見出し画像

宮島のゲストハウスで働いた話<仕事編・これは天職だ>

2011年に大学を卒業し、
新卒で就職したけれども1年で辞め、
「将来宿を開業するために英語を学びに行く」という名目で、1年半オーストラリアで生活し、
アジアをちょろっと旅した私は、
2015年に帰国しました。

地元広島に帰り、ゲストハウスの働き口を探しました。2015年当時、広島のゲストハウスの件数は、片手じゃ足りないかなー、くらいしかなかったと思います。

その中でも、今どきゲストハウスのパイオニア、「碌(ロク)」で働きたかったのですが、一足先に他のスタッフが採用されたようで、ご縁がありませんでした。

次に選んだのは、世界遺産の島・宮島のそばにある「バックパッカーズ宮島」でした。
そのときすでに開業から5、6年経っている、ゲストハウス業界にしては「老舗」の宿で、「ゲストハウス」というより、「アジアのバッパー感」が強いイメージ。
でも、ちょうどリニューアルオープンしたばかりとのことで、働かせてもらうことになりました。

さぁ、修行のはじまり!

<バックパッカーズ宮島の作り>
1階   カフェバー、共有リビング
2・3階   ドミトリー(収容54名)
屋上     宮島を一望できる

仕事はとにかく、何をしても楽しかったです。
ゲストハウスはホテルや旅館とは違い、フロント業務、予約管理、掃除、シフト管理など、一貫して全部やります。
それに、カフェバーが併設していたため、夜は宿泊者でないお客さんも受け入れており、飲食も扱いました。

<一日の流れ>
8時  片付け、朝食準備、チェックアウト、予約チェック
11時 チェックアウト完了、館内清掃、チェックイン前の荷物預かり
14時 チェックイン開始
17時 カフェバーオープン
22時 チェックイン完了、閉店、消灯

広島は全国的にも珍しい、欧米豪からの旅行者が多い観光地です。
そのため、バックパッカーズ宮島も、ゲストの8〜9割は欧米豪からで、2〜3週間日本を旅するバックパッカー達でした。

もちろん日本人のゲストもいっぱいいました。
ヒッチハイカーにチャリダー、原チャリダー、バイカー、青春18きっぱー...
いい意味でクセ者ばかり集まって飽きません。

それでも、日本語を話さない日があるくらい、共通語は英語の世界だったため、まるで異空間。必然的に私の英語力は、1年半オーストラリアで生活していた頃よりめきめき伸びました。

余談ですが、

オーストラリアに行く前は、
「オーストラリアの英語は訛りが強いから、勉強には向かないんじゃない?」なんてよく言われましたが、

私は「どうせ英語力ゼロなんだから、オーストラリアの英語だって、身につけば私の勝ちでしょ」と、大して気にしていませんでした。

が、バックパッカーズ宮島で、アメリカ、カナダの英語を聞いた私は、あまりの聞き取りやすさに目から火花が出ました(笑)
そして、イギリス英語も全然違う!

もちろん、フランスやスペインなど、非英語圏からのゲストも多かったので、英語を聞くだけでどこの国の人か分かるし、いろんな国の言葉がちょっとずつ身に付きました。

英語はどんどん上達し、
ゲスト : Your English is so good!
私 : You too!!!! ha!!!!
で、一緒に笑って仲良くなるのが好きでした。

オーナー兼社長は、運営は現場スタッフに任せてくれたので、本当に自由にのびのびと働きました。

たくさんのイベントを企画しました。

カレーパーティー
たこ焼きパーティー
鍋パーティー
餃子パーティー
お好み焼きパーティー
焼きそばパーティー
手巻き寿司パーティー
スイカ割り
流しそうめん
宮島の弥山紅葉ハイキング
年越しそばからのカウントダウンパーティー
正月のもちつき......

食べ物ばっかりだな!(笑)

ハロウィンパーティー
クリスマスパーティー
花火
腕相撲コンペティション
音楽イベント
マジックショー
スタッフの誕生日パーティー
大富豪部......

大事な仕事はいろいろあるけど、なにより大切にしていたことは、ゲストを楽しませること。
どんなイベントも喜んで参加してくれ、ゲスト同士は当然のように仲良くなりました。
一緒にチェックアウトして次の街に移動する。
そして、また戻ってきて泊まる。
帰国したけど、1、2年後にまた来てくれる。
そんなことが何より嬉しい。

「働きに行く」というより、「遊びに行く」という表現の方が合っているくらい。
寝ても覚めても宿のことばかり考えて、
よく、宿のバルコニーで洗濯物を干しながら、しみじみと幸せを噛み締めていました。

これ、天職だなー。
幸せすぎて罰があたりそう。


つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?