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熊王ナナ子と云う女


最近、ミスiDというオーディションに応募した熊王ナナ子。そのミスiDのiDにはアイデンティティーという意味があるらしい。そこで私の短い生き様からアイデンティティを探そうと試みる。

現在女子大生バンドマンとして生きる私の生い立ちを簡単に書きたいと思う。


誕生

逆子だった私は、案の定足から出てきてしまい、首が締まっていて産声を上げなかった。先生は私の足を持って逆さまに吊るして私のお尻をぺんぺん!叩いた。すると産声と両親の安堵の声。
私は全裸で逆さに吊るされケツを知らん人に叩かれながらこの世にログインしました


保育園

当時共働きの両親でしたので保育園に少し通ってたことがある。記憶はほぼない。保育園のピンク色と泣いている記憶しかない。この頃の元気アイテムは宇津救命丸。泣き虫癇癪を起こす私への常備薬。


幼稚園

ダンス(HIPHOP)を習い始める。9年間続けることになる。当時のルーティーンは、幼稚園ではよく絵を描いて、終わると男の子の家に行ってゲームキューブをやりまくり、帰りにサイゼをみんなで食べて帰宅。男子小学生か。


小学校低学年

学級委員を任される。卒業するまで毎年。今では考えられないがこの頃はいい子ちゃんだったので。


小学校高学年

不穏な感じはこの頃から始まってた。グループにハブられたり、気の強い女の子と遊んでは家中の調味料が入ったジュースを無理やり飲まされたり。甘いジュースにマヨネーズとソースと七味はまじで不味かった。その時は嫌だったけどそういう遊びなのだと思っていたが、家に帰ってよく考えるといじめだと思って泣いた。


中学生

中学生は陰鬱さが加速する。この頃からLINEやTwitterをみんなやり始めるのだが、私の居ないグルチャで死ねと書かれたり、男の子からはブスと言われ、この目力のせいで女の子からはナナ子ちゃんは睨んでくると噂を立てられる。家に帰るとその日辛かったことを日記に書き殴った。100ページあった日記本はすぐに埋まった。私の怒りと悲しみは日記に預けて学校ではへらへらしようと努めた。

中2でダンスを辞めた。その頃からバンドが好きになる。音楽雑誌を買っては載ってるアーティスト全部片っ端から聴き漁った。そんなことを毎月やっていた。高校生になったらバンドを始めよう、と決めた。
しかし、軽音部のある高校は市内で1番の進学校でこりゃ参った。仕方ないので勉強してギリギリ合格。やりたい事のためなら出来る子やん。


高校生

バンドをやるために入っただけなので勉強に興味無し。将来東大京大に行くような人達と既に燃え尽きている私のギャップは凄まじかった。オールして学校に行き、授業で睡眠をとり、部活に行く生活だった。入学して何回も呼び出されるし赤点まみれだった。当たり前だ。
ただ、皆んな頭が良いので、私みたいなクズにもくだらない嫌がらせをしてくる人は1人も居なかったので幸せだった。

部活に入ると自分の知らない音楽を教えてもらった。そう、メタル。女の人とは思えないデスボイスと何がなんだか分からないくらいうるさい音楽、超カッコよかった。メタルコアをやるバンドを組んでボーカルをやった。デスボを出しまくる3年間となった。
当初はギターを弾いてギタボをやっていたけどギターは下手くそ笑
やっぱり自分の音楽をやりたいと思い曲作りを始めたのはこの頃。高校の部活は技術至上主義。何せ楽器が上手くないと曲が作れるよと言ったところで地位は確立できませんでした。

そんな私も進路を迫られる訳だけどクリエイティブな仕事に就きたかったし絵を描くのも好きだったのでデザインをやる大学に行くことにした。
周りが大学の2次試験対策を行う中私はぽつんと美術室でガチのお絵描きをして大学に合格しました。


大学生

大学に入って軽音部に入ると晴れてオリジナルバンドを組むんだけどそれが今活動するウーロンハイハット。サポート含め既に元メンバーが4人居るという、バンドのことだけでもこの文量書けそうな勢い。とは言え本当に仲が良すぎるくらいに良い。(どれくらい良いかと言うと、事あるごとにみんなで銭湯に行くくらい良い。)私は自分の作った曲がバンドメンバーの手によって育っていく喜びを知る。

一方、一人暮らしを始めた私の私生活はあまり良いものではなく、私の弱点に翻弄される生活となった。
バイトは愚か人間生活が普通に出来ない。思い詰めた私は、病院に行くとまあまあな抑鬱とがっつり発達障害だと診断される。(この話は次回あたりにまとめて書きたい)因みに今は訳あって治療はしてません。

最近は、バンド活動及び個人の露出拡大の為、かなりの思いつきで突然YouTubeを始める。しかも初っ端から毎日投稿宣言をしてしまう。本当に恐ろしい女だ。
大変大変と言いながらYouTube100日毎日投稿を達成する。これについては他の記事を参照。


現在

現在内定ゼロの大学4回生。留年しない限り否が応でも後1年で社会に放り出されるのだ。私はこの1年をある意味"猶予"と捉えて、自分が自分として社会に出るために最大限利用しようと思った。
今回ミスiDに応募したのもその一環である。私にとっては今年でなければならないのだ。

そもそも今年はバンド活動を拡大するのが去年までのビジョンだった。ライブが出来ない。
本当に未来は分からないな、とつくづく思う。
私の今生み出せるものを全て生み出し、今出来ることを全てやり尽くそう。そう思う過程でミスiDと出会ったという訳だ。だから、こんなことになっていなければ私をここまで突き動かさなかったかもしれない。
環境のせいで夢を見るのを辞めさせられるなんて悲しすぎる。

私はまだ何者かになれる気がしてならない。

(人生は)(続く)



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