ゆうり

🏳️‍🌈Xジェンダー¦解離性同一性障害¦目標▶セクマイのコミュニティを作る

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最近の記事

別人格についてまとめてみた

「解離性同一性障害」と診断されて今月で1年が経つ。 ちょうどいいのでこの1年の変化、別人格について分かったこと、課題点などをまとめてみようと思う。 現在、把握している別人格は4人。 名前は、ゆうり、姫(ひめ)、悠稀(はるき)、けんちゃん。 ※SNS上で使っている「ゆうり」と別人格の「ゆうり」は別人である。 1年で出来るようになったこと①ゆうり、悠稀、姫との意思疎通 以上の3人とは会話できる。視覚からの情報は共有しやすいため「TalkNovel」というトーク画面作成

    • 卵アレルギー克服出来なかった弊害

      私はアレルギー体質で、小さい頃、卵、牛乳、小麦、大豆がアレルギーで食べられなかった。 そして、何故か卵だけ克服させられなかった。私は、母親が卵アレルギーの克服を諦めた瞬間を覚えてる。 克服出来るかは正直体質だから仕方ないのかなと思う。 克服出来なかった弊害としては、外食が困る。特に私が卵アレルギーだということを知らない人たちと行くと大変なことになる。ファミレスとかならいいけど、オムライスのお店とかだと自殺行為と変わらない。 卵アレルギーといっても、大体のものは

      • 自分の性自認について

        私は、性自認について聞かれた時は、「男でも女でもないという感じです」と今は応えている。 今の性自認に辿りつくまでにはかなり時間がかかってしまった。その原因は性被害にあったからなのだ、被害についてはまた別で詳しく描きます。 自分の体の性別に違和を感じたのは、中学生の時。私の中学はセーラー服なので女子はスカートを履いている。だから私もスカートを履いていたのだけど、入学式の時にスカート履いている自分が「キモチワルイ」と思った。その時は、小学生の時もずぼんを履いていたので、

        • 深夜テンションで書いみた

          夜中1時を過ぎると心が病んでくる。過去の嫌な事が蘇ったり、疲労が一気に自分の心身に襲ってきて憂鬱な気分になる。 昔から 「世の中からいなくなりたい」 と感じることがある。 この世界から「私」という人間なんて存在しなかったことにして命を絶ちたい。と考えている。 私と出会ってくれた人たちの記憶から「私」の存在を消したい。 そもそも私は記憶が飛ぶことが日常茶飯事である。その状態で生活して10ヶ月が経った。これのせいで、自分にとって大切な人やものを新たに作るのを辞

        別人格についてまとめてみた

          自己防衛のためなのか?

          私は、性転換手術を考えている。体は女性である。だから胸オペと子宮摘出はしたい。 だが、手術をしたい理由が、性自認なのか自己防衛なのかが分からない。 私は高校卒業前後に性被害にあった。それ以来、人から「女性」と見られるようなファッションや仕草を避けてきた。特に着る服には気を遣っている。スカートは絶対に履かない。 それでも男性から下心が滲み出た目で見られることにものすごく嫌悪感がある。(世の中の女性は感じるのかも) だから私の体が「女性」としての機能を果たさなければいいので

          自己防衛のためなのか?

          愛されていなかった「私」

          私は、20年間ずっと母親に嫌われていると思っていた。 現在22歳だが、もしかしたら母親は私の事を嫌っていたわけではないのかもしれない、と思えるようになったのはつい最近のことだ。 私が、卵アレルギーのため給食で卵料理出て白米しか食べられなかったから、「アレルギー申請をして欲しい」と母親に頼んだことがある。母親には「幼稚園の時の申請がどんだけ大変やったと思ってんの!!!!!」と見たことの無い形相でキレられた。 その他にも、子どもを病院に連れて行くのを極端に嫌がったり、

          愛されていなかった「私」

          「私は誰?」「ここはどこ?」

          1番解離の症状が酷かったのは今年の5月から8月。その期間の記憶は全くと言っていいほどない。 5月は、自分の名前が分からなくなってしまう時もあった。自分の家にいるのに「自分はどこにいるのか?」「ここは地球なのか?」「そもそも私は人間なのか?」といろんな事が分からなくなってしまった。 1番ショックだったのは、LINEにいる友達の名前を見ても自分とどういう関係なのかが分からなくなってしまったことだ。仕事関係で凄くお世話になっている方の事も誰なのか分からなかった。 だから誰が私

          「私は誰?」「ここはどこ?」

          過去の文章化が難しい

          昨年の11月からブログを書こうと決意した。自分の嫌な過去と向き合うと考えたからである。 だが、昔のことを思い出して文章にする難しさを、投稿から1ヶ月ほどで感じた。 私は解離性同一性障害と診断されている。 「解離」は、過去のトラウマや困難な経験から心を守るために発達する防御メカニズムである。過去の記憶や当時の感情が解離してしまっているのである。 だから私は過去のことを思い出せない。自分の過去と向き合うとすると脳内がフリーズしてしまう。そんな感覚が私にはある。

          過去の文章化が難しい

          いつまで生きるのか

          2023年1月3日 紐で首を吊ったが失敗。 私が死にたいと思い始めたのは小学4年、いじめられた時からだ。それからほぼ毎日死ぬことを考えていた。どこで死のうか、何日に死のうか、どの方法で死のうか、とずっと考えていた。 私にとって「死」はしんどい状況から自分を解放させてあげられる手段だと感じている。 私は今年で22歳になった。 22年も生きてしまった。 私は、ずっと苦しんでいる「私」を早く楽にしてやりたい。 結局今年は死に切れなかった。そして2023年が終わ

          いつまで生きるのか