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何者でもないからこそ、私は境界線をぼかしたい。~2022年の願い~

新年あけましておめでとうございます。
今年は、実家でゆっくりと年末を過ごした。


おいしいおせちとお酒を飲みながら、家族で何気もない会話をする。うちの家族は信念になっても、「今年の抱負は…。」みたいな話は一切せず、自分の好きなことしか話さない。あちらからは車の話、こちらはアニメの話、そっちからは社会問題に対する意見…。と会話は完全ドッチボール状態なのは、家族全員がB型の我が家にしてはいたって通常運転である。

新年になると、「今年の抱負は…。」みたいな宣言をSNSやテレビを通してたくさん耳にする。でも、私個人的にはそういう抱負を語るのが苦手だ。

だって大袈裟な話だけど、その抱負や目標は明日何を食べるかの選択をしたら、変わってしまうかもしれない。「それくらいで変化する抱負なんて立てるな!」なんて言われちゃいそうだけど、誰もこの2年が小さなウイルスに翻弄されるなんて思わなかったはずで。思い出してみると、「今年はオリンピックだな!」と嬉々としてお正月を迎えた2020年は、その数か月後におうちにひきこもる沈黙の時間に変化した。
個人的にはその年の目標や抱負なんて、その時々の状況によって大きく変化してしまうと思っている。

だから、私は自分がイメージしている1年になることを目指すというよりも、その1年に起こることをいつも面白がりながら、最終的に「いい1年だった」と言えたら万々歳だと思っている。

今年は私にとって、ちょっと風合いの違った1年になる気がしている。
大学卒業を控え、長かった学生生活から一旦終える。俗にいう「社会人」として社会に出ていくことになるのだけれど、私は企業に「就職」はしないことにした。つまり、社会的に言えば「フリーター」ということになる。
これは、就職に失敗したからではなく、自分なりにゆっくりと考えて、選択した選択だから、後悔もない。
むしろ、これからどんなことが起こるのかわくわくしている自分もいる。

こんな状況なこともあり、今年はたぶん予想だにしないことがたくさん起こる1年になると思う。
「こんなことしたいです!」みたいな宣言をしても、絶対変化している気しかしないため、今回は「これは大事にしたいなあ」くらいのことを「今の自分の願い」としてここにおいておく。


私は「何者でもない自分」の期間を作ることにした

まずは、今の私の状況説明を。
「就職をしない」という選択をした私は、一応アルバイト先を見つけ、卒業後はそこを拠点にしながら、フリーランスでライターをしたりしながら生活をする予定。

もちろん、非常に厳しい状況になることはわかっている。お金は全然稼げないし、社会的に見れば「フリーター」って未だになんか怪しい人って思われそうである(そんなことは絶対ないのに)。そして、「大学生」でも「どこかの会社員」でもない私は、何者かが非常にわかりにくく、信頼されにくくなることも覚悟している。


でも、それでも私は「何者でもない」ことで得られるものはすごく大きいと思っている。
何者でもないから、何事にもフラットに観察することができる気がする。そして、自分なりに時間をかけて、これから自分が人生の時間をかけたいことを探していけばいい。ゆっくり、じっくり、自分の時間を持つ。それが自分にとってかけがえなのない資産になると思っている。

なので、「フリーター」として社会に放たれる1年ではなく、「人生の余白期間」として、いろんな人と出会い、いろんな景色を見て、いろんな本を読んで、自分の中に「資料」をたくさんためる1年にしたい。


セレンディピティを抱きしめる余白を


セレンディピティとは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。(Wikipedia参照)

今年、私はこの「セレンディピティ」を大切にしたい。
といっても、これはこれまでの私を作ってきてくれたものだ。

「途上国開発をやりたいんです!!!!」と鼻息荒く大学入学を果たした私は、大失恋や人との出会い、そして精神的不調といったいろんな要因で、ひょんなことから東南アジアではなく、デンマークに留学することになる。

そして、デンマークに留学中、偶然私が通っていた学校に視察に来ていた日本人と出会う。その人たちは英語もあまり話せないのに、帰りに学校の前でヒッチハイクを飛び跳ねながらしていて、「変な人たちだな…」と若干引いていた。
その出会いから1年半後、また偶然にも私はその日本人と再会し、通算2回しかあったことのないのにその人を頼って、彼が主催している教育プログラムに参加。東北のド田舎で移住生活をすることになった。
そこから、またご縁が広がって、北海道にも行くことができた。これが私にとって去年のハイライトといえる。

高校の頃の自分が今の自分の姿を見たら、すごく驚くことだと思う。だって、「大学卒業後は東南アジアでバリバリ仕事している!」と確信していたのに、気がついたら私の関心は日本に移り、卒業後も日本で、しかもフリーターになっているのだから。

人生って何が起こるかわからない。でも、今はだからこそ面白いんだと思っている。
すっごく俗な例えだけど、もし私が年上の人に失恋していなかったから、デンマークに行ってみようなんて思わなかっただろうし、もしコロナになっていなかったら、私は極寒の東北で凍えてもいなかったと思う。

でも、私は今の自分に満足しているし、今の自分は様々なことに出会わせてくれた、たくさんの人のおかげでもある。そして、なによりその「偶然」に全力で乗っかることができた私の無鉄砲さのおかげでもあると思う。

だから、今はもう少しその無鉄砲さを大切にしてみたい。「チャンスは前髪しかない」なんてことわざもあるように、私の目の前にきた「セレンディピティ」をすぐ抱きしめて、離さないように、ある程度余白を持った自分でありたいと思うのだ。


越境し、線をぼかし、「あわい」を作る。

ここまで書いていると、なんだか身勝手なことばっかり言っているなあ。と苦笑いしてしまう。
自分で決めたようにみえるこの「選択」だけど、実際はそれを受け入れて、支えてくれる家族の存在があり、何も実績もないどこの馬の骨かもわからない私に少しずつチャンスをくれる、優しい人生の先輩方のおかげでもある。私に関わってくれている人が少しでも欠けると、私も自分の選択肢は作れないし、選べない。

自分がたくさんの人と関わっていることを認識したうえで、その人たちとの関りを丁寧に紡ぐことは忘れたくない。自分の成長は大きくあいまいな目標にあるのではなく、自分の足元にある、深く静かな「つながり」の中にある気がしている。

だから、私はその足元を丁寧に耕しながら、自分の目の前にある景色をしっかり観察し、様々な境界線を越境できるしなやかな人になりたい。
単に「越境する」と書くと、なんだか一方通行のようなニュアンスを私は感じていて、新しいことを学んだり、刺激をもらったりして、新しい世界を「消費」してしまうような危うさを感じる。


だから、私は越境を繰り返す中で、境界線を優しくぼかせる人になりたい。だって、そのぼかしの中に、たくさんの「あわい」が生まれ、そこからたくさんの景色が埋まっているような気がするから。私ははっきりした色合いの絵画にも目を引かれるけれど、一番好きなのは黄昏時の、温かくあわい空の景色だ。

何者でもないからこそ、軽やかに越境し、線をぼかし、間に「あわい」を作る。
そんなことはこの1年で到底できないけど、それを可能にするたくさんの種を集めたい。
そんな1年になることを、今の私は願っている。


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おうちの前にあるこぶしの木。すごく細い木なのに、もう20年もの間、毎年大きな白い花を咲かせている。今年も見れるかな。(撮影 Yuri)

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