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不思議なお話集【ミロワール線形非対称】 1⃣亜希菜の記録


1⃣今朝私、亜希菜はまだ夜が明けきらないうちに起床した。東雲の頃街は辺りは薄暗い。星もきっと西の空にはまだあるだろう。暗がりで読む時計が伝える時刻は七つ寅、つまり午前4時、とおに10代はすぎ、無邪気さや未来への過剰なほどの期待も現実世界との折衷を果たしているものの、明け方に目が覚めるのはうん十年は先のはずだ。話題ときたらもっぱら健康ばなし、平安の頃ならばご来光が訪れるのを読経しながら熱心に願うような歳の人のように、こんな明け方に起きるようになったのは昨日今日のことではなく、実はここ最近頻繁に起こることだった。

 わたしはベッドの上で猫のように伸びをした。隣の彼からは寝息と体温が伝わる。彼は今日も背中をむけて寝ていた。紺色の綿シャツが暑さに蹴られたシーツのようによれて、日に焼けた背中が見えていた。

 妙だ。どうしてなのだろう。何が起こったというのだろう。わたしは、半身をおこしてかれの背中を見つめた。 

日に焼けた背中が妙?そうではない、彼は背中を向けて寝ているのだ。人は寝返りを打つものだから、どこに摩訶不思議が存在するのかといぶかしむかもしれない。いうまでもなく彼も人であるから、何度となく寝返りを打つ。が、不思議なもので朝を一緒に迎えるようになってから8か月の間、真夜中2時をすぎるころから決って私の方を向いて寝た。

 それが、一月と28日前自然と起きた朝、はじめて彼が広い背中をみせていた。わたしは、その背中に頬をつけたくなったあと、寂寥感のようなものが広がるのを感じた。恋というものは、そうやってそっぽを向くものなのだ、気まぐれで理想とでできたろうそくの火が消えれば、それでお仕舞、などと過去の傷と照合させるようなことを思ったりもした。しかし、よくよく考えるまでもなく背中を向いて寝たかといって、それが何だとういうのだろう。疑念の入り口はかくも広く信じる道は尊いがめったにないことだ、などと言ってみるのもいいかもしれない。が、たった一日、彼が背中を向いて寝ていた、それだけのことだ。むしろ8か月もの間、一日たりとも背中を向けることがなかった、これこそが奇跡的とも呼べることなのではないか。ただ、背中を向けることは妙でしかない。最近の統計から数えればレアなことであり、ただ、妙なだけなのだ。

それは、秋の訪れを知らせる一枚の落葉だった。つまり、この類の妙はそれ以来頻繁に起こるようになった。ベッドの右側が定位置でそれはまるで実家で飼っていた猫のサンガがお気に入りの場所で体を丸めるぐらい確実なことだったのに、彼はときどき左側で寝た。立てかけた歯ブラシの位置もいつもと逆で、それは鏡面で見ればいつもの配置。ソファに座る位置も

 こうして朝方に一度目が覚めてしまうともう甘美な眠りの世界には戻れなかった。わたしはベッドを抜け出して、顔を洗いに流しに向かった。ショート丈のパジャマには早かったかな、7月下旬になるのに肌寒くひやりと足元から冷気を感じた。雨がちな日が続いているからだろう。2021年今年の夏は、温暖化とは無縁の日が長く続くかと思えば、猛烈に蒸し暑い日が来る。オリンピックのときもこんな風に涼しかったらいいのに、そんなことを考えながら蛇口をひねり生温い水に手をやった。ふと前を向いたときわたしはぎょっとなった。

鏡に一人の女性が映っている。それ自体は何も驚くことではない。鏡に一人の女性が映っている。疑いようもなくわたし自身だけれど、わたしじゃなかった。

朝の4時過ぎ。心臓が破裂しそうなほど早くなり、痛みを伴った。わたしは大きく息を吸い込み、鏡を凝視した。
おかしい。やっぱり妙だ。これは、わたしだけど、わたしじゃない。
一体誰。

映っていたのは、3面鏡を覗き込んだときに見えるときのわたしだった。

少し説明が必要?

人は、完璧に左右対称であることは少ない。体も顔も生活習慣の癖がでるのだ。遺伝的な要因もあるし、顔に限って言えば後天的にも噛み癖や最近はとても多いという顎関節症の人、それから頭部に怪我の経験がある人なども左右非対称の度合いが大きくなる。わたしは小さい頃に頭にけがをしたためか、顔に左右非対称の女性として気にしてしまうほどの歪みがあり目下矯正中だ。

今正面の鏡に移っている私の顔は、いつもなら3面鏡の中に映っていたはずの顔だった。

手が熱いものに触れると耳に手をやるというが、わたしはこの時、咄嗟に頬に両の手の掌をのせた。濡れた手の触覚から柔らかい頬の感覚が伝わった。いつもと同じように感覚がある。
ほんものだ。夢ではないと思う。

鏡にうつる歪みのあるわたしの像は、強烈な印象は残さないが最近なんとなくひっかかっていた一連のことを思い出させた。

まずは彼の眠る向き。それからソファで座る位置、これも逆に座ることが度々続いていた。笑った時にあげる目もズボンを先に通す足🐾も逆だった。

そういえばドアノブをまわすとき、いつもと逆の方向だったような気がしていたし、今目の前にある、わたしと彼の歯ブラシの位置も逆だ。

いつからなの?
思えば、いろいろなところで裏返し。左右逆。

まさかだけれど、

もしかしたら、この世のすべてが、気が付かない間に空地を覆いつくす雑草のように景色を変えてしまっているのかもしれない。この一刻一刻にも目に見えない水面下のレベルで右が左に、左が右に着々と変わっているかもしれない。

気が付いたら、世界全体が逆かもしれない。


自然界のものすべてが、逆。
カタツムリが左巻きになり、
それからぜんまいも逆向きに。地球の自転も銀河系の動きも逆向き?アミノ酸は、D体に?まさか。

そんなはずはない、そう断言したかったが目前のわたしは左右逆のまま。

記憶違いかもしれない。それとも明晰夢?2010年に公開されたインセプションという映画を見たことがある。レオナルドディカプリオや渡辺謙さんがキャスティングしている。夢の世界がまるで本物の世界のようなリアリティを持つ世界の物語だ。もしかしたら、今わたしも同じことが起こっているのかもしれない。今わたしがいるのは極限までリアルに近い夢の世界。だから、目覚めることで、現実に戻れる。

あの映画の中では目覚める方法は・・・、死ぬことだ!

それは、怖くて試せる気がしない。

昨日も一昨日もこの時間に起きたけれど、途切れることなくそのまま現実が続いていたはず。朝の紅茶を入れてから観葉植物に水をやり、本を読む。10時ごろになると彼は起きだした。そんないつものルーティンが続いた。だから、夢である訳ない。

人生がそのものが夢だ、それはもしかしたら本当かもしれないけれど。


映画以外にも可能性ならいくらでもある。どこか別の世界に迷い込んでしまった?それともパラレルワールド?

そのときどこからともなく声がした。
「これはまだ序の口。今からが始まり。」
わたしは振り向いた。しかし誰もいない。わたしはますます得たいの知れない恐ろしさを憶え背筋は凍りついた。
「わたしは、こっち。鏡の中。目の前の鏡に中。これからが始まり。少しずつ、あなたの世界は、逆さまへとシフトしていってしまう。」
あっ、この声、聞いたことがあるようなないような声。切迫感のある抑揚だが、この調子、この声は、きっと私の声。

わたしは、おそるおそる鏡の方を見た。
そこには、いつもと逆のわたしが依然変わらず映っていて、必死に何か訴えるようにこちらのわたしを見ている。

2⃣に続きます☆



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