幸せって

3年前、事情があって親戚が飼っていた老犬をひきとった。
みーという愛称で呼ばれている小型犬。
この子が来て初めて知った感情について綴ったものを投稿します。

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みーがうちへ来て間もない頃、
初夏だったと思う。
ブラッシングをするために玄関先に出て
抱っこしながらブラシをとおしていた。
まだ夕方は涼しい季節で
ブラッシングが終わったあとも意味もなくみーを抱えて座ってた。

その時 私は初めて 幸せってこういうことなんだ と知った。

言葉で表現する知識的なことでもなく、
いつかおとずれるだろうなどという形式的な理想でもない。

風が吹いて、静かだけど町の音がする。

目を細めて眠たそうにしているみーは何の疑いもなく私に全身を預けていて、

うちへ来て間もない時でまだ仲良くなってる途中だったけど、その時 私とみーをへだてるものは何もなかった。

ふたりで季節を味わって、
同じものを感じている気がした。

その穏やかさがなんとも幸せで…

それから次の年は私が塞ぎ込んでいてそういう時間は一切なくなったけど、
3年ぶりの昨日もう一度みーとの平和がおとずれた。

みーが外へ出るというから連れて出ると
何もせずにただぼーっとつったて目を細めていた。

長いしっぽの毛がユラユラしているのを見て私は初めて風の強い日なんだと気付いた。

みーがそれを感じて気持ちよさそうにしている姿を見ていただけの私も気づいたら同じものを味わっていた。
太陽の温もりがちょうど良くてうとうとしてくる。

なるほど、みーが4月生まれなのは納得だな
春が良く似合う平和な子だ

そんな話をみーとして…

まるでみーは人と関係ない世界で生きている。
一緒に暮らしているのに、別のところにいるみたいだ。

マイペースで、ただ自分をやっているみーを見て学ぶことがあるけど、私は人間社会に生きる人だから、そのような生き方を許されないことも事実だと思う。

ただみーと同じ空間にいる時だけは
誰でも平和になれるんじゃないかなぁ

2024.4.1.月 (エイプリルフールに書いたけど嘘じゃないよ)

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