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【自己紹介】ゆり(シュラスコ)について

はじめまして、シュラスコことゆりです☺︎
初note記事です。
文章にするのはあんまり得意ではないけれど、ゆるく写真付きで自分について書いていこうと思います。

「なんでシュラスコというあだ名なの」と思うかもしれないのですが、それは後々説明します(笑)


簡単なプロフィール

マダガスカルの孤児院にて

日本とフィリピンのハーフ。
→でも顔はバリバリ日本人(日本人のお父さんに似てしまったから😂)
日本語、英語、タガログ語が話せます。(ぶっちゃけ英語よりタガログ語の方が得意💪、もちろん一番は日本語)
埼玉生まれ、途中からフィリピン(幼稚園まで)そこからはずっと東京育ち。
最終学歴は石神井高等学校69期生
→体育祭に命かけている高校でした。

趣味:漫画を読む、音楽を聴く、韓ドラを見る、ボクシング、バスケ(超初心者)、人間観察、感情・思考を吐き出す作業、Netflixで海外の競争系番組を見ること、旅、ダイエット(リバウンド得意です。)

何から書き始めたらいいのかわからないので、自分のこれまでの人生を時系列に淡々と綴ります。

幼少期〜学生

幼稚園まで兄と一緒にフィリピンにほとんどいました。

フィリピンの幼稚園の制服、兄と共に

言葉を覚える時期にフィリピンで育ったので、
日本に帰国したときは日本語が全く話せず。
(当時はタガログ語・英語のみ)

なので、小学校1~3年生の頃は公立小学校付随の日本語教室に通い日、本語を勉強・習得しました。

色々な国の子たちと一緒に日本語を勉強

日本語を覚えたあとは、普通の小学生と同じように授業を受け、中学校、高校へと進学しました。

ちなみに部活は、中学校→陸上部、高校→ファッション部。
高校生のときはアルバイトをしたかったので、文化祭にしか活動しないファッション部を選択しました。

高校のファッションショー、ここに写っている服はデザインから全て手作り

フリーター

高校卒業後の進路は、当時人生一番かってくらい悩みましたがレールに敷かれた道筋通りに行くのが嫌で進学せずに、とりあえずフリーターをしていました。

日本で日常的に英語を使う機会がなかったので、自分の英語力強化も兼ねて、フリーター時代に語学留学(1ヶ月)でセブ島へ行きました。

そして、そこで出会ったルームメイト経由で、とあるシェアハウスを紹介いただき、ここから今日までシェアハウス生活を送ることになります。

その時に紹介いただいたシェアハウスのコンセプトが「夢を叶えるシェアハウス」。

入居するときに自分の夢を言わないといけなく「あなたの夢はなんですか?」と聞かれましたが、そのときはすぐに答えることができず。。

夢なんて全く決めていなかったので、「どうしよう、、」と悩んでいたらスマホの公式LINEの通知が飛んで、「ピースボート - 世界一周クルーズ」という文字が目に写りました。

咄嗟に「世界一周をすることです!」と答え、そのままピースボートで世界一周をすることが目標となりました。

突然に決めた夢でしたが、みんなに「2018年の12月に世界一周します!」と宣言しながらせかせかと世界一周に向けて準備をすることになります。

下北沢シェアハウス、皆でたこ焼きパーティ

世界一周をする準備の過程では、ピースボートのボランティア活動をしながら船賃を貯めたり、ほぼ3ヶ月間無休でバイトをしながら現金を集めたり、かなり過酷ではあったけれど、この時が人生で一番潤っている、充実していたなと今でも思います。(自分の計画性がないのが原因でしたね・・・)

無事、資金集めができたので、2018年12月にピースボート100回クルーズに乗船することができました。

自分の成人式は地元ではなく、アフリカらへんの海の上でやりました。

ちなみに、「シュラスコ」というあだ名はこのピースボートに参加した時に付けられたあだ名です。

シュラスコとは、ブラジル生まれの肉料理。長い串に刺したブロック肉を炭火でじっくりと焼きあげる、バーベキューみたいなものです。

あだ名の由来ですが、「一番行きたい国で何をしたいの?」と聞かれ、食い意地を張っていた私は適当に「ブラジルに行って肉でも食べたいな」と答えたらそのままあだ名となりました。(まぁそうなりますよね)

その他にピッコロ、ムシキングなどユニークなあだ名の人がたくさんいる、そんなピースボートです。(世界一周については以下の記事で!)

そして、世界一周後は何してたかというとまたフリーターへ逆戻り。

本当はこの世界一周で次のやりたいことが見つかるかと思いきや、割と見つからず、また試行錯誤することになります。

その時に以前に住んでた下北沢シェアハウスに戻り日々淡々と過ごしました。

住んでいるメンバーが変わっても皆仲良し

就職

その後、コロナになりフリーターだった私(主にサービス業でバイト)は徐々にシフトが削られ、生活することが厳しくなったのでリモートできるお仕事がないか就職することに至りました。

学歴も経歴もない私でしたが、幸いなことに未経験でもWebディレクターとしてとある会社から内定をいただくことができました。

この会社を選んだ理由は以下↓

・リモートで仕事できる(コロナ中だったので、当時はリモート基本でした。)
・企画や提案ができる(当時は打ち合わせとかに憧れが。)
・未経験でも可
・フィリピンに支社がある(海外で働きたい欲かつ自分の言語力が活かせると考えていました。)

まず、就職して

「社会人って責任感が半端ない、皆んながこの責任下の中で働きながら世の中を支えているんだ」

と、思いました。

入社当時は社会人という意識が甘く、舐めていた部分もありたくさん失敗をしました。

本当にたくさん失敗しました。
たくさんの人に迷惑をかけたこともあります。
でも、失敗ということが自分の成長につながったのも事実でした。

「失敗を恐れるな」というような言葉をよく見かけるけど、本当にそうだなたと大きく実感しました。

このように失敗から多くのことを学び、挫折や苦しみもたくさんありましたが、この会社では大きく成長し、次のステップへ向かいます。
(就職したときに学んだことやなぜ退職したのかはまたまた別の記事で・・・)

初めての自分のチーム(齋藤チームと呼んでいます。)
部下3人できました。今でも仲良し。

ノマドニア

会社員を経て、また次に何をしようかと思っていたときに、自分が好きなことワクワクするのは何か、やっぱり旅に出てまた違う世界を見たいなと
思いました。

その時に見つけた広告が、「来月海外にいます。」というノマドニアの広告。

これなんだろうと思いながら、下にスワイプしてみたら「1ヶ月で10職種体験ができます」という内容で、飽き性な自分、行動してみないと何がいいかわからない自分にとってそれはそれはぴったりのものでした。

そこで、あ、ノマドになって世界を跨ぎながら仕事をしよう!と考えるように。

そこで、ピースボートで一緒に乗船した船友、ピッコロこと三浦成海を誘ってみたところ、やってみたい!ということで一緒にノマドニアに参加することになりました。

ピッコロ2人いるけど、三浦成海は右から2番目の子(笑)

なので、ノマドニア14期生として、2023年6月にジョジアへ飛び立ちます。

これからがまた新しい始まり。

どうなるのかは今この記事を書いている時点ではわかりませんが、とても楽しみです。

また違う自分に出会えたらいいなと思っています。

※日本のご飯の美味しさを痛感し、2023年11月に帰国しました🇯🇵
現在は日本で活動中。

最後に

正直、今でもそうだけれど、ずっと人生、日々がマンネリ化しつつあり、刺激がどんどん足りなくなってきています。
経験すればするほど、つまらなくなってしまうのが自分の性格上あるようで、新しい刺激を常に欲している状態に。
常に挑戦し続けることを恐れずに、これからたくさん失敗をしていきたいと思います。

また、自分の好きな言葉を1つ共有。

"Live a life you will remember"
記憶に残る人生を歩め

この言葉は、好きなDJ AviciiのThe Nightsの歌詞に書かれてる言葉です。

人生を歩んでいるのは「自分」。何かを取捨選択するときも「自分」。辛いことも苦しいことも楽しいことも笑ったことも全て大事な記憶として「自分」の記憶に残る人生を歩んで行きたいと思います。

とても長くなりましたが、以上です!

ps. 趣味にダイエット(リバウンドが得意)とありますが、以下のような感じで痩せては太りを繰り返しています。。今もなお。。
いい加減痩せたいですね😂

高校時代、全員同一人物です

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