2024/2 読書感想文「杜子春」と読めなかったハーバーマス

今月も読書感想文やっていきます。第三回である今回はJ・ハーバーマスの「イデオロギーとしての技術と科学」と芥川龍之介の「杜子春」を取り上げます。とはいえ、前半は読書”できなかった”感想文になりますが……。

前回↓

「イデオロギーとしての技術と科学」は難しい

今月はJ・ハーバーマスの「イデオロギーとしての技術と科学」を読もうとして3週間ほどチャレンジしていたんですが、あまりにも難しくて断念しました。そもそも本書を読もうとしたきっかけすら思い出せず、読む本リストの古いところにあったのでなんとなく選んだのも良くなかった気がします。

ですが、最終的に(死ぬまでに?)ちゃんと読みたいので、何が自分に足りなかったのか考えてみたいと思います。

まず一つ目が問題意識です。所謂哲学書を読むコツ、というか資質はその本のテーマに対して問題意識を持っているかどうかだと考えます。意識についての本ならば意識について、生についてなら生についてちゃんと考えていないと読み解くのは難しいです。本書はやはり政治学がテーマとしてあり、自分は政治学についてはノータッチ。完全な勉強不足(不足どころかそもそも皆無)で、生活の中でも政治学について考える場面がほとんどありませんでした。今後はもうちょっと問題意識を意識しようと思います。

二つ目は上記と重なりますがやはり勉強不足という点です。哲学書というのはほとんどが他の哲学者の哲学に対するアンチテーゼとして話が展開されています。つまり、前提の議論があるわけです。ここを抑えないと読み解くのは不可能と言ってもいいでしょう(逆に前提の議論が身近だったり、プリミティブだったりする古代の哲学者やデカルト、ニーチェ、ショーペンハウアーあたりは読みやすいです)。本書であればヘーゲルやマルクス、ウェーバーあたりは最低限抑える必要がありました。自分はそれらを抑えずにいきなり本書に入ったので良くなかったです。

三つ目。読書レベルを上げてなかったのが良くなかったです。読書レベルというのはつまり難しい文章に対する慣れですね。最近は割と簡便でわかりやすい文章ばかり読んでいて、読書レベルが下がっていたのが良くなかったです。プラトンからデカルト、そしてカントと徐々に読書レベルを上げてから本書を読むべきでした。読書レベルが低すぎて個々の難読用語は読めても、それらが組み合わさった文章が出てくると一向にページが進まなくなります。

四つ目。傲慢で慢心していた点が良くなかったです。それなりに哲学書読んだことあるし行けるでしょ、というメンタリティで下調べもせず本書に手を伸ばしたのが良くなかったです。中学生のときに初めて哲学書を読んだときの気持ちを忘れてしまいました。デカルトの「方法序説」でした。親戚のおじさんから貰ったものです(今でも本棚にあります)。当時の自分は同年代に比べて本を読む方だったので、まあ読めるだろうと高をくくってページを開いたらちんぷんかんぷん。『良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである』といきなり言われても困ります。そして数年後の高校生のときもう一度チャレンジ。よくわかりませんでした。そしてまた数年後の大学生のとき、デカルトが生きた時代や方法序説が書かれるに至った議論や経緯などを調べてやっと何となく読むことができました。そういった経験をすっかり忘れてしまっていたんですね。

まあ長々と書きましたがナメていたということです。反省して今後の読書ライフに活かしたいと思います。

杜子春

ハーバーマスは諦めましたが読書感想文は毎月書くと決めた以上、何かしら読まないといけません。2月も半分以上終わっています。というわけで読んでいない本棚から何か短編を読もうと考えました(自分の本棚には読んだ本ゾーンと読んでない本ゾーンがあるのです)。

そこで選んだのが芥川龍之介の「杜子春」です。なんだお前ハーバーマスで反省したのに純文学とは何事か、ナメているんじゃないか、と思われるかもしれませんが、選択肢は本書かチェーホフの短編かオマル・ハイヤームのルバイヤートしかありません。本当に反省のない本棚だと思います。

さて、ようやくここから読書感想文の始まりです。

結論から書くとナメてました

めちゃくちゃ読みやすかったです。芥川龍之介の小説は「羅生門」と「蜘蛛の糸」くらいしか読んだことがないのですが、おどろおどろしい雰囲気という印象を持っていました(本人が自殺したこともあってなんだかニーチェ味を感じていました)。蓋を開けてみれば世界観はここ数年流行っている中華ファンタジーですし、お話の筋も前半の金持ちパートと後半の修行パートに分かれており、ややこしくありません。ハッピーエンドで終わりますし、芥川龍之介を勘違いし、誤解し、ナメてました。

杜子春がめっちゃ強いと思いました。何があっても声を上げるなという試練に対して、虎と蛇に襲われても、雷に撃たれても、神将に襲撃されても、地獄の業火に焼かれても声を上げないのはやばいです。メンタル強すぎ。でも、そんな杜子春が馬になった母親の惨状を前に思わず声を上げてしまうのはなんか良いですよね。エモいって言うと芥川龍之介に怒られそうですがエモいです。どんな強靭な意志も素朴な愛の前には負けてしまうんです。ヒューマニティですね。

芥川龍之介の文体も結構好きです。読点の使い方がこまめで、徐々に噛みしめるように読めるのが良いです。例えば夏目漱石なんかだと、確かにアトモスフィア感のある表現は美しいですがちょっとややこしいです。一方、芥川龍之介は飛び道具的な表現はなく(杜子春に関しては、ですが)とても実直だと感じました。芥川龍之介、文章上手いです。

ちなみに本書は中国に原典があるらしく、そちらはバッドエンドで終わるらしいです。さらに、芥川版では人間の薄情さが強調されているらしく、どうして芥川龍之介が人間の薄情さを強調しつつも最後はハッピーエンドで終わらせたのかその真意が気になる所です。人間にはほとほと失望してはいるものの、とはいえ何だか諦めきれない、そんな感じでしょうか。

まとめ

今回はJ・ハーバーマスの「イデオロギーとしての技術と科学」を読もうとして読めず、芥川龍之介の「杜子春」を読みました。ハーバーマスの方は自分の読書に対する姿勢を改めて見直す機会になりました。芥川龍之介の方はほっこりするようなお話で、ヒューマニティあふれる作品でした。特に、芥川龍之介に気難しいイメージを抱いている方は一回読んでみても良いと思います。青空文庫でも読めますしね(自分は新潮文庫のやつを読みました)。では、また!

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