それでも私は平等を愛する。

こんばんは

今私は幸せだし恵まれている、けれど苦悩もある。私の家族にはADHDの人がいて、鬱病+不安症になりかけの人もいる。私は今のところ精神的な疾患はなくて健康に暮らしているが、私にはその人たちをケアしなければならないという仕事があって、自分の生活や時間を家族に割く必要がある。

家族なら当然のことだろうと思われるだろうが、正直投げ出したくなることばかりだ。自分に返ってこない親切や声かけ、行為、時間…人に尽くすとはこんなにも大変なことなのかと思い知った。愛とかよく映画が言っているけれど、もうそれもイマイチわからないし、返ってこない愛を捧げて私はもう枯れていくだけじゃないか。

私は「一緒にいて辛いと感じる人」とは静かに距離をとっていく人間だ。しかし今の家族は放っておくことも離れることもできない、家族で暮らしていても自分の部屋で過ごしたり、1人で出かける機会が増えたように感じる。


平等をこよなく愛する。

これはとてもわがままな行為である。私が家事で大変なら家族に手伝ってもらって、同じ苦しみを味わって欲しいと思う。私が気を使ってチームの輪を乱さないなら、ほかのメンバーにも同じ努力をしてもらいたい。私があなたの名前を呼ぶのはあなたに呼ばれたいから。自分で勝手に動いて勝手に見返りをもとめているのだから自己中心的だ。しかし、相手に対して平等でいようという気持ちも人一倍強い。もし相手の優しさから自分が楽するような状況になってしまった時はちゃんとお礼を述べるようにしている。

相手を気にかけるという行為はひどく自分を消費する。消費した分は、自分に向けられた優しさで埋められる。だからこそお互いに「気にかける」考えを持っている人と過ごしていないと、気を使いすぎる人間は心が枯れていく一方なのだ。


あなたはどうだろうか、考えたこともなかったかもしれない。でもあなたのすぐそばに1人で悩みすぎて苦しんでいる人がいるかもしれないことを忘れないでほしい。

人に優しくあることがどんなに難しいことか。いい人でいるとどれだけ利用されてしまうか。

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