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≪わたしごと70≫ "楽しい" って切実に大事

最近、"楽しい" という事について考えている。

日本に於いて、楽しいという価値は実際どの様に認識されているのだろうか。楽しいに越したことは無いのだけれども、それは何か人生に於いて、優先順位の高いものとは位置付けられていないのでは無いのだろうか。

ルース・ベネディクトの "菊と刀" は、戦時中に日本文化や価値体系の解明の為、米国の人類学者の彼女のリサーチをもとに書かれたものだが、楽しみに触れる部分でこの様に書いている。 

"務めに忠実であろうとすると、人生はつらいものになる。だが日本人は、心構えができており、事あるごとに楽しみをあきらめる。そのような楽しみが悪い事だとは、毛頭思っていないにもかかわらず "   

ここでいう務めとは、忠・考・義理の事だが、例えば仕事などの真剣な場面と自分の楽しみは相容れないといった風潮は、現代にも通づる所があるのではないだろうか。しかし、忠実になるべく中心は会社だろうか、自分だろうか。楽しみは単に、息抜きだろうか?仕事とはそんなに苦しいものだろうか?

もう一つ気になっている事がある。それは日本に於ける、博物館の定義である。1951年に公布された博物館法にはその目的が、" 教養、調査研究、レクリエーション等" とあり、International Council of Museums(国際博物館会議)には, "教育、研究、楽しみ" とある。日本は定義として研究の為の機関という色が濃くて、国際的には社会のその発展と貢献の為の機関という意味合いが強い。

私はイギリスに暮らしているが、プライベートだけでなく仕事でも "Are you enjoying?" "Are you happy?" と、結構聞かれる。皆が楽しんでいるか、ハッピーかは重要なことなのだ。

日本でも、生きる力や主体的に生きる事、楽しいと思う事を仕事にする事などが言われている。しかし、受け取る方の "楽しい" の意味合いというか、重さはまちまちだ。

上手く言い表せないけれど、私は、楽しいという事は、もっと切実な事の様に思う。

例えば、生きる力を裏返せば、死なない力ではないだろうか。その死なない為に、楽しいとか嬉しいとかって、センターに来て良い価値であると思う。

楽しいとは、別に飛び跳ねるような感覚の事や、テンション高い状態だけの事ではない。静かに黙々と没頭してしまう事、気持ちの良い事、満たされる事、何かが出来るようになる事、ふとした小さな楽しみも重要な事。

それらは人生のエクストラではないし、楽しいや嬉しいって結局、主体的に生きるのに必要な事で、それが無いと生きる指針が分からなくなってしまう。

楽しいという事が、私たちの価値体系の中に地位を占めて、一人一人が人生を通して、笑顔多く生きて行かれる社会が実現すればいいなと思う。

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