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変わったね、といわれる幸せ。変わらないね、といわれる幸せ。


変わらないね、という言葉の重み。全てを含めて相手に受け容れてもらえている安心感。社会生活を送っている多くの人々は、歳を重ねる度に少しずつでも表層的には変わっていく。誰といるのかや、職場環境。住む場所。やっていること。立場。責任。時間感覚。使う言葉。手に取るもの。簡単に分かりやすいものでいうと、見た目。時代がこれだけ速く移り変わる中で、10代の頃から、良くも悪くも自分はこれっぽっちも変わっていないといえる30歳はいるのか、きっとそうはいない。


私は「変わったね」よりも、「変わらないね」と言われることの方が多い。特に、最近は。髪を久しぶりに伸ばしているからだろうか。ここで自分の話をすると、身の回りも含めて全てにおいて「変わり続けて」きた数年間だが、久しぶりに会った地元の札幌の長い友人なんかや、大学時代に出会った仲間には「全然変わらないね」と言われる。嬉しいけど自分にもうんざりすることもある。でも、この人はそれだけ自分を長く見つめてくれているのだと感じると、やっぱり嬉しい。


何においても、ずっと変わらないよりも、変わっていく方が人生は彩り豊かになっていく。私はそういう意味では、変化を厭わない。

自分の成長のためなら考え方や物事の捉え方を少しずつ改めていきたいと思うし、昔の自分に似合うものではなく、いつだってその時の自分にちょうどいいものを身につけて美しくなっていきたい。それでも、人間的な部分はそうは簡単には変わらない。

でもそれでいい、それがいいのだ。


昔の同級生同士で「あいつは変わっちまったな」という言葉が投げかけられる場に居合わせたことはあるだろうか。いい意味でも、悪い意味でも使われる言葉だ。その言葉には憧れや、妬みや、悲しみや、喜び、さまざまな感情が含まれる。変わっちまったあいつを遠くから眺めては、特に声をかけるわけでもなく、それでもなんとなく気にかけている人の存在について考えるということ。変わってしまったように見える彼も彼女も、本当の意味で変わったのかは他人にはきっと知る由もない。




いずれにしても、どんな形であっても、変わることも、変わらないことも、どちらも美しいことだ。


変わったあなたの素晴らしさも、変わらないあなたの素晴らしさも、私は変わらず愛していきたいです。


いただいたサポートで、明日も優しい気持ちで過ごせそうです。