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≪わたしごと69≫ Kōgei 2020|工芸・自然・未来 ルーツをツールに

東京国立博物館で9月から開催されている "工藝2020" のシンポジウムが先日開かれた。日本の工芸と自然観という切り口で語られて、沢山の学びとインスピレーションを得ることが出来、とても面白かったので、すこし思った事を書いてみたい。

私自身ガラスを日本とイギリスで学んで、その間に芸術か工芸か、ArtかCraftかというディベートはあったし、また海外でも陶芸やガラスをつかったオブジェをFine Artと捉えるよう訴える広告も見た。それは、用があることで工芸がファインアートより一段下になるという事に対する、クラフト側の反論だ。

純粋美術と応用美術が分かれた経緯や、日本人の従来の芸術の捉え方が、初めにスライドでお話があったのだけれども、とても学びの多いものだった。

特に、芭蕉の「笈の小文」からの引用に心打たれた。

風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。

"風雅" というのは芸術、美の神髄という事らしい。"造化" というのは自然の事で、全体として、四季の移り変わりを大事にする日本人の美の観点が、自然にある事を想わせる。

室瀬先生の、作家と素材との関係のお話も興味深くて、ものをつくるときの表現として、"素材との対話" という感覚が自然と出てくるのはとても共感する。例えば、木や土、漆や絹、こういったものはそれぞれ特性を持っていて、自分の思い道理にはならない。それぞれの特性を理解して、どう引き出したら心地よい形が作れるのか、自分の理想と素材が体現できる境界はどこか、素材とわたしのやりとりがある。また、作業工程の中で素材が思いもよらない素敵な反応をしたり、環境の変化によって途中で壊れてしまったりする。

そういう素材のある種の制約が、お話の中で仰っていた "人工を自然に従わせる" ということと "想いの伝え方が、一方向過ぎない" つまりは、自己というものが個人として主張し過ぎないという事と、繋がって来るのかなと感じた。

室瀬先生の "工芸は、創ったものを通して相手の心を豊かにする、コミュニケーションツール" という言葉はとっても素敵だなと思う。日本の工芸は用の美、生活芸術であり、生活空間にある事で人と交わるアート、という観点、そういった自然との共生ででてくるオーガニックな工芸を、そのまま    "Kogei" として世界に発信していきましょう、という事に共感した。

海外に居て、日本への興味の高さというのはとても感じる。Mangaや性能の良い道具や機械製品からくる、技術の高さ、精巧さ、繊細さ、信頼の高さというイメージが強い。これらのルーツはやはり版画や工芸に使われる技、道具を大切にする事などから来ているように、感じられる。

こういった誇っても良い日本の魅力を、日本人自身はどう捉えているだろうか。

なにか工芸からインスピレーションや学び、自分の属する文化のルーツ、もしくは単純に驚きや美しいと思う事を、自分の生活と紐付けて発想や自信、そんなものに繋げられる様な土壌が、私たち日本人の中に出来れば良い。正にルーツを通じて、工芸がツールとしてコミュニケーションのカタリストとなる。たくさんの人がそのルーツを未来に反転して自分事で語れるとき、世界の人はオーセンティックな語りとして目を見張るのではないかなと思う。 

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