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地震ってこんなにリアルだったんだ

正直、生きた心地がしなかった。

2月13日23時8分ごろに福島県沖で発生した地震は私が約23年間生きてきて初めて災害で命の危機を感じたものだった。

このnoteには、大学入学前から地震発生までの回想を踏まえたうえで、
・地震発生から一夜明けて少し心が落ち着いてきたとき
・1週間がたち緊張がほぐれたとき
・2週間が経った今
という大きく3つの時間に分けて感じたことや考えたことと共に、今回の経験から今後起こりうる災害に備えたいと思ったことについても記している。

 

徐々に麻痺していった「地震が怖い」という感覚

阪神淡路大震災の時はまだ生まれていないし、中越地震も東日本大震災も熊本地震も震源地から離れていたから自分の身に降りかかっているという感覚が薄かった。

そんな地震がいまいち自分事になっていない私が大学進学を機に宮城に来て衝撃だったのが、地震が頻繁に起こることだった。こんなにぬるっと日常に溶け込んでいるものなのかと。入学当時一番衝撃だったのは授業中にちょっと揺れてそのまま何もなかったかのように授業が続いたことだった。これくらいは東北にいたら当たり前のことなんだと思った瞬間でもあった。

そして「よく地震は起こるがこれといった被害はない」という経験が積み重なって良くない "慣れ" が生まれ、その結果「震度4くらいまでは何とかなるだろう」「今回の地震もどうせ大したことないだろう」というように感覚が麻痺していった。ただ今思うと、1人暮らしで経験する地震の恐怖を見て見ぬふりしたいから、何とか平静を保っていたいから、鈍く楽観的になるしかなかったのかもしれない。

 

3.11のことを深く知って和らいだ麻痺

麻痺した感覚を持ったまま入学して2年が経った私は、2019年の3月に開催した宮城へ行こうプロジェクト(東日本大震災復興支援ツアーの名称)で企画運営に携わった。企画を始めたのは「せっかく東北に来たのだから、大学在学中にちゃんと3.11のことを知っておきたい」「震災や他の災害も自分事にできる人になりたい」と思ったことが大きい。

準備中や開催当日に被災された方々のお話、原発に関する話などを聞いたり、これからの復興について考えたりしたことでそれまで麻痺していた感覚が少し戻ったように思う。それと同時に、明日は我が身であり、絶対に大丈夫なことは存在しないことも、"当たり前の明日"が来るとは限らないことも痛感した。

とにかく、このツアーに携わったことで多くの衝撃の受け、災害に対する意識が変わったのは間違いない。

 

復学してまた蘇ってきた感覚

2019年は休学して神奈川に住んでいたのだが、地震の数は宮城に住んでいたときよりも少なかった気がする。また、地震が少ないと思うと何となく気持ちが軽くなった。

そして2020年、復学してまた宮城に戻ってきた。やっぱり東北は地震が多いところだなと思う。大学に入学したころのようにこっちに戻ってきてすぐは震度3ほどでもびびっていたが、徐々に「ここではこれが日常だ」と言い聞かせて自ら感覚を麻痺させて少しでもパニックにならないように努めていた。

入学したころから変わったのは、地震が起こったらとりあえず防災バックを自分の近くに置くなど、いつでも逃げられるように準備していたことだろう。

 

リアルで生々しくて1人で抱えきれない恐怖

宮城で生活して4年が経とうとしているが、今回の地震は今までと明らかに違った。

「これほんとに死ぬやつかもしれない」

本気でそう思うレベルで、麻痺させた感覚でさえも太刀打ちできなかった。どうしようもなく、本当にどうしようもなく、無理だった。

寝ていたから部屋は真っ暗な状態。揺れを感じたときはまだ意識は朦朧としていたが、緊急地震速報が部屋に鳴り響いて完全に目が覚めた。揺れはどんどん大きくなるばかりで収まる気配は無く、小物が倒れたり落ちたりする音が恐怖をさらに増長させる。どれだけ深く布団をかぶっても経験したことのない大きな揺れがただただ恐ろしくて、電気をつけて部屋の状況を確認するのが怖かった。

揺れが収まった後もしばらく恐怖で動けない。

「目の前にひどい景色が広がっていたらどうしよう」
「片付けてもまた大きい揺れが来るかもしれない」
「なんでこんなとき1人なんだろう」

そんな考えばかり頭をよぎる。

大きな揺れが収まり10分ほど経ってからようやく電気をつけて部屋の状態を確認できた。幸いにも大きな被害はなく、聞こえた音のように小物がいくつか倒れたり落ちたりしていただけだった。停電も断水も漏水もなかった。本当に運がよかったと思う。それと同時に、もしこれらが起こっていてかつ部屋が悲惨な状態になっていたらと思うと血の気が引いた。

また、部屋の確認をしているとき無事だったという安堵とこれからへの不安とふっと襲ってきた孤独感で涙が出てきた。正直自分でも驚いたがそれだけ気が動転していたんだろうと思う。

 

ざわついた心を落ち着かせるための徹夜

部屋の無事を確認したあと、すぐに着替えて玄関に置いてあった防災バッグと靴を枕元に置いたり、湯船に水をためて断水に備えたりした。座っていると揺れを感じやすい気がして部屋の真ん中に立ったままSNSで情報を得る。

津波の心配はないこと、これは東日本大震災の余震だと考えられること、これから1週間は最大震度6強程度の揺れを起こす地震に注意しなければならないこと。

どれだけ情報得てもそれを処理して行動に移すまでがしんどかった。頭では分かっているが心がどうも追い付かない。全てが初めての経験でパニックになった。

そんな中救いになったのが、気の置けない友人たちとのSlack。普段から使っている個人チャンネルで、地震が起きて目が覚めたときから思ったことをとりあえずつぶやいていった。Twitterやインスタ、LINEなどよりもこのSlackの方が私にとって心理的安全があるから、この場所で気持ちを吐き出すことが心を落ち着かせるのによかったと思う。

とはいえ断続的に続く余震で、ずっと心がざわついていたり、「いま寝てもいいのか?」と思ったりして、寝るのが怖かった。結局一睡もせず勉強したり記事を書いたりして朝を迎えた。眠りについたのは日が昇り切った後。いつの間にか眠っていた。

しかし3~4時間ですぐ目が覚めた。安眠できないし、ベットに横になっていると揺れていないのに揺れているように感じてしまって気持ちが悪かった。

こんな眠れない日が1週間も続くのかと思うと余計にしんどくなった。

 

日常に戻るための自己暗示


「大丈夫だ、このまま何も起こらない。」

そう言い聞かせて日常に戻らないと正直やっていけなかった。本当にこれしかなかった。どれだけ防災バッグを用意して物理的にいつでも逃げられる準備ができていたとしても、心は全く別の話。気持ちが追い付かないのだ。

1人暮らしというすぐ近くに頼れる人がいない状況で、ずっと地震のことを考え怯えていては気が狂いそうだった。もし、これが家族や誰かと一緒に住んでいたり、同じマンションや地区に頼れる人がいたらまた違っただろう。

そして物理的な準備をして常に緊張の糸を張った状態で、まるで何事もなかったかのように1週間を過ごした。この期間で分かったのは、1人暮らしにおいて心理的に準備できている状態を常に保っておくことがひどく困難だということだ。

「何かが起こっても全部1人で何とかしないといけない」

そんなプレッシャーが無意識のうちに重くのしかかることで、たった1週間でもどっと疲れた。眠りはずっと浅くて3、4時間で目が覚めることが多く、連続で5時間眠れればいい方だったように思う。

 

徐々に取り戻していった心の落ち着き

地震発生から2週間が経った。

今回の地震で私に物理的な被害はなかったと言っていい。倒れたものや落ちたものをさっと元に戻すだけで終わった。

一方、元に戻すのに時間がかかったのが心理的な落ち着きで、特に地震発生から1週間は気が休まらなかった。

「今度こそやばいかもしれない」
「もう何も起こらないでほしい」
「次大きいのが起きたら1人では無理かもしれない」

1週間が過ぎてもそんなことがふとしたときに頭をよぎっていた。しかし、大きな緊張の糸が切れたのか、ちょうど1週間になる2月21日(土)の夜から体調を崩した。幸か不幸か蓄積された睡眠不足と謎の頭痛で久しぶりに8時間熟睡できた気がする。

その後は頭の片隅に地震のことがあるイメージで、これまで通り「ここではこれが日常だ」と地震への感覚を鈍らせていった。

地震発生から2週間で、ようやく心の落ち着きを取り戻せたように思う。

 

これからの災害への備え

さてここまで今回の地震を振り返ってきたが、最後に次に起こりうる災害に対して新たに備えておきたいことを物理的なことと心理的なことの2つに分けて整理しておく。

▼物理的な備え
今回の地震は以下のおかげで被害がすごく少なかったのだと思う。

・(本棚がないから)本は床に平積み or 机の引き出しや段ボールの中
・小物や雑貨類も基本箱の中
・高いところに割れ物がない

また、ヒヤッとしたのは食器棚だった。お皿やグラスが割れなくてよかったものの、このままだと危ないので収納の仕方も見直す必要があるなと。

▼心理的な備え
やはりずっと「地震が起きるのではないか」と過度に怯えていては生活できない。それでも今私にできるのは、"物理的な備えができているという事実" を自信や安心に変えていくことだと思った。自信や安心が心の落ち着きになるはずだから。

今回の地震で実体験としてその恐ろしさを知ったからこそ、この感覚を完全に忘れるのではなく心の強さの糧にしていきたい。

 

 

はあ、それにしても怖かったな。

 

 

[おまけ] 今回の地震で心あたたまったこと

①心配してくれる人がたくさんいた

これは本当にありがたかったし嬉しかった。同時に逆の立場になったとき、自分も周りの人に気を配れるように心のゆとりを持っておかねばとも思った。自分でいっぱいいっぱいだったら自分しか大事にできないから。

②地震を心配する声が韓国でもTwitterトレンド入りしていた

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※2月14日の午前3時ごろの韓国のTwitterトレンド

▼画像の訳
・일본 지진 日本 地震
・후쿠시마 福島

韓国語を勉強する中で韓国のトレンドもよくチェックしているのだが、今回の地震を心配する声が上がっているのを知ったとき「心配してくれている人は他の国にもいるんだ」と心があったかくなったし、その声を自分が韓国語で理解できるようになっていたのも嬉しかった。


本を買ったり録音の機材購入の資金にしたいと思います!