健やかでいたいね
ルワンダでは、挨拶の時にいろんな表現を使って、元気かどうかを確認し合う。
日本語に直訳するのは難しいけど、「調子は良い?イイ感じ?平和?」みたいな。
日本人にはあまりそんな感覚がなくて、最初私は「おっはーこの前の話だけどさ」などと無礼をはたらいていた。
けど最近はちゃんと、元気かどうか確認してから本題に入るようにしている。
多少不調であっても、ルワンダ人には「元気だよ~調子いいよ~」と答えているけれど、たまに自分自身に問いかけることはある。
「わたしは今、元気なのだろうか?」と。
WHO憲章では、健康をこのように定義している。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」
健康、むず~~~~~~~~~~~~(笑)
肉体的にすべてが満たされることは比較的難易度が低めだが、残りふたつは難易度オニすぎないか。
そもそも、社会的にすべてが満たされた状態とは、どんな状態なのだろうか。わかんないな。
世界的な定義の上に”健康”でいることは諦めざるを得ないので、自分なりの健やかさの基準を定めることが必要だ。
自分の中で、体がこういう様子なら、健やかだ。心がこういう状態なら、ちょっと健やかではないな。などと。
生まれてから死ぬまで、ずっと一緒の自分だからこそ、ちょっとの変化を見つけて、認めて、大事にしなくちゃいけない。
心を壊したことのある私だから、僭越ながら、ちょっと疲れてそうな人や、悩んでいる人によく、こんなアドバイスをする。
「全ての自分の行動に、理由を付けるといいよ」と。
「なんか無理…休んじゃおうかな…でもな…」じゃなくて、
「あ、ちょっと調子悪いわ。明日から元気に活動するために、今日はしっかりと休養しなきゃ!やすむぞ~!」と理由づける。みたいな。
休むという点で、結果は変わらないのだけど、自分を納得させることで罪悪感から解放され、心が健やかになる。
あまりにも健やかでないときは、自分でコントロールすることはむずかしくなってしまう。
そんな時は、周りから、「いいんだよ、大丈夫だよ」などと支えることも大切。
ちょっと最近、表情が乏しいとか。
ちょっと最近、体型が急に変わったなとか。
ちょっと最近、身なりがだらしないなとか。
ちょっと最近、変に元気だなとか。
大切な人の、ちょっとしたサインに気づける人でありたい。
誰かの健やかさを守るためには、自分が健やかでいることが必要だね。
逆に、自分が健やかでないときは、誰かを幸せにすることなんてできないし、しなくていいんだよ。
私が私の健やかさを守れなくて、心が壊れてしまったあの時から、もうすぐ一年。
もっとこうしてればな~なんて思うこともあるけど、その時は何も考えられなかったし、今となれば、いい経験とも言えるかな。
自分とたっぷり向き合うことができたし、人の心がどうやって壊れるのかも、ちょっとだけ分かった。
だから、疲れてしまった人の気持ちは、他の人よりもちょっとだけ分かる。
私で良ければ、いつでも相談してほしいな。
今、私の周りには、信頼できて、甘えられる人が何人かいる。
いっぱいいなくていい。何人かが、いい。
その何人かが健やかに過ごしていて、たまに時間を共有して、愚痴をこぼしたり、一緒に冷えたビールを飲んだりする日常があるということが。
ちゃんと心や体と向き合って、できるだけ上手に生きてこうと頑張ってくれる自分がいることが。
毎日の暮らしの中で、口角が上がる瞬間があるということが。
ペンキをべったり塗ったようなルワンダの青空を、大地を全て包み込んでくれる夕日を、美しいと思えることが。
私の健やかさを守ってくれている。
私、今、とっても元気です。
毎日朝が来ることが嬉しいし、歩いていて、方々から名前を呼ばれることが幸せ。
毎日特別楽しいわけではないけれど、十分すぎるほどに、健やかに暮らしている。
帰国まであと2か月。
あと64日の毎日を、笑顔で、健やかでいたいね。おわり
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