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≪わたしごと55≫道具と工芸

パナソニック汐留美術館で開催中の "和巧絶佳展" では令和時代の超工芸作品が展示されている。実際に見に行けないのが残念だが、先日作家さんたちのトークセッションをライブで拝見した。

面白かったのは、違った分野の作家さんたちがそれぞれの工房からトークに参加されていた事。ライブで工房内を見ることも出来て、ここから作品が生れているのだなと思うと、わくわくする。私はいつもスタジオとか工房など作業の場が好きだ。

なかでも興味深かったのは、道具の話。工芸家はそれぞれに使う道具を思いの形に工夫するというお話で、陶芸なんかは産地で土が違うので、道具も違ってくるらしい。

工芸の制作過程は、素材と対話するようだなと思ったりする。それぞれの素材は違った特性を持っていて、それらの素材のもつ制約的特性と折り合いをつけながら、可能と不可能の間、想定と想定外の境界線をさ迷いながら、創造されていく感じがある。

その際使う道具というのは、身体の延長とも考えられる。もしくは、自然と人間との間に道具というのは、在るのかも知れない。工芸の美の在り方が、身体性と素材が調和する無理のなさのあたりにある様な気がしていて、なので、テクスチャーだったり、心地よいフォルムだったりは、触れたい欲求を促すものが多い。

日本の道具というのは世界でも高く評価されている。品質が良く使いやすいというイメージがあるようだ。常々思うが、日本人はどうして道具を工夫する事に長けているのだろう。そもそも、ものを工夫したり改良したり、もっと良くすることに、凄く興味がありまた価値を見出し、労力を惜しまなかったりする。その、もっと良くする根本の動機は、よいものづくりをしようというモチベーションは、どこから来ているのだろう。

ひとつの工芸作品には、信じられない時間と手間がかけられていたりする。身体と素材と道具と、それらが自然で調和しているところに、神秘が含まれているから工芸は魅力があって、そこに人がこころを注ぐから美しいのではないか、と思ったりする。

いつか、工芸作家や職人さん達の道具を見せて頂きながら、お話を聴く旅がしてみたい。

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