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「絶対悪」:数十人のウクライナ人が焼死したロシアの収容所内

起業家のアンナ・ヴォロシェヴァは、オレニフカ収容所で100日間を過ごした後、モスクワを殺人罪で訴えた

8/6/22 The Guardian紙のThe Observerの記事翻訳です。
拷問を受ける兵士の悲鳴、溢れかえる独房、非人間的な環境、脅迫と殺人の体制。食べられない粥、外界とのコミュニケーションもなく、紅茶の箱に書かれた自作のカレンダーで日を刻む。

ドネツク郊外の悪名高い収容所、オレニフカでは、先月末、ロシアの捕虜となっていた数十人のウクライナ兵が焼死するという恐ろしい事件が起きたが、そこにいた囚人によれば、これが内部の状況なのだと言う。

45歳のウクライナ人起業家、アンナ・ヴォロシェヴァさんは、刑務所内でのつらい日々をObserverに語った。彼女は3月中旬、ウクライナ東部の親ロシア派ドネツク人民共和国(DNR)が運営する検問所で拘束された後、オレニフカで100日間を過ごした。

彼女は、ロシア軍が包囲している故郷のマリウポリに人道的物資を届けようとしていたのだ。分離主義者達は彼女を逮捕し、満員の警察のバンに乗せて刑務所に送り、「テロ」の罪で7月初旬まで収容した。

現在フランスで療養中のヴォロシェバさんは、ロシアが「冷笑的かつ意図的に」ウクライナ人捕虜を殺害したことに疑いの余地はないと語った。「私達は絶対的な悪について話しているのです」と彼女は言った。

戦闘員達は7月29日、謎の壊滅的な爆発で吹き飛ばされた。モスクワは、ウクライナが米国製の精密誘導型HIMARSロケットで彼らを殺害したと主張している。しかし、衛星画像と独自の分析によると、彼らは建物内部から爆発した強力な爆弾によって消滅した。

ロシアは、53人の囚人が死亡し、75人が負傷したと発表した。ウクライナはこの数字を確認することができず、調査を要求している。犠牲者はアゾフ大隊のメンバーだった。5月に降伏するまで、マリウポリのアゾフスタル製鉄所を地下で守り抜いた。

爆発の前日、彼らは収容所の工業地帯にある別の場所に移された。ヴォロシェバさんが他の女性捕虜と同房だった薄暗い2階建てのコンクリートブロックから、少し離れた場所である。ロシア国営放送で放映されたビデオでは、黒焦げの死体とねじれた金属の二段ベッドが映し出されていた。

「ロシアは彼らに生きていて欲しくなかったんです。爆発で『殺された』人の中には、既に死体になっていた人もいたはずです。それは、彼らが拷問されて死んだという事実を説明するのに便利な方法だったのです」と彼女は言った。

ガーディアンのグラフィック
出典 戦争研究所とAEIのCritical Threatsプロジェクト

男性囚人は定期的に独房から出され、殴られ、そしてまた閉じ込められていた。「私達は彼らの叫び声を聞きました。」「悲鳴を隠すために大音量で音楽を流していました。拷問はいつも行われていました。調査官は冗談で、受刑者に『その顔はどうしたんだ?』と聞くこともありました。兵士は『倒れた』と答え、彼らは笑うのです。」と彼女は言った。

「“力の誇示 "だったのです。囚人達は、自分達の身に何が起きてもおかしくない、簡単に殺されてしまうかもしれないと理解していました。5月の集団降伏の前に、アゾフの連中が少しばかり捕まりました。」

ヴォロシェバさんによると、(収容所の)矯正コロニー120番として知られるオレニフカ周辺は、常に交通量が多い。旧ソ連の技術学校で、1980年代に刑務所に改築され、その後放棄された。DNRは今年初めから、ここを敵の民間人を収容するために使い始めた。

占領地ドネツクの南西20kmにあるこの収容所には、毎日捕虜が出入りしていたと、ヴォロシェバさんはObserverに語った。約2,500人がそこに収容され、時には3,500~4,000人にまで膨れ上がると彼女は推測している。水道も電気もない。

5月17日の朝、約2000人のアゾフ軍兵士がバスで運び込まれると、雰囲気は一変したと言う。ロシアの国旗が掲げられ、DNRの旗が降ろされた。看守は当初、新しい囚人達を警戒していた。その後、彼らはどのように彼らを残忍で屈辱的な目に遭わせるかを公然と話したと彼女は言った。

「私達は頻繁にナチスやテロリストと呼ばれました。同房の女性の1人は、アゾフスタルの衛生兵でした。彼女は妊娠していた。私は、彼女に配給の食料を渡してもいいかどうか尋ねた。すると、『彼女は殺人者だ』と言われました。唯一聞かれたのは、『アゾフの兵士を知っているか? 』と言うことでした」。

女性収容者の条件は厳しいものだった。拷問はなかったが、食事はほとんどなく、夕食に50グラムのパンと、時にはおかゆを与えられたと言う。「豚の餌にしかならない」と彼女は言った。彼女は、刑務所長が食事代を吸い上げているのではないかと疑っていた。トイレは溢れ、生理用品も与えられない。独房は混み合っていて、交代で寝た。「大変でしたよ。みんな泣いていました。子供や家族のことを心配してね。」看守が同情を示したことがあるかという質問には、匿名の人物がシャンプーのボトルを置いていったことがあると答えた。

ヴォロシェバさんによると、収容所の職員はロシアのプロパガンダに洗脳され、ウクライナ人をナチスとみなしていたと言う。中には、地元の村人もいた。「自分達の生活がひどいのは、私達のせいだと。まるで、妻がダメだからウォッカを飲むというアルコール中毒者のようだった。

「その哲学は:自分達にとって全てがひどいのだから、あなたも同じ境遇であるべきと言うものです。いかにも共産主義的です。」

ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、この爆発を「ロシアの意図的な戦争犯罪であり、ウクライナ人捕虜の意図的な大量殺人である」と呼んでいる。先週、大統領府とウクライナ国防省は、クレムリンの犯行を示唆する手がかりの詳細を明らかにした。

数十人の捕虜が死亡したオレニフカ監獄の爆発後、キーウで抗議するアゾフ大隊兵士の友人や親族。
写真:Dimitar Dilkoff/AFP/Getty Images ディミタル・ディルコフ/AFP/Getty Images

衛星画像や電話の傍受情報などを引用し、ワグナーグループのロシア人傭兵がウラジーミル・プーチンのスパイ機関FSBと協力して殺戮を行ったと言う。彼らは、爆発の数日前にコロニーに一列の墓が掘られた事実を指摘している。

この作戦はモスクワの「最高レベル」で承認されたと、彼らは主張する。「ロシアは民主主義国家ではない。MH17でもブチャでもオレニフカでも、すべて独裁者が個人的に責任を負っている」と、ある情報筋は言う。「問題は、プーチンがいつ自分の残虐行為を認めるかだ 」と。

キーウで検討されている出来事の1つのバージョンは、爆発がロシアのFSBとGRU軍事情報部門間のサービス内競合の結果であったかもしれないというものである。GRUはアゾフスタルの降伏をウクライナ軍と交渉していたとのことだが、FSBはこの取引を破棄したかったのかもしれない。

兵士達は、ロシアが国連と赤十字国際委員会に対して行った、アゾフの抑留者が適切に扱われるという保証によって守られているはずだった。爆発以来、ロシアは国際的な代表者の現場への立ち入りを拒否している。

ヴォロシェバさんによると、赤十字は5月に収容所への立ち入りを許可された。ロシア側は、訪問者を特別に改装された部屋に連れて行き、囚人と独自に話をすることを許さなかったと言う。「それは見せ物だった。「私達は服のサイズを聞かれ、赤十字が何かを配ると言われました。何も私達に届きませんでした。」

他の拘留者もヴォロシェワさんの話を(正しい)と確認し、アゾフの兵士は民間人よりもひどい扱いを受けたと言う。32歳のボランティア労働者であるドミトリー・ボドロフさんは、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に、看守は不品行の疑いがある者を収容所の特別懲罰セクションに連れて行き、殴打した、と語った。

彼らは足を引きずり、うめき声を上げながら出てきたと言う。何人かの捕虜は、這うようにして自分の部屋に戻ることを余儀なくされた。別の囚人スタニスラフ・フルシュコフさんによると、定期的に殴られていた囚人が独房で死んでいるのが発見された。看護兵は、彼の頭にシートをかぶせ、霊安室のバンに乗せ、仲間の受刑者に「自殺した」と言ったと言う。

ヴォロシェバさんは7月4日に釈放された。それは「奇跡」だったと彼女は言う。「看守が解放される人の名前を読み上げました。みんな黙って聞いていました。自分の名前を聞いた時、心臓が飛び出しました。荷物はまとめましたが、お祝いはしませんでした。リストに載っていた人が出て来て、また戻ってきたケースもありましたから。」

更に、「このキャンプを運営している人達は、ソ連の最悪の面を象徴しています。誰も見ていないと思う時だけ、うまく振る舞う事が出来たんです。」


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