☘やりたいことが見つからないなら
わたしは一体何をしたいんだろう、この年になっても自分が何者かはっきりしない。
今まで色々なものを習ったり、教えたり、体験したりしてきた。好奇心旺盛だから気になったり面白い!と思うものはオタク気質でかなりのめり込んだ。
でもある一定のレベルまでくると興味は終わり、その頃にはまた新しいことが見つかるのだ。
とことん納得するまでやって自分なりのアレンジができるところまで来ると飽きてしまう。
仕事にしてもそうだ。
グラフィックデザイナーで入社したのに、結局Webも動画制作もアナリティクスもライターもやっている。
挙げ句の果てに人手が足りないというので事務や営業、設備チェックまでこなす日々だ。
それはそれでまぁ楽しいのだが、わたしは一体何者だろうと思うこともしばしば。
プライベートでは、ピアノも弾くし、パン教室、カラーセラピスト養成講座やパーソナルカラリスト、パステルカラーイラスト講師、タロットカード講座や占い師などもやった。
でも、やってみてしばらく経つと趣味レベルで充分だと感じて人に教えることに疲れてしまうのだ。自分で楽しめればそれでいい。
「何かひとつに絞ったら良いのでは?」
と言われたことがあるがピンと来ない。
子どもの頃に母親から
「本当に器用貧乏ねぇ」と言われたこともある。
これはかなりのトラウマになっていたらしく
色々なことができるのは恥ずかしいことなんだ、と幼いながらに悲しくなったものだ。
お裁縫や編物、勉強も運動も平均より上には行くのだがそれらをもっともっと極めたいとは思わない。欲がない。からくりが分かり自分でアレンジできるレベルで満足なのだ。
やりたいことが絞れない。
だから、
「わたしは不器用だからこれしかないんです」
とひとつのことを極めている人が輝いてみえた。
色々できるけどそれでやって行こうというプロにはなれない。
たまに人に褒められても
「器用貧乏なんです、大したことないんです」
自分のことをそう言っていた。
歳をとるにつれて器用貧乏でも良いじゃないかと思うようになった。
色々出来て何が悪いんだ!
器用貧乏ではなく器用贅沢だろう!と思うようにした。
だってこれがわたしの個性だ。
なんでもできると生活に便利だ。工夫して自分で作り出すことができる。買わなくても似たようなものを作れる自信があり、実際作ってみると楽しく嬉しい。
でも自分の満足のために一個作れれば充分なのだ。
たくさん作ってそれを売ろうとも思わない。
わたしは何故こんなに色々興味が湧いて色々やってみるけど続かないのだろう。
わたしが思うプロのレベル設定が高いのかもしれない。このレベルではまだまだ。もっと頑張らなくては、と思った瞬間興味が失せるのだ。
でも世の中、え?これでいいの?というクオリティのものも多い。
もっと気楽に構えたら良いのかもしれない。
とはいえ、やはりこれをやりたい!と思うことが見つからないのだ。
「目標を見つけなければダメ」
そんな感じの教育を受けてきた。
目標なんかない。
何をしたいのかわからない
何ができるか分からない
そのうち見つかるだろうと思い続けて随分と長い時間が過ぎた。
結論。
目標を設定するのをやめた。
自分が何者でもよいじゃない。
なるようになる。
そのかわり、
「望まないことはしない」
これだけは決めた。
それだけでも方向性は決まってくる。
自分の内側の声を大切に。
自分に正直に。
自分を大切に。
(*´꒳`*)
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