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推しに出禁にされて自殺未遂をした女の話

推し活の記事が話題だからって便乗して書いておく。
ちょうど3ヶ月経つから記念に、覚書の意味も込めて。

ここから記すのは、推し兼片思い相手にライブを出禁にされ、それを苦に自殺未遂をした女の物語である。

笑い話と思って聞いてほしい。だけど、決して誰も私のような過ちを繰り返さないように、願っている。


概要

2024年1月10日早朝3時頃、私は過量服薬による自殺未遂をおこなった。
飲んだ薬などの詳細は伏せるが、元々精神科で処方されていた薬の一日分の40倍ほどの量を一気に服用した。

飲む前に友人2名にLINEで遺書を送っておいたため、そのうちの1人がたまたま気づいて救急車を呼び、私は近くの総合病院へと搬送された。

私は自室で意識不明の状態で倒れているのを発見され、3日ほど意識が戻らずに生死の境を彷徨い、計7日間の入院生活を過ごした。

推しとの出会い

2022年9月、私は離婚をした。その経緯については主題から逸れるので割愛するが、当時2歳だった娘の親権は元夫に譲ることになり、私は1人きりの生活を始めることになる。

元々、恋愛体質・依存体質ではあった。
加えて、双極性障害という持病を抱え、他にADHDとASDという発達障害の診断も下りていた。
コミュニケーションが得意ではないから人間関係も狭く、友人も少なかった。

そんな私が、元々アーティスト活動をしていた友人の誘いで、とあるライブに赴いたのが、彼と出会ったきっかけだった。

名前を出すことはしたくないので、推しである彼のことは以降『ルイさん』と呼ぶことにする。

ルイさんはギタリストで、普段は美声のボーカルの女の子と2人のユニットをやっていた。

都内にあるとある小さなライブバーで行われていたイベントは、私を夢中にさせた。オープンマイクの時間に私も歌わせてもらったり、もともとやっていたフルートで、ルイさんと友人とぶっつけ本番で合わせたりもした。

つまり『推し』というよりも、最初の出会いは、友人の友人であり、共演者だったのだ。なのでこの話は、通常の推し活とは少し違っているかもしれない。

友人兼ファンになるまで

ルイさんは私の友人ともよく一緒にライブに出ていたので、友人のライブに行くとルイさんにも会うことが多くなった。

予定が合えば、ライブ帰りにみんなで一緒に飲みに行くこともあった。

ルイさんはライブバーで定期的にイベントを開いていたので、私はたまにそのイベントに行くようになった。

その頃、友人たちの影響で私自身もライブ活動をするようになっていたから、アーティスト仲間のような感じで、ルイさんは私に他の友人や、よく行くお店などを紹介してくれた。

私がルイさんに恋愛感情を抱くようになったのは、その頃だった。

初めのきっかけはTwitterだった。ルイさんはわりとツイートをよくする人で、私も立派なツイ廃だった。
私がいいねをすると、同じタイミング(本当に同時だった)でルイさんからもいいねが届く。そんな偶然みたいなことが何度も重なり、なんとなく親近感を感じることが増えて。

くわえてルイさんのツイートは私のツボにハマるものが多くて。
もともと演奏も好きだったけれど、ツイートから垣間見える彼の人柄に、私はどんどん惹かれていってしまった。

そして私は、ルイさん目当てでライブバーに通うようにもなっていったのだ。

恋愛感情〜告白

ルイさんは私の友人とかなり親しかったから、ライブの後に3人でカラオケでオールをしたり、友人の家に転がりこむこともあって。

その時点でルイさんとの接触頻度はかなり高くなっていて、友人が寝落ちしたあとに、2人で夜じゅう会話をするようなこともあった。

そんなことをしていれば気持ちもどんどん盛り上がってくるもので、私はルイさんのいるところにはどこでも駆けつけるようになってしまった。

たとえば、みんなで飲んでいるときに、Twitterでルイさんから『みんなおいで〜』なんて呟きがあれば、時間の許す限り連絡をとって会いにいってしまったりした。

そんなあるとき、ルイさんがオールで他の友人と飲んでいる場所に、朝の6時から私も駆けつけた。オールで飲んでいたからその場にいた友人たちは途中離脱してしまい、後には私とルイさんだけが残された。

それまで、ちょうど恋愛の話で盛り上がっていて、ルイさんは『彼女がほしい』だの『キスがしたい』だのそれはそれはうるさく言っていたので、私は思わず言ってしまったのだった。

「私じゃ、だめですか?」と。

推しの弟子へ

ルイさんは眠そうでふわふわしていたから、最初は「どうしようかな〜」なんて適当に返事をして。でも結局、私の告白は断った。

特に理由とかは言ってくれなかったけれど、「これまで通り友達でいよう」と言ってくれた言葉を間に受けた私は、その後もルイさんとオールで遊んだりバーで一緒に飲んだり(2人じゃなくてみんながいるところである)、友人としての接触を続けていた。

だけど、友人としての接触を続けていればいるほど、気持ちというのはすぐに切り替えられるものではない。私はずっとルイさんに片思いをしていた。そして、自分ではそのつもりがなかったけれど、その好意は周りから見るとダダ漏れになっていたようだった。

そんなある日、ルイさんが私に「ギターのレッスンを受けないか」と誘いかけてきた。

少し前に、私が昔ギターに挑戦したけど挫折してしまった、という話をしていたから、それを覚えていてくれたようだった。

経済的に余裕があるわけじゃないから、少し迷ったけれど。結局私はルイさんと一緒にいたいがために、ギターのレッスンを受けることにしたのだった。

しかしルイさんと一緒にいたいというのはきっかけではあったけれど、私は至って真面目にギターのレッスンを受けていた。

私は自分の曲をギターで弾き語りできるようになりたかったのだ。
レッスンは、初めは月に2回だったけれど、月に4回に増やして。つまりほぼ週に1回、ルイさんに会うことになった。

レッスンは、私の自宅で行われた。ちょうど私は引っ越しをしたばかりだったから、レッスンの前にちょっと時間をとってもらって片付けを手伝ってもらったり、カーテンをつけてもらったりしたこともあった。

レッスンは楽しかったし、私はギターをそれはそれは頑張って練習したし、それになにより、ルイさんと一緒に過ごせる時間が嬉しかった。

レッスンのあとは公私のケジメをつけるために、友人とはいえ一緒に食事をするのが禁止というルールがあったけれど。それでも週に1回好きな人と一緒に過ごす時間が持てるというのは、私にとって贅沢な時間だった。

ルイさんのライブには、ほぼ毎回行くようになっていた。
ライブは毎回多くの人が来ているわけではなくて、場所によってはお客さんが私1人のときもあった。

そんなときはルイさんは、出番のあと私の近くにきて、一緒におしゃべりをしたりタバコを吸ったりした。私はルイさんと一緒にタバコを吸うのが嬉しくて吸い続けているうちに、いつのまにか立派な喫煙者になってしまった。

私はルイさんと一緒に時間を過ごせることが嬉しくて、恋人になれなくても弟子として友人としてファンとして、ちょっとだけ近くにいられればそれでよかった。それでいいと思っていた。

私の推しと私のファンが仲良くなる

私はルイさんと恋人になりたいと思っていたわけではなかった。少なくとも自分ではそう認知していた。実際、ルイさんに振られたあとに別の恋人ができたこともあった。

だけど、私の中には結局、ルイさんへの気持ちはずっと燻っていたようだった。

それは2023年の12月上旬の頃だった。

元々私の小説のファンだと言って、ライブに来てくれた女の子がいた。(書きそびれたが、私はアマチュアの百合小説家である。ちなみにバイセクシャルである)彼女のことは『ミドリ』と呼ぶことにする。

ミドリは私のライブに来たことをきっかけに音楽活動をするようになっていたのだけど、12月のルイさんのライブイベントではなんとルイさんと共演したのだった。

私のファンの子が私の推し(兼友人兼先生兼好きな人)と仲良くしているのは不思議な気持ちだったし、ルイさんとの共演は羨ましくてたまらなかったけれど、私のお気に入りの2人が仲良くしているのは悪いことではないだろう。そう思っていた。

ライブイベントの帰りに、ルイさんとミドリと私でカラオケに行った。ミドリは初め、自分の恋愛対象は女だと言い、私を口説くような言動を見せていたのだが、ルイさんの声を聞くと途端にギャアギャア騒ぎだし、耳がおかしくなっただの声を聞いて濡れただのと言い出した。

ずいぶんとオープンな子だなあと思っていたのだけど、そんなことを思っている場合ではなかった。

ファンの女の子と仲良くなる

カラオケでルイさんにときめいてしまったミドリは、私に百合小説を送ってきた。それはルイさんを女性に変えてカラオケの夜の出来事の続きを妄想した、えっちな小説だった。

ミドリはそれ以前に、私の誕生日に私をモデルにした小説を送ってきていて、口説いてるのかと思ったものだったけど、同じことをルイさんにしていて、私は複雑な気持ちだった。

そんなやりとりをしながら、ルイさんの話などもしながら、いつのまにか私とミドリとの関係が急接近する。

ミドリはルイさんへの感情はただの性欲だから、などと言っていて、私も(それもどうなんだ……)と思いながらも、懐いてくるミドリが可愛くて、いつのまにか惹かれていった。

ミドリが一時期メンタル的に落ち込むような出来事があって、私とミドリは毎晩のように電話をするようになっていた。

ミドリは家が遠いから、ライブイベントのときくらいしか会えなくて、だけど年末にまたルイさんと一緒にライブに出るから、その後に2人で一緒に2丁目デートをしてお泊まりをしよう、という計画を立てていた。

私は浮かれていて、すごく可愛くてお高い某バリ島リゾート風のラブホテルを予約して、ミドリはミドリで、お揃いの何かを買いませんかなんて言って、電話しながら一緒にブレスレットなりリボンなりを探したりもした。

「もう付き合っちゃいますか?」といミドリに対して私は「そういうことは実際に会って話すものだよ」なんて言って。それはもう実際付き合っているようなものだったと思う。少なくとも私はそう認識していた。

そんな頃、ライブイベントのリハのために、ルイさんがミドリの家の近くまで行く機会があった。リハなのだからそんなに気にすることはないはずなのだけど、私はなぜか、なんとなく不安になった。嫌な予感がしたのだ。

だけどその予感は的中することになってしまったのだった。

私の推しと私のファンが付き合う

詳しい部分は訳あって割愛するけれども、結果として、ミドリは私を裏切り、ルイさんに告白してしまう。

そしてルイさんは、私とミドリの関係を知りながら、ミドリの告白を受け入れてしまった。

そして私はその事実を、ミドリではなくルイさんの口から聞くことになったのだった。

さすがにこんなことがあると、私のメンタルもおかしくなっても仕方がないと、主治医にも言われた。

主治医は私の病状悪化を恐れて、いつもより多めの頓服を出してくれた。

私は表向きは、もともと友人である2人の関係を応援すると言っていた。順番を違えているとはいえ、どのみち彼らがお互いを好きになったという事実は変えることはできない。

それに私はもともとルイさんには振られている。ずっと前に振られた段階で、そこには1ミリも期待できるものなどなかったのだから。

2人が一緒にいるのを見るのは辛かった。だけど私は2人と友達であり続けようとしたし、それでもまだルイさんのライブに行っていた。

しかし時折メンタルが不安定になった私は、彼らの名前を伏せつつも、あった出来事を書いたり、不穏なツイートを繰り返すようになっていた。

出禁、そして

ルイさんは罪悪感からなのか、それからは今までにないくらい、私にLINEを送ってくれるようになった。私は複雑な思いだったけれど、それでもやりとりができて嬉しかった。

一方ミドリも、私によくLINEをしてきた。ほとんどはルイさんの話で、惚気話もあったけれど。しんどかったけれど、それでも楽しく聞いていた。

最後のきっかけは、年明けのイベントだった。

色々あって1月いっぱいで活動をしばらくお休みするというルイさんのイベントに行くと、イベント帰りの夜道で、2人で歩いているときに言われたのだ。

「距離をおきましょう」と。

そして、1月下旬にある最後のイベントには来ないでほしい、とも。

理由は、私に、「ちゃんと失恋をしてほしい」ということだった。

このまま3人で仲良くしていても、2人は恋人同士であり、これからどんどん仲良くなっていく。その姿を見た私の心が壊れてしまうことを、ルイさんは恐れていたのだった。

やさしい提案だったとは思う。
事実、私の心は壊れていた。同時に2つの失恋をして、どんな気持ちで生活をしたらいいか、わからなくなっていたから。

だけど、それでもせめて、ルイさんのファンは続けていようと思った。
ルイさんのギターの音を聴いていたら、きっといつか、愛とか恋とか、そんな感情もどうでも良くなるような気がしていたから。

だから、「距離をおこう」「ライブには来ないでほしい」と言われて、私は頭の中がまっしろになった。

ルイさんに彼女ができたことよりも、ミドリに裏切られたことよりも、ルイさんのライブに来ないでほしいと言われたことが何よりショックだったのだ。

私はその後も、どうにか理由をつけてルイさんに会いにいこうとしたけど、ルイさんには拒絶されてしまった。


そして1月10日。
その日はミドリがライブをする日だった。多分、ルイさんもそれに行くのだろう。

もうしばらく会わないほうがいい、というルイさんの言葉を目にした私は、ついに愚かな行為を行なってしまう。

ルイさんに長文の告白のようなメッセージを送ったのだった。

気が狂っていることを承知で、以下に全文を載せる。

ありがとうございます。

本当は大丈夫になんかなりたくないんです。
迷惑かけないようにするし、友達でいること以外何も望まないから、ずっと好きでいたいです。

ルイさんのことが好きです。
声が好きです。お顔が好きです。指とか鎖骨とか髪の毛とかほっぺたとかおめめとかが好きです。いい匂いなところが好きです。誠実なところが好きです。優しいところが好きです。こんな私のことさえ褒めてくれるところが好きです。どんな人にも同じように接しようとしてるところが好きです。優柔不断だったり、損切りができなかったり、過去をクヨクヨしちゃうところも好きです。私がこんなに迷惑をかけても切ることができないところも好きです。ツイートが面白いのが好きです。綺麗なものを愛してお空とか星とか山とかいい写真撮れるところが好きです。ちゃんとお料理して美味しそうなものを作ってるところも好きです。謎の赤い食べ物とか、不思議な味のお酒を摂取してるところも好きです。過去の恋人とか想い出とか大事にしてるところも好きです。誰かや何かを好きになったら周りが見えないくらい夢中になっちゃうところも好きです。無責任にいろんなことを誘ってくるところも好きです。それをすっかり忘れちゃうところも好きです。酔っ払って抱きしめてくれたのに、それをすっかりなかったことにしちゃうところも、お酒に逃げちゃうところも、ポストが開けられないところも好きです。
ルイさんのギターの音が好きです。レッスンしてくれる教え方が好きです。いろんな音楽を知ってて広い世界を見ているところが好きです。厳しいと言われても音楽に対して妥協しないところが好きです。ルイさんの作る音楽が大好きです。

私はルイさんのことをまだまだ知らないことばかりだけど、それでもたった一年の付き合いでもこれだけたくさんの好きが積み重ねられてしまって、嫌になるくらい心を持って行かれてしまいました。
お名前の文字列を見るだけで、Twitterのアイコンを見るだけで、LINEの通知を見るだけで嬉しい気持ちになりました。夜中にツイートしてるのを見てるだけで心がときめきました。

もしもルイさんに身寄りがないことがあれば、本気で看取りたいと思っていました。友達でいいからずっと近くにいたいと、一生嘘をついて誤魔化してでもそうしたいと思っていました。

他の誰のことも好きになるつもりもありません。お役に立てるならどんなことだってしたいです。一生誰にも触れられなくても愛されなくてもいいから、ルイさんの近くにいたくて、ずっと好きでいたいです。

気持ち悪くてごめんなさい。
重すぎることはわかっています。こんなに好きになるのが異常だとも、執着や依存してると思われることも。
きっと、こんなふうに好きでいることそのものが迷惑になってしまうから、私はいっそ消えてしまいたいと思ってしまいます。

でも死にたくても消えてしまいたくても、それはすごく迷惑をかけてしまうことだから、それすらもできません。
どうしたらいいか何もわかりません。
距離を置くということが身を切られるほど辛いです。会いたいです。姿を見たいです。声を聞きたいです。

ごめんなさい。
嘘をついてばかりでごめんなさい。
好きになってしまって、ごめんなさい。

もう、終わりにします。存在ごと消えてしまいたいです。本当にごめんなさい。
今までありがとうございました。

気が狂った女のLINE


過量服薬

ルイさんからの既読はつかなかった。Twitterを見れば、変な時間に相変わらずよくわからない食べ物の写真を載せていて。それはつまり、意図的に未読無視をされているということだった。

なんだか、全てがバカバカしく感じてしまって。
こんな想いに意味なんかないんだな、と思った。

そして私は、それを始めた。
ゆっくり一つずつ、処方されていた薬を開けて準備をおこなった。

それは深夜、午前3時のことだった。

私はルイさんともう1人別の友人に遺書を送りつけ、そして砕いて溶かして液状にした薬を飲んだ。

不自然な甘さが舌を伝う。遅れて、苦味がやってきた。
やっぱり、不味い。

その味と、自分のしている行為が気持ち悪くて、思わずえずきそうになるが、なんとか耐えて、少しずつ飲む。

そして、ついに全部飲み終わった。ベッドの上に寝転び、目を瞑る。

どれくらい、時間が経っただろうか。
気づいた時には、身体中がしびれ、力が入らなくなっていた。

息が苦しい。喉の辺りが熱くなってきて、空気がうまく吸えない。

苦しい。

身体が動かない。

思わずスマホを手に取る。視界が歪む。

そのときになって、急に恐ろしくなった。

このままでは死ぬ。

死のうとしたんだから、そんなの当たり前なのだけど。

私って、本当にバカなんだなぁ。こんなときなのに、笑えてくる。

そうしている間にも、少しずつ、頭がぼうっとしてくる。どんどん息ができなくなり、指が震える。

怖くて、たまらなくなる。

……ルイさん。

最後に会いたかった。せめて、声を聞きたかった。

……たすけて。

必死でスマホを持って、ルイさんに電話をかけようとした。
苦しくて苦しくて、自分でこんなことをしておいて、馬鹿みたいだけど、助けてほしくて。

だけど、目が見えなくて、指が震えて、LINEの通話ボタンを押すことができない。

……たすけて。

もう、声なんか出なくて。苦しくて、寝返りを打つ。

……たすけて。

そうこうするうちに、私の手からスマホが転がり落ちて、ベッドの隙間に、落ちた。

絶望というのは、こういうことなんだろう。
私はそれを、このとき初めて、思い知った。

それを拾う体力なんて、もう残っていなかった。
身体はもう、ほとんど動かせなかった。

みっともなく足をばたつかせて隣人に助けを求めようとしたけど、ついに力が入らなくなった。

好きになって、ごめんなさい。こんなことをして、ごめんなさい。

そして、そこで私の意識は途切れた。

奇跡の生還〜入院生活

すごく、長い、怖い夢を見ていた。

あまりに怖かったからここに書くのもやめるけれど、薬の作用で私は幻覚を見て、せん妄状態で暴れていたらしい。

気づいた時には両手両足を拘束されていた。

運び込まれたのは、家の近くの総合病院の救急救命棟だった。
気がつくと、医師らしき人に呼びかけられた。

「今、何月何日かわかりますか?」

私はその質問に答えることができなかった。答えられるわけがなかった。
意識が朦朧としていたのもあったけれど、そもそも私は3日間も意識不明だったのだから。

初めは、水を飲むこともできなかった。
唇が乾いてガサガサにめくれていて、喉はカラカラだったけれど、飲水許可はしばらく下りなくて、苦しさのあまりまた暴れたのをなんとなく記憶している。

やっと許可が下りて、哺乳瓶にストローをさしたようなもので看護師さんが水を飲ませてくれた。
その水がどれだけ美味しかったか、私は生涯忘れることはないと思う。

しばらくして私が暴れなくなると、手足の拘束は解かれた。
トイレに行きたいと思って看護師さんに訴えると、おむつをしているからそこでしていいですよと言われる。

そこで初めて、私は下半身が管でつながれ、おむつを履かされていることに気づいた。だけど意識はまだ朦朧としていて、恥ずかしいという気持ちにすらならなかった。

どれくらいかわからないけれど朦朧とする日々が続いた。排泄と飲水を訴えるだけの生き物になっていた。

やがて目を開け、身体を起こしていることができるようになると、食事の許可が下りた。

そこでも感じたのは、食べるということがどんなに素晴らしいのか、ということだった。

薄い味とか美味しくないといわれがちな病院食だけど、そのときの私には本当に美味しいごちそうだった。

そのまま、合わせて7日間ほど、救命病棟に入院していた。
退院前日、精神科の医師がやってきて、私に過量服薬の経緯を聞いてきた。

医師は私の話を静かに聞いてくれた後、
「そうですか。そんなことがあったら、死にたくなってしまっても、仕方がないかもしれません」
そう言ってくれた。

退院後、そして今も残る後遺症

退院後、主治医にも報告した。主治医は珍しく怖い顔をしていたけど、私が反省していることも、そうなるに至った事情もわかっていたから、あまり厳しいことは言われなかった。

私はODした薬をもう飲めなくなった。
あのときの苦しさを思い出して、薬の外装を見るだけで気持ち悪くなってしまって。

その後は現在に至るまで、週1〜月2回程度の通院を続けている。

結局、ルイさんとはあれから一度も会っていない。
救急車を呼んでくれたのがルイさんだとわかって、私は申し訳なさとそれからほんの少しの嬉しさもあって、生還報告のLINEを送ったのだけど、それにはなかなか既読がつかなかった。

怒っているのだろうかと不安に思っていると、ルイさんから返事が届いた。
それは、もう会わないほうがいいということと、今後ライブをはじめ、一切自分の関わっている範囲には来ないでほしい、という内容だった。

会えばまた、同じことを繰り返してしまうだろうから、と。

ギターのレッスンも、当然もう受けられなくなった。
ルイさんは自分のライブ動画を自分でアップしないから、ルイさんの演奏を聴くすべはもうなくなった。

それは、何より辛いことだった。

私はボロボロに泣いた。どうしようもなく辛かった。
また死んでしまいたくなったけれど、でももうそれもできなかった。

しかし幸いにも、私にはその後支えてくれる友人や、恋人もできて(今は別れているけど)、それでなんとか今まで生き抜くことができた。

家族にはだいぶ叱られて、仕事も失って(試用期間中にこんなことになったのでクビになった)、一時は実家に戻っていたけれど、今は障害年金をいただきながら、小説とライティングの仕事を細々として、なんとか一人暮らしができている。

だけど、あれから私はいまだに、眠ることが怖い。

夜になって目を瞑って、意識がなくなることが怖いのだ。

主治医に相談して眠剤を出してもらったりもしたのだが、身体がだるく動かなくなっていく感覚が、ODしたときの感覚に似ていて怖くて、その後は飲むことができなかった。

だから私は、限界まで起きて文章を書きながら、それから自然と寝落ちるのを待つしかなくなっている。

そして多分、今夜もそうするのだろう。

最後に

ここまで読んでくれて、どうもありがとう。

流行りの推し活の話とはちょっとまた違ったテイストの話になってしまったけれど、私が伝えたかったのは、どんなに辛くても、絶対に自殺なんて愚かで惨めな行為はしちゃならないってこと。

それがたかが1人の「推し」のことで死ぬなんて馬鹿げている。

死ななくても、たった1人の人間に人生をかけたり、依存したりする人は、ほんの少しだけ、私に近いところにいるかもしれないことに、注意してほしい。

生きてるって、素晴らしいんだよ。

水は美味しい、ごはんは美味しい、音楽は素晴らしいものだし、百合小説は尊い。

だからみんな、生きてね。約束だよ。


★宣伝★

ここまでの私の経験を元に、いい感じに「創作」してまとめた三角関係百合小説を書きました。

ストーリーは完全オリジナルですが、個々のエピソードにはエモいリアルのセリフなんかも入っていたりします。

今は有料記事なんですが、そのうち同人誌やら、カクヨムやらで出すかもしれません。

というわけで、よろしければぜひ。


ついでに私の普段の活動のリンクも貼っときます。

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