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朝は早めに起きたのだけれど、12時頃は混むので13時に、という連絡よりも先に家を出てしまった。ぐるぐる食堂はとても明るい雰囲気があって、店の前にも何人かいる。名簿に名前を書く。"コトナ"という言葉。中間で、誰もが自分のことを決める自由があり、色んな人を迎え入れている。上原さんはそこで三角巾の代わりに帽子を被りながらボランティアをしていた。待つためのベンチに座り、その前にいる人たちに挨拶をした。部屋の中にあるコマを作った、ボランティアをしている男性、車椅子に乗っている男性。暫く待っていたけれど、話をしているからあまり待つという感じはしなかった。その日は三食ご飯、ピーマンとナスの和物、玉葱とじゃが芋の味噌汁、梨。車椅子に乗って、夜に散歩したり、立川まで散歩したりするのだという。彼はすぐに女の子のお漏らしに気づいて、母親に教えてあげた。母親は代わりの半ズボンを女の子に履かせてすぐに戻ってきた。「中華街のおすすめの店」を聞かれた時に彼が取り出したのはバリアフリー対応の店の載ったマップだった。
この場所は本来はシェアハウスで、キッチンと食べるスペースは繋がっていた。ボランティアに来ている年齢層は幅広く感じた。「おお久しぶりだね。よかった。」と言われてやって来た彼は若かった。何人かと入れ替わり立ち替わりお話しする。出版業界で働いている人が、ライターをやってみたら?と言ってくれたりする。おかわりもすることができて、嬉しい顔をしていたらニシカさんも嬉しそうだった。
女の子がボランティアの方の頭をはたいた。(触れた)その女の子のことをじっと見つめていた。話してみたかったのだけれど、話せることがなかったから、そうしていた。するとふいに笑顔になってくれた。私に手を振ってくれて嬉しかった。やがて車椅子の彼も笑顔で手を振って帰って行く。何人かの子供はスマホばかり見ることに両親が困っていた。
上原さんを待つ必要があるため、食べ終わってからもその場にいた。すると、隣に女性が座った。ベンチは脚がぐらつくので、二人で座ると少し揺れた。女性はよく人の変化に気づいて声をかけていた。上原さんのことを、変わっちゃった…と小さな声で表現した。それは彼がピアスを付けていることと繋がるのだろうか。隣の子育てをしている男性とよく話していた。ニシカさんがやって来ると、彼女は悩みを話し始める。一通り話に段落がつくと、周りにいた女性たちも彼女の悩みを一緒に考えて話す様になった。ニシカさんはそれを見届けてから自分の分のご飯を食べた。あるお母さんが、「富士山が見えなくなってしまう」という理由で無くなったマンションの建設について教えてくれた。そのマンションは契約した住民もいたけれど、市民の反対によって無くなったのだという。
その日は少し暑かった。女性が隣の席から離れたら、エアコンの冷気が少しあったことに気づいた。上原さんと集会所の位置を確認し、一橋大学の池をまた解説してもらう。途中まで彼の叔父さんがついて来て、米軍ハウスの話を聞かせてくれた。音大生や美大生などで、あえてそこに住む人がいたりいて、友達で集まってパーティーなどしたりしたことがあるという。トイレはとても大きく、鎖を引くと大きな音が鳴ったことに驚いたと話してくれた。上原さんは昼食を食べる時は彼と食べ、道中も二人はよく話した。
国立駅の木の下のベンチで上原さんと話した。話し合いで自分の考えを伝えるのは緊張があることで、強く言い過ぎていないか悩んでしまう。けれど、何かを交渉する時には、なるべく前向きな話し方で進める必要があると私は考えていた。
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