見出し画像

プロダクトとして「近くにおいときたい」と思うか

最近作った本は、できてみたら今まで作った本の中で一番美しい本になった。

カバーには、ウィリアム・モリスの柄をイギリスのV&A博物館から貸していただき使わせてもらった。

デザイナーさんは、石間淳さんというオーソドックスな美しい装丁がお得意な方。石間さんがデザインされる本の明朝体の美しさがすごく好きで、この本のデザイナーさんは石間さんしかいないと思って初めて依頼をさせていただいた。

この本、365ページ以上あるのでとても重く、ページあたりの文字もけっこう詰まっていてなかなか読み通すのは難しい。大きくて重いので電車で読むのも向かない。だからベッドサイドなどにおいて、寝る前などに一日一ページずつ読んでもらえるために最適な形をすごく考えた。

他の文庫本などがしまわれている本だなではなくて、ベッドサイドやデスクの上に置かれること(それはたぶん持ち主にとってプライベートな場だとおもった)を想定し、インテリアの邪魔にならないような飾っておいてもいやじゃない素敵なデザインである必要があった。

内容としても、古代から現代までの歴史や芸術、文学など普遍的な知識が満載で、すぐに読み捨てられるような本ではなく、10年先に読んでも価値が落ちないものだ。だから10年たっても「古くさい」と思われないような、変わらないオーソドックスなデザインにしたいと思っていた。

石間さんは私のそういう希望をすべてまとめて最適な形にしてくださった。

おかげさまで刊行してまだ1週間だけど重版が決まり、正直ちょっとびっくりするくらいの勢いで売れている。

だってこの本は、本体価格2380円と本の中では高い価格帯だからだ。私が今まで作った本の中で最高価格だ。

もちろん良い本だし、こういう本を好きになってくれる読者がいるとは思っていたけれど、もう少しゆっくりじわじわ売れるかな、と予想していたので驚いた。

自分の中に「価格が高い本は買ってもらえない」という先入観があったことに気づいた。他の本に比べて価格が高いとしても、その本として「お得(値段以上)」と思ってもらえれば、それは買ってもらえる。そんなとっくに知っていると思っていた当たり前のことを初めて本当に知った。

私は本を作るとき、「情報として読んでもらえるか」よりも、「プロダクトとして買ってもらえるか(使ってもらえるか)」をよく考える。

情報として知りたいことは、立ち読みでもいいし図書館や誰かに借りてもいい。書いてあることを読んだ人に聞いてもいい。

そうじゃなくて、その本を買って持って帰って、自分の本だなに入れておきたいと思ってもらえるか、ものによっては会社のデスクに置いておくなりしてもらえるか。折にふれて手に取って読み返してもらえるか(読み返す必要のない本を私はほしいとは思わないので)、をすごく考える。

特に私が作っているのは実用書やビジネス書が多いので、本を読むことでどう変わるか、という明確な目的があるものが多い。それぞれの本の目的に共感してもらった人が、実際に自分の生活の中で書いてあることを実践して、目的を果たせるまで、トレーナーのように並走できる本でないと、「買ってまでほしい」と思ってもらえないと思っている。

その本に自分の横にいてほしいと思えるような、決して不愉快な気持ちにならないような、そういう本を作りたいと思っている。今回の美しい本は、とりあえず「お家につれて帰りたい」と思ってくださる読者の方がたくさんいらっしゃったようで一安心した。

「本」というと、つい書いてあることだけが「本」だと思ってしまうけれど、でもその本を構成している部分って、書いてある文章以外にもいっぱいあると思っている。

私は小さいころから本が好きで、何度も読み返すお気に入りの本がたくさんあった。悲しいときにその本に触れるだけで励まされたような思い出もたくさんある。記憶の中でストーリーを思い出すよりも、物としての本が近くにあったことに救われたという感覚に近い。カバーのつるっとした紙の感触や、ページの紙の薄さ、鞄にいれたときの重たさ(それでも持ち歩きたいと思ったこと)、そういうのもぜんぶ含めたものが私にとっては読書体験だった。

だから「物」としての本を、読者の人の日常に招き入れてもいいよと思ってもらえるような物を、これからも作っていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?