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アメブロからのお引越しと、マンスリーみつびし6月のご紹介、そして内田也哉子さんの無言館館主就任のこと。

これまでブログはアメブロに書いていたのですが、noteともう少し仲良くなりたくて、ブログをこちらにお引越ししてみることにしました。
改めてどうぞよろしくお願いいたします。

「雨の日に読みたい本」

私が連載を担当している、三菱グループのコーポレートサイト、「Monthly MITSUBISHI」の書評ページ。
毎月、なんとなくその時期の人々の思いに沿ったテーマを想像しながらテーマを立てています。
6月のテーマは、「雨音の中で楽しみたい本」。今年は梅雨の足音がまだちょっと遠いけれど。
その一つに取り上げたのが、内田也哉子さんの「BLANK PAGE」です。
この本は、25ansの連載でお世話になっている松浦弥太郎さんにおすすめいただいて、読んで、素敵だったのでこちらの連載でもご紹介させていただいた、というおすすめの連鎖で取り上げた一冊です。

長野県・上田の里山にたたずむ「無言館」

そんな内田さんの、新しい一歩のお知らせが届きました。
長野県の美術館「無言館」の共同館主に就任されたのです。
上述のBLANK PAGEで対談されたひとり、窪島誠一郎さんの営む美術館です。
本日はその記者発表会だったので、いそいそと。
取材させていただいたわけでもご面識があるわけでもないけれど、あんな本を読ませていただいて、紹介させていただいたからには、もう他人ではないような気持ち。本には綴られていなかったことが聞けるはず。本では表れていなかった空気を感じられるはず。

無言館はただの美術館ではありません。
戦没画学生慰霊美術館。窪島さんが、3年半、日本中を巡って画学生らの遺した作品を集めて歩き、この美術館に収められたそうです。


立命館大学の東京キャンパスにて開催された記者発表。

作品として味わうだけでもいい。
戦争に行くまで、ただの、日常を味わい未来を思う学生だったことが、そこに描かれた景色やタッチから感じ取るとることもできる。
戦後いかに長い間、そんな彼らの命が放置されてきたかを、作品の朽ち方から感じ取ることもできる。そのための適切な修繕にも腐心されている。
戦争について、平和について、芸術を通して考える場。
私はまだ訪れたことがないのですが、也哉子さんの言葉によると「スイスの山奥に数百年佇む小さな教会のような静謐で温かな空気」を感じる場だそうです。行ってみたいなあ。

御年82歳という窪島さんは、「もう人生のアディショナルタイム」と語りながらも、「もうひと働き、ふた働きしなくては」と情熱を語っておられました。
一方の也哉子さんは若くしてお子さんを授かり、育児に邁進しながら文筆活動などを行う中で、お母様の亡き樹木希林さんに「そろそろ、誰かの役に立てるようなあなたならではの役割を見出さないとね」と言われたこと、そんなお母様の愛した美術館だったこと、2019年に初めてドキュメンタリー番組で窪島さんと会い、ほんの短い間に人たらしの窪島さんにすっかり魅了されてしまったことから、重責に悩みに悩んだ末共同館主を引き受けたとお話していました。

ずっとお二人共内面を豊かに語っていらっしゃったのだけれど、表情でアピールするのが苦手なご様子のおふたり。

笑顔でお願いします、もう一声!と促されて精一杯の「破顔」(笑)。
お二人で握手を、と言われてようやく
「いいの?やった!」と表情をほころばせた窪島さん。

誰かの役に立てるようなあなたならではの役割を

BLANK PAGEの中で也哉子さんは窪島さんが作品の中で書かれた言葉を引用し、「〈画家には二つの命がある。一つはナマ身の命、もう一つは作品にこめられた命〉と書かれている。作品がこの世からなくならない限り画家は死んでいない」と語っています。
私は会見中、少し上の空で自分のことを考えていました。也哉子さん自身がお母様から授かった「誰かの役に立てるようなあなたならではの役割を」という言葉と、ふたつの命の話を。
私自身、母として娘に暮らしや言葉を通して伝えられること、ライターとして記事を通して誰かの体験や気づきやメッセージを他の誰かに伝えられること、そのとき適切な場と適切な言葉を見つけることができたら、それは私にとって「誰かの役に立てるような私ならではの役割」であり、届けた言葉は「私が死んでも死なないもうひとつの命」になる、と思ったのです。

それは決して私が母だからとかライターだからというだけではなく、どんな人間関係の中にも、どんな職業の中にも、それを見出すことができると思います。
私が記者会見で頂いてきたそんな思いもよろしかったらポケットに入れて、ぜひ上田に足を運んでみてください。

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