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ヒトって、なんだ? いきものとして#2 「イルカと、海へ還る日」


以前の投稿
ヒトって、なんだ? 「いきものとして」

では、jomonさんこと、縄文大工 雨宮国広さんが関わった「三万年前の航海 徹底再現プロジェクト」から、古代のヒトに想いを馳せて、ヒトについて様々考えてみた。


要約してしまうと、、、

・ヒトは時代によって能力を変えてきた。つまり現代人のヒトに出来ないけど、古代のヒトにはできていたことというのが存在しそうだ。


・古代人は野蛮な人ではなく、現代人とは違った認知能力、認識で生きていた可能性が高いと推察される。また、自然と共に豊かに暮らす、賢く、強靭でしなやかな「いきもの」だったとも想像される。



縄文大工という「特殊な」実践者であり研究者でもあるjomonさん“だからこそ”わかる視点や考察が、示唆に富む。


Jomonさんの話を聞いて、私は素直に

「ヒトって、なんて面白いんだ」そう感じた。


そして「私達、ヒトはいろんな可能性を秘めているのだな」と、なんだか少し誇らしく感じた。



また同時に私は、ある仮説を思い付いた。

かなり突拍子のないものに感じられるかもしれないが、jomon さんの携わった「三万年前の航海 徹底再現プロジェクト」に対して、これは「三万年前の“人力”航海 徹底再現プロジェクト」だよな、と思ったのだ。


現代より遥かに自然環境が豊かだったと想像される旧石器時代に(豊かさの定義はあいまいだ、ここでは行わない)

ヒトが「ヒト以外のいきもの」に大いに力を借りていた、もしくは貸したり、協力していた可能性は無いだろうか?と思ったのだ。


特に長距離外洋航海ともなれば、水棲生物、海洋生物や、渡り鳥などの協力を得ない手はないのでは?と。

(Jomonさんの著書には航路を確認する際に、“鳥”の記載はあった)


つまり『一緒に大陸などから日本列島へ渡ってくれたヒト以外のいきものがいて、彼らと共に、または彼らの力を借り、外洋航海をなし得ていたヒトが一部いたのではないか?』

という仮説だ。


そんな仮説を本気で考えさせてしまう「ヒトといきもの」の話がある。


ジャック・マイヨールというフランス人のダイバーとイルカのストーリーだ。


マイヨールの著書

「イルカと、海へ還る日」

ジャック・マイヨール著

関 邦博 編・訳

1993年 講談社


では、ダイバーとしてのマイヨールの想い、経験、体験、そしてイルカとの交流が記されている。

(訳者の関氏の素潜りに関する解説もある)


私は、Jomon さんも特異な角度から「ヒト」というものを見つめているな、と感じたが、ジャック・マイヨールも同じように感じた。

とても特異な角度から、実践を重ねて「ヒト」「いきものとして」というものを見つめている。



マイヨールはいわゆる素潜り(閉息潜水)のダイバーとして有名である。1983年(56歳)に、当時の世界記録として到達深度105mを記録している。

因みに、このときの潜水時間は3分15秒。

潜降に84秒、最深部で15秒間停止し、浮上。

(潜降時は“重り”の重力を借り、浮上時は途中まで“ブイ”の浮力を借り、残りは自力で浮上)


そして、閉息潜水の実践者であり、ヒトの潜水時の身体反応など生理学的研究にも目を向け、自身を実験体に提供した、実践研究者である。

その驚異的ともいえる実験内容と結果については、今回は触れないが、とても興味深い。


ただ、マイヨールの著書でも大切なこととして記されているが、素潜りや泳ぎ方をなんと「イルカから学んだ」という。

そこには「イルカとの心のコミュニケーション、心の交流」が書かれていた。



マイヨールは両親の仕事の都合から、誕生から13歳までを上海で過ごし、毎年の夏は日本の唐津(長崎県)で過ごしていた。

彼が10歳の夏その唐津の海で、初めてイルカと水中で出会う。

『彼らは明らかに魚ではなかった。私は子供心にもイルカは「仲間」だと思った。心が通い合い、興味を示し、好奇心で私に近づいてきたイルカ。不思議なことに私の心は親愛の情でいっぱいになった。初めて出会って、こんなに懐かしい動物がいるだろうか。海の中でこんなに懐かしい動物がいたなんて。』p51


時は流れジャック・マイヨール30歳。アメリカのマイアミ水族館で、ひょんなことからイルカの調教師として働き始める。

そこで雌イルカのクラウンと運命的な出会いが訪れる。

『そのとき、私は水槽のふちに佇んでいた。悟りは突然やってきた。瞬間的に私の心に一つのまなざしが宿り、メッセージを送ってきた。〈中略〉「やあ」と私は言ってみた。クラウンはクククと鳴き声をあげた。不思議なことに私には彼女が好意を持って答えてくれたのがわかった。』p56


このマイヨールとクラウンの初対面での交流は、周りで見ていた人にとっても驚きであった様子が記されている。


『私は前のほうへ身を乗りだして、彼女が言おうとしていることを理解しようとした。クラウンは何度も同じしぐさをし、口元を私にむけた。私に何か言いたがっているのは明らかだった。私はもちろん、初めて会ったのだが、彼女はまるで私を知っているかのようなふるまいだ。〈中略〉「彼女がこのしぐさをするのはごく限られた人間に対してだけなんです。ここで働いているダイバーにだって、そんなことはしませんよ。」〈中略〉確かにクラウンは私の髪を引っ張ろうとしていた。けれど、私には、何かそれ以上のことを彼女が伝えようとしていたのではないかと、思えて仕方なかった。うまく言葉にできないが、何か、とても大切なことを・・・。』p58.59


この運命的なことが契機となり、マイヨールはマイアミの水族館で働くことを決心し、イルカたちとの更なる交流が始まる。

そこで彼は素潜りや潜水を「イルカから学ぶ」のだが、その際に大切な「イルカとの向き合い方」が、いきものとの交流には不可欠に感じられた。

だが、その向き合い方を得るまでは、彼も戸惑いがあったようだ。


クラウンの最初のまなざしの意味が、ほんとうに私に通じるまで数ヶ月はかかったと思う。何か天啓的なものが私を包んだとはいえ、それを私自身がなかなか受けいられなかった。それで我々の関係は当初ひどく職業的なものだった。なぜなら、私の中に「人間(ホモ・サピエンス)は万物の霊長である」という考えが、小学校で習って以来ずっと根づいていたからである。イルカと私たちダイバーは親しく毎日の仕事をこなしていたけれども、そこには見えない壁があった。たとえイルカが頭の良い魅力たっぷりの動物であると知っていても我々人間よりは「下等」であり、やはり「動物」に過ぎないーーそういう考えが私の中にもあったのだと思う。私はこういったことに次第に気付きはじめていた。何かが違っている、毎日の仕事の中で思うようになっていった。』p66

『私たちがイルカに対して、何を教え、何を与えてあげられるというのだろう。笑うことか?電話することか?私たちの初歩的なコミュニケーションの方法が、テレパシーで話し合える彼らにとって、一体何の役に立つだろう。』p66


マイヨールは、イルカの調教という仕事を様々な感情を持って受け止める。「イルカを人間のレベルに合わせて(ある種では貶めて)、物事を教える」という行為への戸惑い以外にも疑念、矛盾が見て取れる。そして、彼は徹頭徹尾「イルカの身」になって考える。私は、彼が大切にする「イルカとの向き合い方」は、何もイルカに限った話ではなく、あらゆるいきものに対して当てはまると思う。


『人間の狭い視点からだけでは、イルカについて何ひとつ理解できない。それを超えてみる努力から始めねば、クラウンの心には到底近づけない、私はそう感じてた。』p68

『調教師は自分の意思をイルカに押し付けなければならない。イルカたちが言うことを聞いて、初めて仕事ができたことになるからである。屈服があるところには屈辱がある。利用(搾取)と利益が生まれるところは、調和のとれた関係は破壊される。そう言うことである。私はこのようなイルカと人間のつながりは、原点から間違っていると思う。最初から間違っている。(そこには)本当の相互理解など存在しない。』p70


そういった考えから、通常のダイバーや生物学者、一般的な人が用いるコミュニケーションを捨てる。彼は文字通り心を空白にし純真無垢な思考だけでクラウンと接し始める。

普段の仕事では着用を義務付けられていた、手袋やウエットスーツを脱ぎ、ボンベも付けずに。

海水パンツを履き、フィンとシュノーケルだけで、クラウンとの交流を「調教師としてではなく、ひとりのヒトとして」試みたようだ。


ここまでのマイヨールを見てきて、少し冒頭にも出てきたjomonさんを振り返りたい。

私は二人に多くの共通点を感じる。その一つに服装がある。jomonさんも、丸木舟で使用する巨木を山から伐り出す際には、通常の服装ではなく旧石器人的服装(鹿皮の上着と熊皮のパンツ)で臨んだ。


jomonさんの著書には「未だ解明されていない動物毛皮の服装の性能を、実践のなかで見つけたいという想いで着用した」と記されているが、それだけに留まらず「ひとりのヒトとして相手(いきもの)を尊重する」という儀礼的な意味があったのではないかと思われる。


伐り出される巨木(御神木)とjomonさんとの「いきものとしてのやり取り」として、身を包む装束は大切な要素の1つだったのではないかと推察する。

これは、いつの日かjomonさんに直接確認を試みたい。


話を戻そう。


マイヨールは純真無垢な思考と、直感で不必要だと感じた装備を外した、素のままに近い身なりでクラウンと交流を続けた。


『この試みは、何週間も続いた。私は彼女の領域に入っていたのであり、私が彼女に教えることは何もなかった。逆に、彼女からすべてを学びたかった。』p76


そして、イルカから潜水や泳ぎを学び、次第に水中での活動を活発化させていくマイヨール。


『彼女は私のそうした気持ち(クラウンからすべてを学びたい)を知り、大きく息を吸い込まなくても、呼吸のたびに、少しずつ息を長く止めていく方法や、水の流れに身をまかせる方法や、力まずに、しなやかに、できるだけ節約しつつ効果的に動くことによって、水の中に完全に自分を溶け込ませる方法を教えてくれたのである。〈中略〉クラウンは、水の中でいかにふるまうかといった基本的なことを、私に教えてくれたのである。後に水深100メートルへの潜水に挑戦するようになるのも、このときの教えがあったからこそである。〈中略〉気がつかないうちに、30分が、そのうちまるまる1時間に延びていた(クラウンと水槽でともに過ごす時間)。私はますます「陸上人」でなくなり、その分ますます「水中人」になっていった。これは、私の最高の呼吸停止の学校だった。私は、水の中をさらにしなやかに、さらに長い距離を泳ぐ訓練をした。そしてたったの一息で、フィンをつけて水槽を完全に2周し、150メートル以上を泳げるようになった。最大3分半まで息を止めて水中にとどまれるようになっていたのだ。』p76-77


マイヨールと、イルカのクラウンとの交流を「現実離れしている」と思うだろうか?

もはやテレパシーの領域だ。

確かに全ての人にこのような体験、交流が等しく訪れるとは思わない。

だか、こういったある種「非科学的」で「非現実的」なことをマイヨールはハッキリと「説明しづらい」と記している。

私はそれでいいと思うし、それが本当のところなのだと思う。


『数週間、数ヶ月とたつうちに、私とクラウンの関係はさらに親密なものになっていった。私は今までにない、動物たちとのコミュニケーションを取りつつあった。それは本質的に精神、言葉に表現できないものであり、物質、言葉、システム、などによるものではなかった。したがって、その方法には、どんな定義もどんな法則もなかった。それは、私が感じたままであり、説明しようとするものではなかった。だから伝えるのがむずかしいのだが、これは私が感じたままなのである。』p81


『私が特に何も考えず、この汚い(水族館の水槽)ガラスの掃除をできるだけ早くきりあげてしまおうとしているときには、彼女はときどきやってきて、こう言うのだった。「ねえ、何か悲しいことかおもしろいことをちょっとは考えてよ。私も少しは話に入れるように!」現実主義的な人々は、こうした観察は、事実を明らかにするのには科学的ではないというだろう。でも、人間はすべてを説明できるのだろうか?』p82


やはりjomon さんと同じく、実践者が故に感じ取れるものがあるのだろう。

マイヨールはこうも記している。


『そしてその(イルカの)視線の裏側には、私の直感を越えた「何か」があるのをはっきり感じる。イルカと私自信の間に、そしてすべてのイルカとすべての人間との間につながりがあるのを感じるのだ。私はそれを、本能的に、直感的に、感じる。それで、十分なのかもしれないが、私はもっと知りたい。クラウンが私を導いた不思議な感覚から、私はもっと多くのことを学び、知りたいと思う。』p101


そして、マイヨールはイルカとの交流を経て、深海の世界へと挑戦していく。

閉息潜水の世界記録挑戦のなかで「知られざるヒトの能力」も明らかとなった。

イルカやクジラという水棲哺乳生物と同じ能力が、ヒトにも備わっていることがわかったのだ。
そしてその能力は多少の差こそあれ、特別な訓練を必要とせず、基本的にすべてのヒトに備わっているという。(潜水反射 ブラッドシフト等)


『古代、イルカやクジラは一度陸上で生活した後、再び海に還り、海に順応し呼吸を止めて長い時間潜っていられるようになった。私たち人間も、再び海に適応してイルカやクジラのように、長い時間、深く潜っていられるようになる潜在的な可能性を持っているのだ』p172(関 邦博)


こういった面でもイルカやクジラへの親しみが湧いてくるし、共に何かを営めるのでは?という気持ちにさせてくれる。彼らは我々より一足先に海へと還っただけで、私達はまだ海へと還る途中に過ぎないのかも知れない。


マイヨールは『人は、海でのふるまい方を(潜水を含めて)ちょっと忘れてしまっているだけ』と記している。私はこの表現がなんだかしっくりきてしまった。


ふるまい方、向き合い方を掴めば誰でもマイヨールのように、まるで両棲人間のようになれる可能性が私達の中にはある。

その能力が開花するかどうかは別として、あるという事実がイルカたちや他の海のいきもの(また海に限らず)たちとのコミュニケーションを明るくさせる。


これが古代だったら、、、。

私は考えずにはいられない。

現代より自然が豊かであったであろう、自然との距離が必然的に近かったであろう状況のなかで、古代人は容易に水棲生物と意志疎通をしていたのではないだろうか?


冒頭の仮説はどうだろうか?

「そんなのありえるか?」から「いや、もしかしたらありえるかも」くらいにはなっているのではないか?

我々に必要そうなのは、特別な身体でもなく、生物学者のような知識やアプローチの方法でもなく、「いきものとして」という、ヒトに本来備わっているものなのだ。



できるかどうか答えはもちろん、「まだわからない」。

「ない」ことの証明は簡単ではない。



私たち「ヒト」にはまだまだ数多の可能性が眠っているのだから。


おわり

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