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矜持

何を書いたら大丈夫で、何を書いたら大丈夫じゃないのか、気を遣ってみたところで、もう分からない。きちんと考えてみたりもしたが、説教臭くなったりやけに前向きが迷惑じみて感じたりして、やめた。

勇気を出したいな、と思い、しいたけさんの記事を買った。そして、おおがきなこさんのツイートも読んだ。

※おおがきなこさんはnoteをやってらっしゃいます。自分の心に優しくしたいときに、いつも読んでいます。

端的に言うと、何故こんなに自分がぐずぐずしているのかは、気づくことができた。


ステイホームは理解してる。
マスク生活も、
おうちごはんも、
みんなで頑張ろうも、
動画で提供される励ましの言葉も、
レジの受け渡しがお皿越しなのも、
子供たちとなるべく楽しく過ごすことも、

これがいまなんだ。受け入れよう。
と思っている。

好きな事を我慢したり諦めたり延期したりしても、今できることを精一杯楽しんでいる姿を見せて、仲間と手を取り合い、新しいやり方を探したり、与えられたものに満足したりするのが、なんていうか相応しいんだろう。


今日は本来なら、私が観ていたバスケットボールのチームの今シーズン最終戦で、愛知県まで観戦に行く予定だった。そのはずだった。忘れかけていたけれども。

ああ、バスケットボールが観たい、それも会場で。コートサイドかベンチ裏で。熱量のわかる、近い席で。好きな選手が動く姿が恋しい。

私の中で、どんどんバスケットボールとの想い出が、記憶が、遠いものになることに耐え難い苦痛がある。もちろん動画は見ている。心には覚えていて、忘れたことはない。現地で撮ったものもある。写真も動画も、何年分もあって、ストレージを圧迫していて、しょっちゅう反芻する。

でも、実際のプレーは何ヶ月見ていないんだろう。好きな選手の声は、今年は実際には聞く機会がなかったことに気付いて、これから先も、それはあまり期待できないことにも気付いて、私は泣いた。いい歳して、こんな時代に、このご時世に、家にこもって、まあ泣いた。

もちろん声も動画に入っているのだけど、それが全て過去の話になること自体が悲しくて悲しくて、でもそういうことを書くのも重くて迷惑なのは理解もしていて、だからと言ってバスケが観たいよー!推しのプレーが尊いって言いたいよー!と言うことすらなんだか不謹慎なのかもしれないのか、どうなのか、分からなくなった。

それなりに歳をとって、子供の頃になりたかったものとか、進学してからの就職の希望とか、妊娠したことでそのとき楽しかった仕事とか、キャリアが続くこととか、子供をこれ以上持つこととか、まあ色々と渋々諦めたというか、手放してきたこともあるにはあるのだけれど、たかが趣味されど趣味、たかがファンでもずっと、綺麗なこともドロドロしたことも、暑い日も寒い日も、友人との約束や決別も、そして家族でも友人でもない他人を尊敬する感情を、スポーツそのものの生の熱気を、私はなかなか諦められないのだった。

私はたかがファンだ。バスケットボールが好きで、プレーをしたり、裏方に徹したり、仕事にしたり、メディアを目指したり、ボランティアをしたり、スポンサードを考えたり、そういう素晴らしい方々をお見かけしてきた。

でも私はただのファンで、なんでもない。でも、なんでもないからこうして駄文を捨てられるし、なんでもないから、ただ好きと言えるし、ファンとして、どんなときも、選手のことを忘れないで応援する、馬鹿なおばさんがいたっていいじゃないか。そう思っている。

バスケが観たいなあ。

2020.05.03.