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「親切」という行為って実は非常に厄介なもの。
本当に正しい親切が出来てるのかしら?とわたしはよく振り返ります。

親切といえばこの言葉。

「情けは人のためならず」

情けは人の為ならずとは、人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。 人には親切にせよという教え。


と調べてみると書いてありました。

確かにその通りなんだけど、

親切ってする方される方、双方が気持ち良く、その行為に対して感謝が出来てはじめて成立するのだとおもうのね。

こちらで「親切にしたぞ」と自己満足なものは親切ではなくただの押し売りですよね。

相手からすると余計なお世話となるわけです。

この辺りが無自覚な人が、結構痛い目に遭うのではないかと思うのです。

今までのわたしのブログで何度も登場した言葉、所謂「良かれ病」というやつです。(わたしが勝手に名付けた病名デス 笑)

どうしてうまくいかないのかな、どうして嫌われるのかな、どうして失敗するのかな、と思うことがもしあるならば、「親切の押し売り」をしちゃってる可能性、大いにアリ。

「人に良い人と思われたい」などと思わない方が良い。もし思っているなら見返りが来ないことが辛くなりますよ。

親切ってメインにやることじゃないと思うんだ。

自分のことを一生懸命やってたら他人のことまでそうそう気が回らないよ。

気が効く人って確かにいるんだけど、ポイント押さえてひょいとできちゃう人がそうなんだと思うよ。

自分を放っておいて他人を助けようといつも観察してそればっかりやってたら気が効くように見えるでしょ。

でも、それってどうなのかしらね。

本当に気が効く人ってストレス無いのよ、自分の余力をちょっと分けてるだけだからね。自分のことをしっかりやって余った分をシェアする、これが正しい親切の形だと思うのですよ。

もともと余ってる力や能力だから頑張らずひょいと提供できるもの、そして気合いがないから、やったことすらつい忘れちゃって、後から感謝されたりしても「あれ?わたしなんかしたっけ?」くらいなライトな感覚こそ、1番の親切精神に通じるんじゃないかしら。

親切にしてもらった方も、自分のために無理した....と気づいたら申し訳なさでいっぱい。「ありがとう」ではなく「申し訳ありません」となってしまう。

良いと思ってやったことでもかえって相手に負担をかけるのなら、必ずどこかやり方が間違っているということなの。

敢えてしないことが親切になる場合もあるし、たまには自分のことをちょっと横に置いて力になってあげることも必要。

親切の形は色々あるけれど、基本は

「自分の中から溢れたものをシェアする」

コレに尽きると思うの。

自分を蔑ろにして、人の手助けばかりしてるのってどうなの?

優しさには厳しさも必要。イエスマン(イエスウーマン)にならないために、まずは自分自身を助けてね。気にかけるのはまず自分が1番よ。

親切なことをしようとする時、この心掛けを意識することできっと、する方もされる方もお互い楽になれるんじゃないかしら。

何を差し置いても絶対に自分が親切にしなければならない、なんてことはないのだから。

強迫観念は手放そうね。(=´∀`)

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