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≪わたしごと73≫価値とリスクマネージメント

日本人はリスクを取りたがらないと言われる。しかし "何がリスクか" は、コンテクストによって変わって来る。安全と思っていたことが、他の面から見たら実はリスクだったという事を、経験したことはないだろうか。

コンサベーション(保存修復)のお仕事で、とても大事な観点はリスクマネージメントだ。修復が必要な作品、例えば小ぶりの彫刻などは、たとえ手で持ち上げられるものでも、点検も無しにまず持ち上げたりはしない。壊れるかも知れないからだ。

笑えない話だけれども、アンティークの椅子を持ち上げたら、足が全部取れてしまったなんてことは聞いたりする。

また、修復と言っても、車の修理とか時計の修理とは違う。何が違うかと言うと、車や時計は壊れてしまって、それを直すと言ったら機能を取り戻す事、また元に戻す事が一般的に考えられる "直す" 方向性だ。しかしコンサベーションの場合、その方向性というのは必ずしも自明では無い。

例えば、ローマの大理石の肖像の鼻の部分が欠けている。それを補う事は、良い事なのか、悪い事なのか。そもそも良いとか悪いの判断って、何を基準にするのか。ピカソの絵の一部のペイントが剥がれている。これは同じ素材同じ色を使って補うのは、絵の価値が上がる事か下がる事か。

修復の方法や素材を決定する時、現物にダメージを与えてしまうものは、選択肢から外れるけれど、それがグレーゾーンの場合は多々ある。

例えばコーティングが年月によって黄色くなってしまった絵画があるとする。コーティングは溶剤Aで落とせるけれど、実際の絵の表面も溶かしてしまう。それ以外の溶剤は機能しない。では、そのままにしようというのは一つの選択だ。もう一つの選択は、溶剤Aを薄めてゆっくり取り除いて行けば、絵の表面ギリギリで止める事が出来るのではないかという選択だ。

最初の選択は、絵にダメージは与えないが、黄色いコーティングで覆われていて本来ある様には見えない VS 絵にダメージを与える可能性が無きにしもあらずだが、黄色いコーティングを取り除いて本来ある様に鑑賞できる、という本来あるべきものの価値とリスクマネージメントのせめぎ合いだ。

これに "正しい解" は無い。どのコンテクストで、どの価値をとるか。どのリスクを取って、どのリスクを取らないかだ。全くリスクのない選択肢は無いし、リスクを取らない事がリスクである場合もある。

最近ルース・ベネディクトの菊と刀の事を引き合いにして考えたりするが、そこに書かれていた日本人の文化の考察に、考えさせられる。安全安心の文脈で、本文通りではないがこの様な事が書かれていた。

ー手順通りの図式的な生活様式に支えられていることを安心と捉える   ー応分の場が保たれている限りにおいて、日本人は不満も言わずに頑張り続ける安心感がある
ー几帳面に組み立てられた階層的な上下関係を、安全及び安心と同一視する。これは信仰である

つまり、規定された範囲と与えられた役目でそこからはみ出さない事を暗黙の裡に集団が了解しているときに、安心安全を感じ、それを乱すことは逆に言うと良くない事、悪い事だということではないだろうか。この部分はなんだか日本の現代社会に於いても言えそうな気がする。

コンサベーションのお仕事を通じて、痛感させられ、また学ぶのが簡単そうで難しいんだなと思った事は、"決まった正解は無い" という事だ。あるのはそのコンテクストに於けるその時の最善があるだけだ。

なのでその都度、価値とリスクを考えないといけない。思考停止の世の中はとてもリスクが高いと言えるのではないだろうか。

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