カラダの形状記憶
「まったくどいつもこいつもさあ。
いいわね、まりかは幸せでさ。
心開かずして脚開かずのまりかも、ついにやっちゃたんだね」
「うふふ。
タカシに抱かれてみてさ、ひとつ前につき合っていた殿方のお持ち物が、とても大きいものだったと気づいた」
「あーそれね。そればっかりはね」
「でもね、タカシ、すごく気持ちよかったんだよ。安心感と愛がたっぷりで」
タカシと肌を重ねた次の日、まりかとゆめみひめこさんは、サイゼリヤでワインをぐびぐび飲んでいた。
ひめちゃん、年明けから災難続きで、少々荒れ気味である。
帝国ホテルで失敬なジジイに3万近く払わされたかと思えば、一昨日は「ひめこさんを抱かせてください」という謎の砲弾に見舞われた。
今日も、午後からお顔合わせ予定だった消防士に少し遅れますの連絡をしようと思ったら、アプリをブロックされていることに気づいたとのこと。
仕事で遅れたまりかが到着したころには、鼻息荒く、ビールと白ワインで臨戦モードに入っていた。
「私さ、ほら、やってみなけりゃわからないじゃん、って人じゃん。
だから、いろんな人としたけど、形状記憶シャツのようになってるの」
「形状記憶?」
「私の中での理想の形と大きさは、最初の彼とその次の彼なんだよね」
「ご立派なお持ち物だったんだ?」
「そう。そのあとに会った人の中でも、一度してみてああこりゃダメだと、それきりになっちゃった人もけっこういたわ」
ひめちゃんの最大の魅力は、この肉食女子なところと、恋に恋する乙女なところのアンバランスさにあると思う。
好奇心旺盛な彼女と彼女の分身を、何十年後も記憶させるほど満足させたお持ち物は、いかなる形状だったのだろう。
色は? 形は? 匂いは? 硬さは? などと、まりかは根掘り葉掘り聞きたかったのだけれども、具体的な言及は避けることにした。
ひめちゃんの話は、さらに続く。
「でもさ、子ども3人抱えてシングルマザーになって、20年以上、ゴブサタだったじゃない?
で、去年の春、マッチングアプリ始めてからまたいろんな人とやってみる中で、気づいたのよ」
「気づいた?」
「そう。前は、最初のふたりが残した形と大きさに合わなくちゃすべて不合格だったけど、いまはどんなのでも受け入れられるようになったんだ! って」
「なるほどね。大きくても小さくても、OKになってたんだ」
「そう。何でもオッケーな形状記憶」
何でもござれということか。
この大きさ以上はなくちゃ! という固定観念がなくなったら、いろいろな殿方を受け入れられるようになったという。
ココロもカラダもひめちゃんにジャストフィットな殿方、今年こそ現れるようにと祈るばかりだ。
「大きさが控えめ、というのも悪いことばかりじゃないのよ。
ほら、まりかはさ、子宮を全摘しているでしょ?
奥が傷口と癒着しているらしく、飛び上がるほど痛いところがあるのだけど、タカシとなら大丈夫かな、って。
婦人科の先生が言っていらしたように、浅めで気持ちいいところを探そうと思う」
「そういうものなんだね」
「男のプライドを傷つけずにセックスのことを伝えるって、難しいよねえ」
「そうなの。彼、九州男児だから、とくに」
彼とは一緒にする、ではなく、抱いてもらう、という表現がぴったりのようだ。
少なくとも彼は、それを望んでいる。
小さいころから優等生で、男子にも負けずに生きてきたまりかだけれども、タカシにだけは張り合わなくてもよいかな、と思っている。
でも、まりかがしてほしいことも、彼に伝わるようにしなくちゃね。
「それにね、終わってからがすごくいいの。
前の彼はさ、終わると、拭いて、すぐパンツはいちゃったんだよ」
「それはないわね」
「タカシはね、呼吸が整うまで中にいてくれて、きれいにしてくれたあと、電車の時間を気にしながらもずっと、ひとつのお布団に包まっていてくれた」
そう、まりかは裸のままただ抱き合っているのが大好きだ。
肌が触れているだけで、ココロに彼の愛情がぐんぐん染み込んで、幸せな気持ちになることができる。
世界中でまりかがそのとき愛する殿方にしかできない、大切な大切な時間だ。
「いいなあ、まりかは幸せでさ」
「ひめちゃんだって、これからだよ。
ほら、職場で上司やお客さんを何万人も観察してきた、人を見抜く力、どうして恋愛には活かせないのよ?」
接客業畑を渡り歩き、何百人もの上司や同僚と丁々発止やってきたひめちゃんは、新しい上司の噂を耳にしただけで、仕事ができるかどうかはもちろん、彼女たちパートをどう扱うかまで見抜くことができる、という。
それなのになぜ、目の前のたったひとりの殿方の本心を見抜くことができないのだろうか。
「だってだってさ、あれは仕事だからできるけどさ、恋愛は別なわけよ」
ひめちゃんは、両手の人差し指を合わせながら、上目遣いにまりかを見やりながら、1オクターブ高い声を出した。
かわいい。この昭和な仕草のひめちゃんは、女子の目から見ても本当にかわいい。
なぜこのひめちゃんが、9か月以上にわたってマッチングアプリで数々の不条理にさらされなくてはならないのか。
「ほら、何ごともやってみなくちゃわからないじゃん。
でも今年は、手ェつながない、キスしない、やらない、がテーマじゃん。
だから、ひめこさまの経験値が上がらないわけよ」
「いやひめちゃん、十分経験値はあると思うよ。
足りないのは、分析と学習だわね」
「えーっ、そうかなあ」
「そうよ、会う前からメッセージでエロ話するヤツは、その場で切る」
「えっ、そこで切っちゃうの? 会ってみたらいい人かもよ?」
「会ってみて納得できなければ、あれこれ理由を教えてあげないで、その場で席を立つなり、帰りの電車で即、無言ブロックする」
「でもでも、その後の展開があるかもよ」
「それでいい人だった試しがあった?」
「そりゃそうだけどさ」
ひめちゃんはふたたび、人差し指同士を合わせて、あの愛らしい拗ねる仕草になった。
まりかは、iPhoneに手を伸ばした。
仕事上がりに必ずメッセージをくれるタカシから、今日はまだメッセージが来ない。
いたしてしまったから、もうまりかの気を引くことには興味がなくなってしまったのだろうか。
それとも、ただ忙しいだけだろうか。
「てかさ、コウイチのときもそうだったけどさ、まりかは私といるときもこうやってiPhoneをしゅっ、しゅっってさ。
いま一緒にいるのは、タカシじゃないんだよ、ひめこなんだよ。
ひめこはだれかといるときは、ほかのだれかが何か言ってきても、スルーなわけ。
それが何よ、まりかってばしゅっ、しゅっ、ってさ」
「だって、タカシが大切なんだもん」
「まったく、どいつもこいつも!」
ひめちゃんは、自分のスマホを人差し指でバンバン叩きながら、そう言って笑った。
まりかも、笑った。
時計はいつの間にか、22時半を指している。
店員の女の子が、ラストオーダーと23時閉店を伝えにテーブルにやってきた。
まりかは笑いながら、いつまでも届かないメッセージを気にしてまた、iPhoneに手を伸ばした。
「ほらっ! いままりかはひめこといるんでしょ!
スマホは放っておきなさい!」
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