見出し画像

学校の中にある週末限定レストラン「No.18」

ふわぁぁぁ。
大きなあくびをしながら部屋を出る。外は芝生が広がっていて、白い壁の建物が間隔をあけて並んでいる。背伸びをしながら、食堂へ続く道をダラダラと歩く。

今日は何しようかな。ぼんやり考えていると、向こうから友人がやってくる。彼女が私に声をかける。
「今日もランチ作るよ。No.18に集合ね」

No.18。ここは私が人生で1番ご飯を楽しみにしていた場所であり、私の留学生活を支えてくれた場所だ。

私は20歳の時に大学を休学し、デンマークのフォルケホイスコーレに半年留学した。フォルケホイスコーレは大人であれば誰でもいつでも学べる「成人教育機関」だ。テストは試験は一切なく、自分の学びたいことをじっくり学ぶことができる。

学校は全寮制で、学校の中に宿舎があり、ご飯も3食学校の食堂から出してくれる。フォルケは人と「生きるための学び」をとても大事にしているので、食事はみんなで一緒に食べる。時間になったら食堂に集まり、みんなで一斉に食べる。小学校の給食をイメージしてもらうと、わかりやすいだろうか。

学校のご飯はおいしかった。ただ、難癖をつけるようで申し訳ないけど、メニューのレパートリーが少なかった。豚肉をカリカリに焼いたものにジャガイモ。エスニックなソースがかかった鶏肉。カレー。パスタ。その4パターンが軸となって献立が組まれる。味は多少変わるんだけど、使っている素材や味付けが少ないから、どうしても飽きてしまう。

そんな欲張りな生徒の憩いの場が「No.18」だった。
No.18とは学校にある2階建ての建物で、正確には先生の宿舎だった。2階が先生が住んでいるスペース。1階は10畳くらいのスペースで、入って奥にキッチンがあり、左側にはファミリーサイズの冷蔵庫。食洗機にオーブンもあって、とても使い勝手のいいキッチンだった。キッチンは週末限定で生徒に解放されていて、生徒は食料を持ち込んで自由に料理することができた。

欲張りな生徒は基本的に日本人が多く、N o.18を訪れるのは日本人ばかりだった。私たちはいそいそと食料を持ち込み、自分たちが食べたいご飯をつくり、食卓を囲んだ。その輪はじわじわと国境を超えて、いつしかいろんな人が来る週末限定のレストランのようになっていた。

そこで私は美味しいものにたくさん出会った。

卵と鶏肉だけの親子丼。水炊き鍋。デンマークのじゃがいもを使ったコロッケ。きゅうりの酢の物。卵とチーズで作ったカルボナーラ。辛ラーメン。鴨肉のソテー。マルタイラーメン。ラザニア。インスタントの味噌汁。手作りのティラミス。クレープのようなデンマークパンケーキ(クレープやんというと、デンマーク人はパンケーキだと言い張る)。

そしていつも最後には、自分でロースターをやるくらいコーヒーが好きな子がこだわりのコーヒーを淹れてくれた。天気のいい日は外のテーブルでご飯を食べて、焚き火をする。そんなシンプルで穏やかな週末だった。

N o.18と美味しい料理の香りは一体となって今も頭に焼き付いている。でも、それ以上に頭に焼きついているのはご飯を作っているときの記憶だ。

当時、私は「料理酒」と「みりん」の違いがわからなかったり、キャベツを冷蔵庫に入れるスペースがないから、冷凍庫にいれてパリパリにしてしまったりするくらい料理音痴だった。だから「No.18」では食べる専門だった。

ご飯ができるまでの間、私は近くの椅子に座り、編み物をしながら、本日のシェフと話す。人は料理をするとき、いろんなことを思い出すのだろうか。シェフは今日の献立を起点に、さまざまな話を聞かせてくれた。

きゅうりの酢の物を作ってくれた中国人の友達は、自分がデンマークに来るためにビザをとることが非常に困難だったと話した。そして、なんとか取得したビザの期限も迫っていて、本当はもう少しここにいたいけど、ビザの延長をすることの難しさを語った。彼女は当時16歳。彼女が作った酢の物はきゅうりに細い切れ込みがたくさん入っていて、お花のように綺麗に広がっていた。

カルボナーラを作っていた日本人の友達は、カルボナーラのレシピを教わったイタリア人の話をしてくれた。イタリア人曰く、カルボナーラのポイントは「ペコリーノ・ロマーノ」というチーズを使うことで生クリームは使わないらしい。しつこくないのに濃厚なカルボナーラは「No.18」の名物料理だった。

鴨のソテーを作ってくれたのは、クラスメートの日本人だった。鴨のソテーは飲食店で働いていた時に教わったそう。彼と私はひとまわり以上年齢が違った。普段は歳の差を感じたことはなかったけど、ソテーを作っている間に聞いた仕事の話で、彼には私がまだ持っていない経験の地層があることを感じた。ソテーは臭みがなくて柔らかく、ワインによくあった。

手作りのティラミスは、誕生日を迎える友達へのバースデーケーキだった。10歳年上のお姉さんをお手伝いしながら、コンロなしでパスタを茹でる方法を教わった。彼女は高校時代をデンマークで過ごし、全寮制で夜食を食べたい時に編み出した技だったらしい。秘訣はティファールを使うことだったを記憶している。

こう並べてみると何気ない話だ。でも、なんだかその人がいつも漂わせている香りの素であるような気がした。

作り手しか持っていない物語が聞ける、No.18での時間が私は大好きだった。彼らの思い出が手を通して料理に入っていくような気がして、料理もさらに美味しく感じた。

結局、No.18は私たちが学校を去るまで続いた。そのあともオープンし続けているのかは、よくわからない。

私は元気が出る食事にストーリーは欠かせないと思っている。それは作ってくれる人の背景だけではなく、それを食べた情景や、自分の心情が自然と食事に溶け込む。食事の周りにある自分にとって大事なものに気づけた時、コンビニ弁当でも、高級フレンチでも、人生でとても大切な食事になる。

今でもカルボナーラやティラミスを見るたびに、料理を作る人たちの横顔をちらりと思い出す。彼らは元気にしているのだろうか。目の前の食事が、ちょっとだけ温かくなった気がする。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?