工場戦士:Episode5「マイカー購入と歓迎会」
初めてのマイカー購入
敏夫が茨城県の神栖製鉄所に配属されてから数か月が経過した。独身寮から製鉄所までのバス送迎サービスも終了してしまうため、自分で車を買ってマイカー通勤を始める必要があった。週末に、同期の大磯慶次郎と一緒に中古車ディーラーを見学しに行くことにした。
店舗には様々な車が並んでおり、どれも彼らの心をくすぐるように輝いていた。
「大磯、どんな車を考えているんだ?」敏夫は興味津々で尋ねた。
「俺は昔から憧れてたスカイラインを買うことにしたんだ。中古で200万だけど、夢を叶えるためにはこれしかない。」大磯は目を輝かせて答えた。
「そうか、スカイラインか。かっこいいな。」敏夫は感心しながらも、自分の予算と相談する必要があることを考えた。
大磯は続けた。「他の同期もみんな結構いい車買ってるんだ。アルファロメオとかBMWとか、中古でも250万円くらいするやつをね。」
しばらく車を見て回った後、敏夫はふと心を決めた。「俺はフィットにするよ。中古で50万円だけど、これで十分だと思う。」
「えっ、フィットか?」大磯は驚いた表情を見せた。
「うん、派手な車でなくてもいいし、何より経済的だ。」敏夫は自分の選択に自信を持って答えた。
後日、敏夫は同僚の堀江と車の話題になった。堀江はスバルのインプレッサに乗っており、大の車好きである。「佐藤、お前、車はどうするんだ?」
「堀江さん、僕、フィットを買ったんです。中古で50万円だったけど、いい買い物だったと思います。」
堀江は冷笑しながら答えた。「つまらないな。総合職でお金たくさん貰ってるんだから、もっと高い車買えよ。安い車なんてみっともないぞ。」
その言葉に敏夫は一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直し、心の中でつぶやいた。「大事なのは車の値段じゃない。自分が納得できるかどうかだ。」
その日の夕方、敏夫は指導員の桑田に堀江の言葉について相談した。
「桑田さん、堀江さんに安い車を買ったことで嫌味を言われました。総合職だからもっと高い車を買えって。」
桑田は苦笑しながら答えた。「気にするな、敏夫。こうして嫌味ばかり言われていると、俺みたいに心がすり減って何も感じなくなるよ。」彼の言葉にはどこか悲哀が感じられたが、その中にも励ましの意図が込められていた。
「そうですね。ありがとうございます。」敏夫は少し心が軽くなった気がした。
歓迎会の一夜
配属からしばらく経ったある日、上司の羽柴が敏夫に声をかけてきた。
「佐藤君、配属から時間がたってしまって悪いが、君の歓迎会をやりたいと思うんだが、どうだろう?」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」敏夫は恐縮しながら答えた。
「じゃあ、来週の水曜日にやろう。みんなに声をかけておくから。」羽柴はそう言って微笑んだ。
翌週の水曜日が近づくと、指導員の桑田が敏夫に尋ねた。
「佐藤、歓迎会にはどんな服装で行くつもりだ?」
「私服です。」敏夫は特に考えずに答えた。
桑田は少し困った顔をして、「こういうオフィシャルな飲み会の場ではシャツとスラックスで来ないとダメだぞ。ちゃんとした格好で来るように。」と注意した。
「分かりました。ありがとうございます。」敏夫はすぐに服装を改めることにした。
迎えた水曜日、敏夫が居酒屋に到着すると、すでに同僚たちが集まっており、歓迎会が始まった。
上司の羽柴が挨拶をした後、敏夫に今後の抱負を述べるよう促した。
「佐藤君、立ち上がって抱負を述べてくれ。」
「はい。」敏夫は立ち上がり、「これからも頑張りますので、よろしくお願いします。」と当たり障りのない抱負を述べた。
すると、同僚たちから次々と質問が飛んできた。
「学生時代は何を勉強していたんだ?」
「オペレーションズリサーチと呼ばれる最適化の手法を研究していました。」
「趣味は何かあるのか?」
「趣味は読書です。色々なジャンルを読みますが、特にビジネス書や歴史書が好きです。」
「彼女はいるのか?」
「はい、います。彼女は山口県に住んでいて、今は遠距離恋愛をしています。」敏夫は少し照れながら答えた。
同僚たちは興味津々に聞いていたが、次第に和やかな雰囲気が広がっていった。
一次会が終わり、シニア社員の小野田や派遣社員の鈴木は帰宅したが、残ったメンバーで二次会へと繰り出すことになった。向かった先はフィリピンパブだった。
フィリピンパブに到着すると、店内は笑い声が響いていた。
「佐藤、この店には客が着ることのできるコスプレがあるんだ。着てみろよ。」久間がニヤニヤしながら言った。
「え、でも…」敏夫は戸惑ったが、周囲の期待の視線に押されてしぶしぶカエルのコスプレを着ることにした。
「いいぞ、佐藤。さあ、次はカラオケを歌え。」堀江が笑いながら言った。
敏夫は鈴木聖美 with Rats&Starの「ロンリーチャップリン」を選び、カラオケを歌い始めた。近くに座っていたパブのキャストの一人が、一緒にデュエットをしてくれた。
「いい選曲だ、佐藤君。俺の世代をわかっている」羽柴は笑顔で褒めた。
カラオケが進む中、敏夫は久間と堀江が羽柴の悪口を言っているのを耳にした。
「指示が曖昧なくせに、変に高圧的なんだよな。」堀江が呟いた。
「本当にそうだよな。あの態度はどうにかならないのか。」久間が同意した。
その言葉を聞いて、敏夫は少し不快な気持ちになった。
その時、パブのママが隣に座り、優しく話しかけてきた。
「こういう場でプライドを捨てられる人は将来大物になるよ。神栖製鉄所の今の薄板部長も、ひとつ前の総務部長も、昔はここでコスプレして歌ったことがあるんだ。」
その言葉で敏夫は少し救われた気持ちになった。