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建築とアジリティ vol.1 『アジャイル設計』の可能性を探る。

『アジャイル』という言葉をご存知だろうか。

建築の世界ではほとんど馴染みのないかもしれないが、IT系スタートアップやソフトウェア開発界隈では頻出単語である。

『アジャイル(agile)』という言葉自体は、「素早い」「機敏な」「柔軟性がある」などと直訳される。『アジリティ(agility)』は、その形容詞形。

『アジャイル開発』とはすなわち、小さな単位で実装とテストを繰り返し、素早くかつ確実に開発を進めていく手法である。

私自身がこの概念に初めて出会ったのは、Eric Ries著のThe Lean Start-upを読んだとき。なんて画期的なんだろう!と感銘を受け、関連する本や文献を色々と読み漁った。目から鱗が落ちっぱなしだった。

アジャイル開発の基本は、BUILD-MEASURE-LEARNのフィードバックループに要するトータル時間を最短にすること。

私が専門とする建築は、『アジャイル』という概念と相性があまりよくない。それも当然である。アジャイル開発と親和性のあるIT業界は、作り上げあるもの自体のスケールも、それを作り上げるスピードもちがう。完成形を見据えた中・長期間のスケジュールを引き、はじめから順序だて、工程一つひとつを着実にこなし、一度竣工すれば(出来上がれば)それまでだ。

だが、そこでふと思った。

これほどにもアジリティの重要性と画期性が叫ばれているなか、建築はこのままでいいのだろうか。

建築のアジリティって、そもそもなんだろう?
アジャイルな建築って、すでに存在しているのだろうか?
設計にアジャイル開発の手法を取り入れるとどうなるのか?
逆になぜ今までそれがなかったのだろう?

私の頭に様々なハテナが浮かびはじめていた矢先の、2020年春。
オンデザインで、あるプロジェクトに召喚された。

とある日本の大企業(仮に『X社』としよう)が、新しい働く場をつくるために、コンペを開催するとのこと。それこそが、私が抱いている様々な疑問に真っ向勝負できる、絶好のチャンスとなった。この記事では、このプロジェクトをケーススタディとしながら、アジャイル設計の可能性について、さらには、アジリティのある建築の未来について考察していきたい。

◆「場」をアジャイルに作るプロジェクト

2020年春。「X社に旋風を巻き起こそう」という強い意志を持つX社の勇者たちが立ち上がり、チームを結成した。そして、彼ら自身がこのイノベーション活動を展開する拠点づくりを共に担う設計事務所を募った。

私の当時の所属事務所オンデザインパートナーズがそのコンペに応募したのが、本プロジェクトのはじまりである。

完成イメージを一切見せずに勝った建築コンペ

このコンペはなかなかの曲者だった。
というのも、コンペの主催者であるX社は、長い歴史と伝統をもつ日本老舗の大企業であり、イノベーションしようと言ったものの、具体的な方向性がはじめから見えていたわけではなかった。大きなビジョンは掲げたはいいが、具体的な要望がなければ、デザインを提案する側も、どこから手をつければいいかわからない。

そんな、雲をつかむような状況だった。

そこで私たちは、この状況を逆手に取り、X社とオンデザインが共同体を組み、一緒に設計を進めていくためのプロセスを提案した。通常の設計コンペというものは、模型なり3Dパースといった完成予想図を主宰側に見せ、ビジュアルに訴えかけることで勝ち負けを決めていくが、今回のコンペで私たちは、完成図を何一つ見せなかった。

このコンペでは私たちは、完成イメージではなく、完成までのプロセスを提案した。

アジャイル設計という発明

完成図を見せずにプロセスを提案した背景としては、「どんな空間が必要かなんて、実際に使ってみないと誰もわからないじゃん!」という考えがある。

これは、考えることを放棄しているわけでは全くない。むしろ逆で、はじめから完成状態である100を想定して、0→100を目指すよりも、100の状態なんて今は誰もわからないのだから、0→10、10→20、…90→100というように、段階的に作り上げていこうというスタンスだ。

前者がいわゆる『ウォーターフォール型開発』であり、後者が『アジャイル型開発』

この2つの概念について少し詳しく説明する。
プロジェクトの初期段階で設定された工程が適正化されているという前提のもと、作業を進行していく開発手法である『ウォーターフォール型』の対極にある手法こそが『アジャイル型開発』であり、プロジェクトは状況に応じて常に変化し、完璧な予測をすることは不可能であるという前提のもと、ミニマルなステップで試行錯誤するサイクルをできるだけ多く回し、小さな前進を繰り返しながら全体の完成度を確実に高めていく手法である。スタートアップ界隈でよく使われている言葉だからか、『アジャイル』という言葉はハイリスクな手法だと思われがちだが、実際はその逆であり、アジリティは、確実に前進するために重要な概念なのである。

私たちは、この一連のプロセスで用いた設計手法を『アジャイル設計』と名付けた。そういうと、複雑なプログラムを書いて、サーバーをいくつも使ってクラウド上で監理して…といったテクノロジーてんこ盛りなものがイメージされるかもしれない。が、アジャイル設計とはむしろ、考え方のツールとそのプロセスのことを指し、ハイテクな技術によって本質的に定義されるわけではない。

完成状態を見据えず、フィードバックループシステムを踏まえた一連のプロセス。

◆ アジャイル設計を行うための条件

この『アジャイル設計』というのは、イノベーションを行う組織側にとっても、その空間を実際に作り上げる設計事務所側にとっても、両者にとって画期的な思考プロセスである。

一方で、アジャイル設計を行うためには、いくつかの条件設定が必要不可欠だということが、このプロジェクトを通じてよく理解できた。

1. 受注者と発注者の共同体としての意識

冒頭から、X社とオンデザインが共同体を組みプロジェクトを進めてきたことは述べてきたが、アジャイル設計を行うには今回のように、受注者と発注者がシームレスに繋がる必要がある。

通常の設計であれば、事業のコンセプトや、ミッション・バリュー・ビジョンなどといった経営方針(ソフト面)は発注者側が担い、それを実現するために落とし込まれた要件に沿って、受注者が空間や設備(ハード面)を整備していくという、明確な線引きが存在する。

一方、今回のプロジェクトでは、特定の専門性から必要最低限の役割分担は当然生じるものの、X社ととオンデザインの両者の関係性が基本フラットな環境のなかで、ソフト面とハード面のイノベーションが同時進行的に行われたため、互いに密にフィードバックし合いながら、プロジェクト全体を展開していくことが可能であった。

2. ユーザーの声をフィードバックしていく仕組みづくり

この段階でさらに必要となるのが、フィードバックされた情報を確実に拾い上げ、ネクストアクションへとつなげるためのシステム

通常の設計プロセスにおいて設計者(受注者)は、クライアント(発注者)の要望やニーズについてヒアリングをし、その際得られた情報をもとにデザインを考えていく。議事録などの形でその情報は記録されるものの、基本的にその内容がそこから更新されることはない。

このプロジェクトでは、『ヒアリング』の解釈を大幅に広げた。共同体制を最大限活用し、設計者とクライアントが一緒に、現状の課題について幅広く話し合い、それに対するアイデアを出し合うワークショップを複数回行った。

一連のワークショップから得られた膨大な情報は、一次データ(=ユーザーの声)としてストックしつつ、KJ法などを用いながら分析・整理することで、表面的に現れるクライアントの要望やニーズの上位にある思想・考え(=マインドセット)へアクセスすることが可能になった。このように、ユーザーの声をマインドセットとして一度抽象化することによって、ユーザーの声を具体的な空間や設備(=ファシリティ)に落とし込む際の可能性が、ぐっと広がる。

ユーザーの声・マインドセット・ファシリティという3つの要素は、どれか一つでも変化すれば、残り二つも連鎖的に変化するといったように、互いに影響を及ぼしあいながら、有機的にアップデートしていくフレームワーク(★)が見てとれる。プロジェクト全体が一つの生態系のように更新していくこの在り様は、まさにアジャイル開発そのものと言える。

★ このフレームワークは『ドーナツ型イノベーションプロセス』と名付けた。
詳しくは後日の記事にて。

◆ アジャイルな建築がもたらす未来

では、アジャイル設計が実際にできるようになると、具体的に建築はどのように変わるのか?

1. 空間の確実性と柔軟性

通常の設計プロジェクトも、設計者とクライアントの密なコミュニケーション体制の中、あらゆる調整をしながら進行していく。しかし、建築プロジェクトは全般的に工期が長いうえにステークホルダーも多く、初期に想定したものから大幅な変更を余儀なくされることも少なくない。

明確なフィードバックシステムによって、建築全体のコンセプトから素材一つまで、設計内容一つ一つの解像度が上がるため、空間を更新するための手がかりが常に豊富にある状態でプロジェクトが進行していく。

2. 建築家の独りよがりな設計が減る

アジャイル設計では、設計者のアイデアをすぐに形にし、実装させ、十分なフィードバックを反映させながらアイデアを発展させていくというループを、素早く回しながら空間を作り上げるため、本質的に必要な空間を、確実に作ることができる。

また、ユーザーを中心に考えるというアジャイルの原則によって設計者の独りよがりなデザインを防ぐことで、「せっかくお金かけてつくったのに、全然使われていない…」という残念な状況が、圧倒的に減るだろう。

3. 設計業務契約の在り方が変わる

受注者と発注者の間で交わされる設計業務委託契約の内容も変わると予想される。

設計者が描く完成予想図に対して対価(設計料 / design fee)を支払うのが、一般的な設計業務委託契約である。一方、アジャイル設計では、「そもそも完成予想図は描けない」というのが根底にあるため、通常フィーが発生する対象となる成果物なるものが存在しない。

アジャイル設計の一番のハードルは、おそらくここにある。

建設業界のような大きな金額が動く消費社会では特に、最終的な成果物ばかりが注目され、そこに至るまでのプロセスの価値が見過ごされてしまう。『アジャイル設計』を行うメリットをクライアント側に、いかに明確に提示していけるかが、設計者の腕の見せ所であると思う。

◆ アジャイル設計の実績をつくっていこう。

X社のように、長い歴史と伝統がありつつも、大きく方向転換して変革を起こしていく必要性に迫られる企業は、今後増えいくことは街がない。

しかし現状では、前例がほとんどない『アジャイル設計』に対する理解を得るのは難しい。

だからこそ私たちはまず、建築家として、『アジャイル設計』の可能性についてもっと議論し、その可能性を探るべきだと思う。そこからさらに、X社との共同プロジェクトにて構築したプロセスのフレームワークを手掛かりに、さらに前例を作っていく必要があると思う。

『アジャイル設計』という考えが、今後もっと普通のものとして世の中に受け入れられるようになれば、建築プロジェクトにおけるステークホルダーの関係性が一新され、結果、建築そのものも大幅にアップデートされるのではないだろうか。


【写真】Finding simplicity in the complexity ©Yuri Murata


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