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電雷ラプソディ

「じいちゃん、ラジオ貸して」
「暇なのか」
「うん、じいちゃんに出された問題は正解したし」
「そうか、次の問題を考えなきゃな」
「うん、じいちゃんの家にいる間に自由研究は終わらせたいんだ」
 昇《のぼる》は、祖父である勲《いさお》の年季の入ったラジオのスイッチを入れた。
「ガリガリ、ジジジ」
 ハガキを読むパーソナリティーの声に交じって雑音が入った。
「こりゃ、一雨くるか」
「え?」
 遠くの空に閃光が走る。ゴロゴロと不穏な音が聞こえたと思うと、耳をつんざくほどの雷が鳴り大粒の雨が庭の木々を打った。
「じいちゃん、何で分かったの」
「昇、良い問題が空から降ってきたじゃないか」
「何で雨が降るか分かったか?」
 顔をしかめる昇に、「ヒントはラジオ」と笑う。
「そういえば雑音が――そして光った」
「それが分かれば正解は近いよ。蔵にある本を後で見てごらん」
「――うん、分かった」
 庭の一角にある蔵に、勲が大学時代に集めた文献や、中学教師だった頃の教科書や参考書があった。電気をぽつりとつける。
「茶碗とか掛け軸は全然ないんだな」
 几帳面に分類されており目当ての本はすぐに見つけられた。参考書や写真集を作業台に乗せる。
「えーと、雨かな、雷かな」
 ぺらぺらとめくると、空にいくつもの龍がのたうち回っているような写真が目に飛び込んできた。
「雷って色んな種類があるんだ」
『熱雷《ねつらい》強い日射で発生した地表からの上昇気流によって起こる。強い日射だけではなく、上空に寒気があると発生しやすい。(気象・天気図の読み方・楽しみ方/成美堂出版)』
 難しい内容の本であったが、雲の図鑑には興味を惹かれた。
 ラジオの仕組みの本はさらに難解だ。それでも、コラムの中に知りたいことが書いてあった。ラジオは中波放送と短波放送があり、中波放送は混信やノイズに弱く、雷や外国のラジオ局を拾ってしまうことがあるらしい。
「えーと、AMラジオが中波、FMラジオが短波と」
 ノートに文章をまとめていく。
「目が疲れた」
 蔵を出ると出会い頭のセミにぶつかられ思わず声が出た。
「昇、そんなところにいたのかい」
「ばあちゃん、畑に行ってたんだ」
 祖母の育江《いくえ》が抱える段ボールの中を覗きこむと、トマトやキュウリ、そして土の匂いがした。
「おやつ食べるかい」
「うん」
 チョコレート菓子やお煎餅を出しながら、「大したものがなくてごめんね。スイカも食べて」と、どんと置かれた巨大なスイカに手を伸ばす。
「スイカの早食いなんて無理だった」
 縁側にごろんと寝転がりラジオをつける。夕方の風がちりんと風鈴を鳴らした。蚊取り線香の優しい香りが鼻腔をくすぐる。
 うとうとしている間に、どこかの国の美しい歌を聞いた。叙情的な女性の歌声がノイズ音に交じって近くなったり遠のいたり波のように昇を揺らした。それがラジオから聞こえたのか、夢のだったのかはっきりしない。「飯食うぞ」という声で目を開けると、風呂上りの勲が、昇の顔を見下ろしていた。
「どうした、風邪でもひいたか」
「いや、大丈夫」と、食器が片付けられる傍らで、古びた一冊のノートをテーブルに置いた。
「これじいちゃんの?」
 テレビのリモコンを操作する手を止め、ノートと育江をちらりと見た。
「夏休みの自由研究だ」
「糸電話はどこまで聞こえるか?」
「はい、そこまで」
 さっと勲はノートを閉じる。
「えー、参考にしたいよ」
「雷とラジオの謎を書けば自由研究は完成だろう」
 そそくさと、ノートを持って居間を出て行ってしまった。でも、本当は蔵で見つけたときに読んで、自由研究は途中までだったこと、それでも、担任教師からは誉められていたことを知っていた。
「ねぇ、じいちゃんさ、何で中学生の時の自由研究が途中までなのか知ってる?」
 育江と勲は幼なじみで、クラスも一緒だった。
「あれはね、じいちゃんの初恋だったのかしら」
 育江の話を要約するとこうだ。産休に入った担任の代わりに臨時で教えてくれた教育実習の先生に夢中になってしまったことが原因らしい。
「あれこれ、不馴れな先生の手伝いをしていたら、自分の宿題を完成出来なくなっちゃったんだって。あんな顔して可愛いところあるでしょう」
「・・・・・・」
「昇は大丈夫よね?」
「あ、そうだ。明日の天気予報のチェックしなきゃ」
 逃げるように部屋に戻ると、布団の上でノートを開く。明日は午後に雨が降る予報が出ていた。後はもう一度ラジオにノイズが入るのを待つのみだ。
「もう一度あの歌が聴けたらな」  
 目を閉じたまぶたの奥で電光が閃く。
 

 了

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