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『街灯と夜道を歩く』


夜道を街灯と歩く。

私の隣を街灯が歩く。
だから私の道はいつも明るい。

街灯に話しかける。
私の人生のルールを、願いを、祈りを。

街灯は黙って聞く。
たまに
「ははあっ」
と笑う。

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なんだか嫌な気持ち。

でもそれは誰のせいでもない。

とても頭にくる。

でもそれも誰のせいでもない。

今日、私が失ったもののことを考える。

足元に穴が開いて、スーっと落ちていくような気持ちになる。背中が寒い。

街灯さん、どう思う?

私は今、とても嫌な気持ちです。

私の人生にはひとつ、大きなルールがある。

それは人を憎まないこと。

私はこのルールを12歳の時に決めた。これだけは守ると決めた。だからずっと守っている。

たとえば、私が暗い部屋に閉じ込められた時、上履きに画鋲が入っていた時、男に殴られた時、親友に恋人を取られた時、仕事の些細なミスで床に正座させられた時、私は誰かを憎んだか?

憎まなかった。

これは大きな流れのひとつだと思った。

大きな流れの支流の1つに過ぎない。

集団心理や誰かの弱さからくる、些細な支流だ。

憎まないどころか、相手のことをそんなに嫌いでもないと思った。

私が一番怖いのは、自分を信じられなくなること。

自分が誰かわからなくなること。

だから、自分が自分であるために、自分らしい尺を持って生きていくために、ルールを決めた。

誰にも言ってない。自分のためだけにしていることだから。

せめて自分の心持ちくらいは自分でコントロールしたかった。(この大きな流れのなかで、いかに無力であろうとも)

でも、本当はもうすでに守れていないのかもしれません。私は・・・。

私は・・・、私の知らないところでもうすでに深く人を憎んでいるのではないかと思う。

そう思うと、とても胸が苦しくなります。

私が12のころからやってきたこと、無意味だったのではないか。

自分なりの見方で、自分なりの尺を持ち、せめて自分だけは自分の味方であろうと思っていました。でも、それは全て無意味なことだったのかもしれません。もし私が今、死ねば、周りの人はきっと

「あんなことがあったんだものね、お可哀想に」

と言うでしょう。

でも違う!私は、他人に傷つけられたりしない!私がもし、今、死ぬのならそれは私が私の味方たり得なかったからです。

ただそれだけのこと、ただそれだけのことです。

でもそれが私にとって唯一の、ルールであり、願いであり、祈りだったのです。

ああ、すみません。ハンカチ。ありがとう。

悲しくて泣いてるわけじゃないんだけど。


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「変なこと言ってすみません。なんだか感情的になってしまったなぁ」

と私が言うと、街灯は、

「別に構いませんよ、そんな日もある」

と言って、どこからかタバコを出してくわえた。

「このご時世に歩きタバコ」

と思わず言ってしまうと、街灯はちょっとぽかんとした後、くわえていたホープを戻してまたどこかに隠してしまった。

「すみません、わりと古くに作られた街灯なもので時流を知らない」

「吸ってもいいですよ」

「いや、吸わないと死ぬってわけでもないんで・・・」

しばらく無言で歩いた後、思い出したように街灯は

「ハワイにね、行こうと思うんです」

と言った。

ハワイ。

なぜ?

「私はもう古いでしょう、これからもっと錆びていって、電球が切れても替えてもらえなくなって、背景の一部になります。

日本だとそれがうまく想像出来ません。

撤去されるのはすぐに想像つくのにね。背景の一部になってる自分を想像し難い。

でも、ハワイなら、良いような気がするんです。

朽ち果てるならハワイがいい。」

ハワイに行ったことあるのか聞くと、ないと言う。

「ないのに、わかるの?」

「わかります。そういうことには鼻がきくんですよ」

と言うと、街灯は

「ははあっ」

と笑った。

「一緒に、行く?ハワイ」

と私が言うと、街灯はチラとこちらを見て

「いいですね」

と言った、言った後ですぐ

「ああ、でも、もし、恋仲になったりしたらどうします?」

誰が。

「あなたと私が」

あはは。

笑って私は言った。

「大丈夫、なりません。絶対にならない。一緒にお酒を飲んでも、同じ部屋で過ごしても、なりません。

わかります。

私、こういうことには鼻がきくんです」

街灯は

「へぇ」

と薄く笑った。


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一緒にハワイに行こうと言ったのに、あれから私は、あの街灯とは出会わなかった。

同じ夜道を何度歩いても、ただの街灯が並んでいるばかり。

あのホープを持った街灯は、どこにもいなかった。


そして、私は50歳のときにハワイに移住した。

ひとりで。

両親を看取り、仕事を早期退職し、家を売り払い、ひとりでハワイに来た。


スーパーに行った帰り道、夜道を歩いていると、後ろから声をかけられた。

「ルールを守っていますか?」

と。

私は振り返り

「まあね」

と答えた。



それから私が死ぬまで、私と街灯は良き友人だった。

私の葬儀が終わった後、古びた街灯は海の近くの道路に立ち、それからずっとそこにいた。


それから、ずっとそこにいた。背景の一部となって。



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