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「僕をブロックしてください」

「そもそも、かまってちゃんのまりかをさ、これだけほっぽらかしている時点でアウトじゃないの?
まりか、私と違って、毎朝毎晩愛してるって言ってほしいタイプじゃん」


季節外れの暖かさの土曜の晩、いつだかひめちゃんとワインをぐびぐび飲んだサイゼリヤで、今度はまりかはアカリと約束をしていた。


駅から歩いて10分弱、青く鮮やかな光を放つイルミネーションが、生ぬるい空気の中、かえって寒々しく見えた。
仕事が延びたアカリを待つ間に、まりかは生ビールとエスカルゴを頼んだ。
昨日の講演で、このエスカルゴがはるばるバルト三国のリトアニアから輸入されていると駐日大使が話すのを聞いて、すご食べたくなったのだ。
この週末も誘ってくれなかったタカシは、どうすごしているのだろう、別の人と会っているのだろうか。
そろそろ2杯目のビールを頼もうかというタイミングで、アカリから駅に着いたとLINEが入ったので、生ビールを2杯と小エビのサラダ、にんじんサラダ、青豆サラダを追加で注文することにした。


アカリもまりかも、酔わないと本音は出ないタイプだ。
ビールに続いて、赤ワインの500mlデキャンタとマルゲリータピザを頼み、4月に地方転勤になったアカリのいちばん上の息子の話や、失業中の娘の話、親の介護の話などを話しながらウォームアップする。
13歳からのつき合い、おたがいの子どもたちはもちろん、両親やきょうだい、元配偶者(たち)まで知っているから、自然と話は深くなる。
ふたつ目のデキャンタを頼むころ、職場の愚痴をひとしきり話し終わって、恋愛の話へと移っていった。


「で、アカリは最近、アプリはどうなの?」
「うーん、3日に一度開くくらいかな。
いいね! が来ていると、ひととおりプロフィールは見るけど、ありがとうを返そうかな、どうしようかな、と思いながらアプリを閉じる、の繰り返し」
「なるほどね」

手堅い会社に就職したと思ったら、突然、家出して同棲をはじめ、あっという間に出産したアカリは、昔から慎重で大胆なタイプだ。
らしいな、と思いながら、ワインを注ぎ足して続きを促した。


「それがさ、こないだ写真見てちょっといいなと思う人がいたのね。
でも、プロフィール文がめんどくさそうなわけよ」
「どんなふうに面倒なの?」
「アプリじゃなくてすぐに直接やりとりがいいとか、連絡はマメにほしいとか、すぐに会いたい、とか」
「あー、ね。アカリはあんまり連絡が頻繁だと、うっとうしくなっちゃうもんね」
「そ。次に会う約束があれば、朝はおはようスタンプ、夜はおやすみのスタンプがあれば十分なのよ、私」


そうなのだ。アカリはまりかと違って、朝晩のアイラブユーは必要としない人だ。
アカリの元カレのタケちゃんは、毎晩、電話をかけてくるタイプだった。
対するアカリは、昔から電話は苦手で、着信があると文字で返信をして、結局、コロナで会えなくなってうまくいかなくなっちゃったっけ。


「で、その人から毎晩、足あとがつくのよ」
「うわ、それは面倒くさい」
「それが何週間も」


まりかは、同じようにしつこく足あとをつけられ、後味の悪い思いをした焚き火の好きなJUNさんを思い出した。

まるでゲームのように足あとごっこをする殿方に、ろくな奴はいないと思う。

「で、あまりにしつこかったから、好奇心もあってありがとうって戻したのよね」
「マッチしたんだ?」
「うん。あれこれ条件ばかり出してるけど、どれかは妥協するだろうと思ってさ」
「妥協ねえ」
「案の定、いきなりLINEを教えてくれって言ってきたから、ごめんなさいお会いするまでは教えないんです、って返事をしたのよ」
「そりゃそうだ。で?」
「そしたら、奴、ひどいんだよ。
『わかりました。では僕をブロックしてください』って言うの。
自分でいいねしてきたんだよ?
そもそも、奴が私をブロックすればいいだけの話じゃん」
「そうだよねえ」


アカリは、くいっとグラスのワインを飲み干した。絶好調である。
黒目がちな瞳と、去年の夏に金髪にしたショートカットが引き立てる色白のほおに、ほんのり赤みが加わる。
色っぽい。
舌がすっかりほぐれたアカリが、話を続ける。


「ブロックしてください、に心が折れたのよ。
自分でアプローチしてきたくせに、私から切れって自分を何さまだと思っているのよ」
「本当に面倒な殿方ね。関わる前に切れてよかったじゃん」
「それはそうだけどさ。
いいねしてきても、私に執着していないということに、ショックを受けたんだよね」
「あー、わかる」
「女性はそれなりに選んでからいいねに返事をするけど、殿方は手当たり次第、いいねをばらまいているんだよね。
悩んでいた時間、損しちゃったよ」


まりかは、3度目のデートで体を重ねたとたんに扱いがぞんざいになったタカシのことを思い浮かべた。
彼も別に、まりかでなくてもよかったのだろう。
初めて会った日に手をつないだことも、2度目のデートでキスしたことも、別にまりかでなくてもよかったのだろう。
たまたま、三が日で暇なときにまりかとマッチしたから、恋したつもりになっただけなのかもしれない。
アカリはさらに話し続ける。


「私ね、マッチングアプリは心に余裕がなさすぎても、ありすぎても無理」
「余裕があってもダメなの?」
「うん。余裕があるとそもそも、男なんていらないじゃん。
仕事とか、家のこととか、心に余裕がない一歩手前、くらいの状態だとアプリに走りたくなるんだよね」
「現実逃避?」
「そうそう。余裕があると男が必要なくなっちゃうの」


たしかにそうかもしれない、と、まりかも思った。
アプリにのめり込んでいたのは、伯父が体調崩して施設と病院を行ったり来たりしたり、同居の父の症状がぐんぐん進んで、わけがわからなくなりそうな時期だった。
そのころに比べると、伯父が亡くなり、父が施設に入り、少し落ち着いたら、今度はひとりだけの時間がほしい、というのも本音である。


「アカリにとって、恋人ってどんな存在?」
「がんばってくれる私をほめてくれる人。
よしよしって、甘えさせてくれる人」
「あー、わかる」
「で、たちが悪いことにさ、ほめて甘えさせてくれる男は周りにたくさんいるのよ、ただし既婚者だけど」


アカリは長いまつ毛を伏せて、ふうとため息をついた。


「そうだったよね。
飲み会帰りのタクシーでチューしてきた既婚年下くんは元気?」
「ああ、あれね。上手にまいてるよ。
こないだも一緒にタクシーに乗ろうとされたから、私は回り道だけど駅まで歩いて電車で帰りますって放置した」
「よく逃げたわね」
「そもそもあのチューのときが、心にまったく余裕のない寸前で、飲むたびに醜態を晒していたんだよね」


酒豪で鳴らすアカリが酔い潰れるところを、40年近いつき合いのまりかは見たことがない。
よほど疲れ切って悪酔いしたのだろう。


「母が亡くなって、父の面倒見て、孫が生まれて、職場も次々に退職者が出て睡眠削ってフォローに入って。
だれでもいいから、よしよしでもチューでもしてほしかったんだよね」
「いまは落ち着いちゃったの?」
「うん、ほどほどにね。
で、せっかくアプリを開いたのに、『ブロックしてください』で心が萎えちゃったわよ」

まりかは、無言でアカリのグラスにワインを注いだ。

「まりかこそ、タカシさんはどうなのよ?
週末なのに、私と飲んでていいの?」
「どうなんだろうねえ。
昭和な九州男児、いつ会えると聞くなというから彼のタイミング待ってるんだけど、待てど暮らせど誘ってきやしない」
「そもそも、かまってちゃんのまりかをさ、これだけほっぽらかしている時点でアウトじゃないの?
まりか、私と違って、毎朝毎晩愛してるって言ってほしいタイプじゃん」
「そうなんだけどさ」
「アプリ始めて1年以上でしょ?
ここまできたら、まりか、妥協する必要はないよ。
そんな男、見切りつけて、毎日アイラブユーって言ってくれる人、探しなよ」


まりかは、はっと夢から覚めた。
そうだ、タカシはまりかが殿方に求めるものを持っていない。
気持ちをことばにしないし、まりかの不安な気持ちに気づきもしない。
それはよい悪いではなく、ただタカシがそういう殿方というだけだ。
タカシが悪いわけではなく、悪いとしたら毎日アイラブユーをタカシに求めるまりかの方なのだ。


「そうだよね!
タカシに毎日アイラブユーと言わせるのではなく、まりかが毎日アイラブユーの殿方を見つければいいだけの話だよね」
「そうそう!」
「22日、彼に合わせて休み取ったけど、火曜までに誘われなかったら、もう終わりにする。
でも、アプリは当分もういいや」


タカシを手放そう、と決めたら、すーっと心が軽くなった。
もうまりかからは連絡しないと決めた。


「どうする? まりかまだ飲める?」
「もちろん。デザートとデキャンタをもうひとつ頼もう」


今日は月曜日。
今朝のタカシからのおはようLINEは、既読スルーのままである。
このままフェードアウトか、恋の遺書を突きつけるのか。
結論は、明日のまりかに出してもらおう。
まりかは、まりかの心が喜ぶことだけをするのだ。


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