隔たりの青
最近、「青」が目につくようになった。
といっても、私は青色が好きなわけではない。
でもなぜか、「青」が目につく。
自分の心が苦しいと思った時は海を見に行くようになり。
素敵だなと思う映画は「青」がキーワードになっていた。
ふと目を奪われる画像や動画は青色が基調のものが多くなった。
なんなんだこれは一体。
なんだかおかしいくらいに私の周りに「青」が集まってくる。
それは吸い寄せられるように、というか私が吸い寄せているからなのか。
とにかく私の外側は「青」がキーワードになっていた。
そんな変化の中、
自分の内側も人生の中でいろんな「色」の変化があったことに気づいた。
幼いころの私はオレンジ。
太陽のように明るく、すべてを照らしつくすようなオレンジ。
無邪気いろんなことに気づき、話して動いていた。
私の言うことはだいたい正論とされて、正義みたいな人だった。
10代の私はグレー。
オレンジだった私は中学・高校の雰囲気になじめず、どんどん曇り始める。
お日様に分厚い雲が隠れるように、どんどん光が見えなくなって、
気が付けば、どこに行くのか、自分は誰なのか、常にかすんでいた。
自分の一挙一動に自信がなくて、常に何かにおびえていた。
周りのどんな色にも合わせることが出来るグレー。だけど、孤独だった。
20歳の私はグリーン。
霞んでいた私の心は水を求めている荒れ地のようで。
「承認」という水が欲しくて、ひたすら動いていた。
そんな生活に疲れ切っていた私の目の前に、デンマークという土地が現れた。
デンマークで様々な背景を持つ人たちに、
「ゆり、あなたはそれでいい。」と「肯定」という肥料に触れた私は
荒れ地のようなグレーだった私に、グリーンの種を植えてくれた。
帰国後、私は一生懸命それを育ててきた。
そして、今。
今、私はセルリアンブルーなんだと思う。
緑がかった青。とても深く、鮮やかな青。
自分の自然なままで、かつ燃えていたい。
誰かを照らすような熱いものではなく、
見た時はとても涼しく居心地がいいのだけど、中に入るとふっと熱くなるような。
そんな青。蒼い人になりたい。
少し前に、レベッカ・ソルニットの「迷うということ」という本を読んだ。
その時に登場するのが「隔たりの青」
この言葉が私の中でなぜかずっと消えなかった。
だけど、今都会のノイズから離れて、一人になった時。
あ、自分は「隔たりの青」を持っていたんだと気づいた。
「隔たりの青」
これは自分と他人との間に壁があるわけではない。
海の向こうに見える地平線のように、
触れられそうで、触れられない、
だけどどこか心地がいい。
そんな雰囲気を私は纏っていたいんだと気づいた。
人は孤独だ。結局、最終的には1人になる。
これは全然悪いことではない。
だって、人は孤独だからこそつながれる。
自分の色を一つ一つ拾い上げるように、大切にしたい。
その色が隔たりの向こうにあるはずだから。
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