事実と、感情や考えを区別するとは??


これまでの私のブログや前回のワークを通して「悲劇的な表現」は悪いものではないということがご理解いただけたかと思います。

今日は「事実」と「感情」や「考え」を区別することの大切さについてお伝えしたいと思います。

私たちが物事を見るときにはどうしても自分の「感情」や「考え」が入ってしまうことがよくあります。
例えば、「あの人はいつも嫌みを言ってくる」とか「うちの子はゲームばかりしていてほんとうにダメな子だ」という言葉。

「いつも」という表現は人によって感覚が違うので、それが毎日なのか?週に5日なのか?それとも週に1日なのか?もしくは会う度なのか?と具体的にしていきます。
「嫌み」というのもそう感じているのは私であって、他の人からしたら「ただの報告」なのかもしれないし、「リクエスト」かもしれないし、はたまた嫌がらせかもしれません。
そこにも自分の解釈は入れずに具体的にしていきます。例えば、「あの人は私に○○と言った」という風に相手が自分に言った言葉をそのまま書くのです。
また子どもに対して「ダメな子」というレッテルを貼っているのは自分で、他の人から見ればそうじゃないかもしれない。また「ゲームばかり」という表現にも主観が入っています。

私たちが物事を見るときは自分のフィルターを通して見ているので、どうしても「私から見て」という主観が入ってしまいがちですが、主観を入れた「感情」や「考え」は事実ではないのです!!!

じゃあ、どうしたらいいか?

それにはビデオカメラで映したように、誰が見たり聞いたりしても同じように伝わるように表現する。これがとても大事なんです。

やってみると意外と難しいことに気がつきます。私たちが普段いかに自分の感情や考えを乗せて物事を捉えているかがよく分かると思います。

これはいつも行う必要は無くて、あなたが何かにトリガーされて(心が囚われてしまった状態で)物事を冷静に考えられないときや、客観的に物事を見ようと思うときに「事実」と「考え」を分けるということをすると、イライラがおさまったり、感情的になることから逃れられたりします。

「事実」と「考え」を分けることは共感コミュニケーションにとってもとても大切な一歩なのです。

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