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書くことで癒されるからnoteが好き

noteをはじめて3年目、いつのまにかフォロワーの人数も増え、コメントやスキをくれる方が始めたころよりもずっと増えた。

最近、ツイッターもはじめてみたけれど(正確には前はカギ付きでやっていたのでオープンでやったのが初めて)、私はnoteが一番好きだ。ツイッターのスピード感よりも、noteのほうが性に合っている。

note の好きなところは、ある程度クローズドなところ。フォロワーの方も、何かしら文章や絵などをかいている方が多くて、お互い何かしら創っている人同士のリスペクトがあるからなのか、とても礼儀正しくて、距離を詰めすぎない人が多い気がする。それが私にとってはちょうどいい。

長くやっていると、よくコメントをくださる方もいらっしゃり、それもすごく嬉しい。スキはもちろん嬉しいけれど、コメントはその何倍もうれしい。コメントってちょっと労力がいるから、その労力をかけてくださったと思うと、本当にありがたい。

自分が何かしたことに対してリアクションをもらえるのは最も純粋な喜びのうちのひとつだと思う。

最初にnoteを始めたときのマガジンのタイトルを「自分の感覚と世間の擦れに、たまに驚く」という名前にしていた。これは友達と自分が同じものを見たときの感覚に驚いて、当たり前だけど「人によって感じ方って違うんだよな」と思ったことを、書くことで消化したいと思ったから。

「なんでだろう」と思ったことや悲しかったこと、怒りを感じたことを文章に書いてみると、どうして自分の気持ちがそうなったのか自分なりに分析できて、分析ができると冷静になれることが多い。だから結果、文章を書くことで癒される。

生きてると、それこそテレビ見てるだけでも、「自分の感覚と違うこと」に驚くことってたくさんある。でもそれに怒ったり、絶望したり、攻撃したりしないで、違うことがあるという事実を認めたい。それと自分が大切にしたいことを大切にすることは、矛盾することではないと思う。

読み手としては、私はその人が自分の日常で感じた疑問とかあったこととかを、たんたんとその人なりに書いている文章がすごく好きで、そういう方のnoteは基本的にとりあえずフォローさせてもらっている。年代や住んでいるところが違う人の、日常や頭の中がちょこっとのぞける気がして面白い。個人的な好みとしては、何かの解説とか一般化した法則よりも、単に書いている人がどんなことを感じたかとか何をしたかとかを知れたときが嬉しい。

ブログとか、あまり続いたことがないのだけれど、noteは奇跡的に3年も続いている。これからも、自分なりに続けやすいように続けていくつもりですのでよろしくお願いします。

#エッセイ #コラム #日記 #note

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