のようだったからだ。
「ああ、すみません。怖がらせてしまって」
男はまた笑顔になり、両手を広げた。
「その天海さんは、整形狂いゆえに、多額のお金を遣い、とうとう貯金は底を尽き、闇金に手を出しましたが、理想の顔にはまだ届かない。けれどもう、信用は地に堕ちていて、闇金ですら、どこも彼女にお金を貸してくれません。そこで、私です。私は優しいので、困っている女性を見過ごすことができませんでした。貸してあげました、お金を。そのお金で、彼女も理想の顔にようやくなることができた。めでたしめでたし」
男――榊原が急にぱちぱちと拍手をしたかと思えば、途中で止めて、悲しそうな表情を見せる。
「……とは、なりませんでした。聞いてくれますか、九条さん。この女、こともあろうに、返すお金がないなんて言うんですよ。あんまりじゃないですか。借りたものは返す。子供だって知っています。裏切られたんですよ、私。可哀想ですよね。まあでもその顔であれば、いくらでもお金を生み出す方法はあるということを、親切な私は教えてあげたわけです。裏切られた相手に、わざわざですよ。我ながら涙が出るほど健気ですよね。なのに、この女、なんて言ったと思いますか? そんなことはしたくない、ですって。それには、もう、流石に温厚な私も、ちょっと、キちゃいましてね。ああ思い出してもムカつきますね」
榊原がほとんど一息でべらべら喋ったかと思えば、すぅーと大きく息を吸い込み、屈んでいる天海さんの元へ音もなく歩み寄り、「くそ女がよぉ!!」と横腹を蹴った。天海さんは声にならない叫び声を上げて、せめて顔だけはこれ以上傷つけられまいと身体を丸めた。
「ああ、すみません。私としたことが」
榊原はまた笑顔になって、私の方へ近寄ってくる。
視線が定まらないなと感じ、それは私が震えているからだと気づいた。
嫌だ。怖い。男の人。叫び声。暴力。怒声。怖い。怖い。怖い。怖い。
「で、ならどうするのか、と聞いたんです。天海に。そうしたら、良い女を紹介する、と言ってきましてね。すぐにでも大金を生み出せるくらいの美人を紹介する、と」
榊原は携帯電話を取り出すと、ぽちぽちと弄り、画面を私に見せてきた。
そこに映っていたのは――私だった。
帰ってきてマンションに入ろうとしている私。大学の正門を出た時の私。私の写真が、何枚か、そこに表示されている。
「――確かに、この美しさは、金になる」
榊原はぺろりと自分の唇を舐めて、さらに目を細めた。
恐怖で、私は動くことも喋ることもできない。
「ひどい旧友を持ちましたね。九条さん。あの女は、あなたを売ったんですよ。九条友里になら何をしてもいいから、私だけは助けて、なんて言ってましたよ。屑ここに極まれりですね。ある種、感動しちゃいました」
私は天海さんの方へ視線を向けた。
彼女は、こちらを見ることもなく、ただ身体を丸めている。
「今日、このホテルに九条友里を必ず連れてくるから、と約束してくれました。そして、実際に、連れてきてくれました。屑のくせに、たまにはやりますね。あとは、九条さんの痴態をビデオにでも収めれば、相当良い金になる」
榊原は、仰向けになっている私にほとんど身体を重ねるような、四つん這いの体勢になる。そして、片手を私の頬にそっと触れさせた。
ひっ、と声が出た。
その接触が、あまりにおぞましかったからだ。
「――なのに」
はぁ、と榊原が溜息をついた。
「本当に、使えない女ですよ。なんですか、これは」
榊原が触れているのは、私の頬――唐沢さんにぶたれて、腫れている箇所だ。
「これじゃあ、価値が下がる……。完璧じゃない……。美しくない……」
榊原は体勢を戻し、立ち上がると天海さんの方を向く。
「なぁ、おい。どういうことだよ。なんでこんなことになってる」
「し、知りませんっ……」
「知らないで済むかよ。お前言ったよな。九条さんを連れてくるって。無傷で、ちゃんとした状態で連れてくるって、言ったよな。これじゃ意味ねえんだよ、なぁ、おい」
ゆっくりと近づき、身体の側面を、尖った靴で蹴る。
天海さんがうめき声を上げ、顔だけをこちらに向けた。
あの頃の鏡花の顔が、苦痛に歪んでいる。
「やめてっ……」
私は思わず、そう言っていた。
「もう、許してあげてっ……」
「許す、ですか」
榊原は暴力を止めて、改めて私の方を見た。
「聖母のようですね。この女のせいでそんなことになっているのに。九条さん、私はもう、あなたを帰してあげようと思っています。あなたには到底及びませんが、まあ、この女もある程度は商品価値はある。自分の不始末は自分で。当然ですよね。でも。もし、あなたがこの女を救けてあげたいというのなら、話は別です」
榊原は、また、ぺろっと自分の唇を舐める。
「九条さんの顔は超一流ですが、見れば、身体も相当素晴らしそうですね。顔が映っていなくとも、その身体だけでも相当な価値があります」
榊原は壁に立てかけてあった三脚を取り出すと、ベッドの前に置いた。
「さあ、その浴衣――脱ぎましょうか」
私は息を飲む。
脱ぐ? ここで? 撮られながら、裸になれというのか?
「おい」
榊原に顎で指示されて、天海さんはスイッチが入ったロボットのように動き、私の腕の縄を解きながら、言った。
「ありがとう九条さん! あたし、助かった!! 本当にありがとう!!」
え、と思う暇もなく、天海さんは嬉しそうにホテルの部屋を出て行った。
部屋の中には、私と、榊原のふたりだけになる。
「友情って素敵ですね」と榊原は笑った。
ん? サポート、してくれるんですか? ふふ♥ あなたのお金で、私の生活が潤っちゃいますね♥ 見返りもないのに、ありがとうございます♥