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強度HSP 記憶に残ること

私はHSPです。

幼稚園に通い始めて集団生活が始まった頃からなんかみんなと違うな〜って漠然と感じてて、そのせいで幼稚園生にして不登校になった、一言で言えば変わり者なのかもしれません。

今回はふと思い立って、昔を振り返りながら、辛かったあの出来事もHSPのせいだったのかもな〜と自分に言い聞かせる本当に自分のためだけの記事です。

ざっくりまとめて、記憶にはっきり残る出来事は3つです。

まずは冒頭に書いた不登校幼稚園生です。

私の地元は本当にド田舎で、幼稚園から中学まで60人くらいがみんなまとめて一緒に育ってこうぜってスタイルの環境でした。

そのスタートとなる幼稚園で私は人生で最初の挫折を味わいました。別に仲間外れにされた訳でもいじめられた訳でもありません。なんなら始めは皆と仲良し!くらいに思ってました。

でも年長に上がって、何か自分が出てきたのか、1人の友達がベタベタと常にくっついてきて、周りの女の子の悪口を言ってきて、そんな環境が耐えられなくなりました。私はもっといろんな子と仲良くしたいのに、外で遊びたいのに。

そんな自分の意志を伝える勇気は昔も今もなかったみたいです。

毎朝家で検温して行っていたのですが、まずはそこで熱をどれだけ上げられるかを考えていました。息をふきかけて、脇を強く締めて、幼稚園生が考えられるのは多分その辺が限界です。そんなんじゃ熱は上がりません。

我慢して毎日幼稚園バスに乗ります。

ある日、今日もか、と思いながら幼稚園の教室に入った瞬間、一瞬で気持ち悪くなり吐いてしまいました。

今でも鮮明に覚えています。恥ずかしさと辛さとよく分からない気持ちで、迎えに来てくれたお母さんと帰りました。

多分その頃からです。私は毎日は幼稚園に行けなくなりました。

週2回くらい行ければいい方だったと思います。幸いにも母は専業主婦だったので、行けない日はお家でのんびり過ごしていたことを覚えています。母は無理に行かせようとはしませんでした。それが救いでした。

幼稚園に行けた日、お昼休み皆が外で遊んでいる時、先生に呼ばれて話しました。

正直中身は覚えていません。ただ何が辛いのかを聞かれたような気がします。そして、どうしようもなく涙が止まらなくなったことだけは覚えています。

5歳の子供には自分のことなんて分からなかったんだと今考えれば思います。

今でも分からないですけどね。

正直、先生と話しても解決はしませんでしたが、時が解決してくれました。卒業して、小学校に入学してからはその子とは別のクラスになり、毎日学校に行けるようになりました。

その調子で小、中、高、大と不登校になることは一切なく、今社会人になることができています。

ただやっぱり、その間にHSPで苦しんだ記憶も深く残っています。

記憶に残る出来事2つ目は高校生の出来事です。

憧れの高校に入学した私は、いわゆるクラスの一軍に入れるよう静かに努力をしました。

今思えば一軍二軍とかってバカみたいだけど、高校生の頃の自分はそんなことよりとにかくスタートダッシュを決めて、一軍でキラキラJKライフを送っていくんだ!くらいに意気込んでいました。

なんとか一軍っぽいグループには入ることができ、お昼を一緒に食べて、放課後も残ってワイワイして、そんな毎日を送っていました。

でも私は常に思っていました。自分がしゃべるタイミングが分からない。笑顔ってどうやるんだっけ。今引きつってるかな。

そんな毎日はもちろん楽しくなくて、でも必死に通って。

ある日合唱コンクールがありました。私はいつも髪の毛を下ろしていたのですが、合唱の時はポニーテールにした方が評価が上がるみたいな謎の制度がありました。(今思えばほんとに意味わからん)

仕方なく、私もポニーテールにして、会場を歩いていた時の事でした。

同じ一軍グループのリーダー的女子が

「初めてみたー!結んでるー!」

と言ってきました。私はいつもの如くひきつりまくった笑顔で返しました。

その時です。

「後ろ姿Aちゃんに似てるー」

リーダー女子が私に言いました。

Aちゃんとはリーダーと仲のいい、その場に一緒にいた女の子です。

そしてAちゃんが言いました。

「えー、一緒にしないでよ。笑」


私は一瞬、固まりました。距離を感じてはいたものの、同じグループにいた友達と思ってる子に

「一緒にしないでよ。」と言われるとは...。

その日のダメージもデカかったけど、この出来事は有効期間が長い。長すぎる。

今でもはっきりその時の情景は覚えています。そして、自分がダメだ〜、と落ち込んだ時、必ずこの出来事が蘇ってきて、

そうだよな。皆私なんかと同じになりたくないよな

って落ちます。落ちるところまで落ちます。

これは今でも悩まされてる心の傷です。

これからも向き合っていくしかない傷です。

最後の記憶に残る出来事は、というか記憶とか言うより今です。

社会人1年目の今です。

働き始めてから全開でHSPがこんにちはしています。しかも電話に出る仕事なのです。言ってしまえばコールセンターです。常に電話です。しかも出た電話の数や対応した案件の数字がはっきり見えて、全員に回されるのです。

HSPの私にとって苦でしかないのです。

しかもマルチタスクすぎるのです。常に案件を複数抱えて、捌いて、電話に出て新しい案件がきて、

そんなの無理です。

自分で選んで入った会社。四の五の言わずに頑張れや。っていうのも分かります。

でも心は正直で叫んでます。

日曜の夜、怖いくらい涙が止まらなくなります。声を上げて1、2時間泣いて、疲れて寝て、目を腫らして月曜に会社に行くという週スタートルーティンです。

そんなこと誰にも言えませんがね。だからここで言うのです。

まぁ、このことに関してはまた別の記事で書こうと思います。

とにかくHSPで悪いこともいっぱいあるけど、

絶対その基質を持って生まれたのには理由があると思うんです。

生きてるだけで満点

それだけで生きていこうと思います。






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